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阿含経講義 雑阿含経・一切事経の概要

はじめに

このnoteは仏教を勉強している人、特に阿含経、パーリー五部をちゃんと勉強している、しようと思っている人、自分は仏教修行者だという認識を持っている人に向けて、阿含宗開祖が書いた阿含経解説の概要を自分の言葉で説明していきます。
このnoteを見る方の多くは、ネットや書籍などで学者さんが翻訳した阿含経やパーリー五部を読んだことがある方と推察いたします。ボクは学者の解説本、翻訳本を見て勉強するわけではないけれど、それでもざっと眺めてて気づくことがあります。

それは・・・

学者さんは阿含宗開祖が解説した経典を意図して言及していない??

単純にボクが知らないだけという可能性が9割以上と思うものの、ざっとnoteで阿含経典の事を書いている文章を読んでもそれっぽいものを発見できなかったし、そういう方たちの中には「新興宗教のキョーソサマが取り上げた経典に学者が言及したら負け」という考え方もあるかもしれない。ボクにはその辺りの事情はわからないけれど、学者さんが言及しないが故に、学者さんの書籍を頼りにして仏教を勉強している一般の方たちが、阿含宗開祖が最重要と認識している阿含経典群を目にする機会が奪われてしまうということが発生しうる。

これは、とても、もったいないことです。

阿含宗開祖の説明を信じる、信じないは別にして、概要レベルでも内容を知る機会があること、読むかどうかを決める選択肢が読者側にあることは重要です。学者さんがやらないならばボクがやります、ってな感じで、阿含宗開祖が説明する各々の阿含経典について、ボクの言葉で概要説明をして、もっと知りたい人は書籍を買ってね!というスタンスで、前のめりな文章を書いていく所存です。
(但し超お気楽な不定期更新です・・・)

雑阿含経・一切事経 : 在家成仏を説くお経

阿含宗開祖が書籍「仏陀の真実の教えを説く・阿含経講義【上】」にて一番最初に取り上げているのが、この雑阿含経に含まれている「一切事経」です。

一番最初に取り上げるのは意味があるわけで、その理由は、この阿含経典には在家の普通の仏教信徒にとって重要な仏道修行の道筋が述べられているからです。
阿含宗開祖が一切事経を最重要のひとつとして取り上げる理由と同時に、このお経の意義を説明しています。

このお経に基づいて修行するならば、在家の者であっても出家以上の存在になり、現世で成仏することも可能である、と説かれているからです。

仏陀の真実の教えを説く 阿含経講義【上】 P.11

ということで、ざっと説明していきましょう。

これは七科三十七道品・或いは三十七菩提分法と呼ばれるものとは別立てのものです。ちなみに八正道という修行内容をテンプレのように取り上げる人がいるけれど、八正道とは七科三十七道品の「七科」の「一科」のひとつです。

この経典に書かれているのは、在家修行者の為の八法・十六法と名付けられた修行法で、七科三十七道品とは別立ての修行項目となります。

在家修行者の為の修行法・八法

在家修行者がすべき修行として8項目が挙げられています。

1.信
2.戒
3.施
4.聞
5.持
6.観
7.法次
8.法向

漢字を見れば何となく意味を察することができるだろうと思いますが、漢字から推測できるようなレベルの話ではありませんので、詳細は阿含宗開祖の書籍に目を通してください。

とは言いつつも、このうちの最初の「信」についてコメントします。

一般的な「信」

「信」というのは、仏陀の教法を信じること、仏陀を信仰するということです。
これが修行の一番最初の最初。
仏教を自己啓発に活かすための単なる思想・哲学であるとか、或いは瞑想テクニックの知識、ノウハウ集なのだという程度で考えている人は、この「信」を突破していないから、もうこの時点で相当に多くの人が仏道修行を頓挫していることになります。

ここまでが「信」について、学者さんでも述べることができる範囲です。
学者さん以外の誰でも、まあ、そうだよねと思いつく範囲。
でも「信」がなければ仏道成就しないという逆からの視点は認めない人も多いかもしれない。

また、ちょうど、この経典の解説をしている学者さんのアマゾンレビューをみつけることができたので、リンクを張りました。学者さんならではの解説にも目を通してみてください。

こういうレビューはとてもありがたいですね。
ちなみにレビューの冒頭に学者さんならではご指摘がありますが、この書籍は学者向けの論文ではなくて、阿含宗会員信徒や一般読者を対象としているのだから、「原典に当たることを不可能にしている点で問題である」と言われても意味がないです。そもそも原文は阿含宗会員信徒向けの教団内機関誌の連載記事ですし、原典に当たりたい人は言われなくても自分で調べると思います。というか学者さんこそが、このレビューのように、原典はこれに該当するだろうという分析をすれば良いと思います。
どの世界でも同様ですけれども、学者さんと現場の人の視点は違うので、多面的な視点を提供できるという点でも、このnoteの意義はあるかなと、ちょっと思っています。

応用レベルの「信」

ここからは学者さんでは説明できない領域に入ります。
以下の説明は、今回紹介している阿含宗開祖の書籍には書かれていないボクの言葉での説明ですが、ちゃんと勉強している阿含宗会員信徒ならば常識として知っている現場の実践レベルから出てくる話と、その中でも、さらに上位レベルに到達している人ならわかる事柄を混ぜ込んでいます。

「信」というのは、実は自分が信じるかどうか、という話だけではありません。
仏教というのは宗教なのであって、思想や哲学、倫理、自己啓発ではないのだから、教えの向こうには神仏という存在がいるわけで、我々のようなこちら側にいる人間が、教えの向こう側にいる神仏との相互の信用、信頼関係を構築する必要があります。これができなければ先には進めない。

神仏は太っ腹なのだから、いくらかのお賽銭を投げれば助けてくれるはずだ!などということはない。

神仏側にも意思があることを忘れてはいけない。神仏側が「この者を救わなければならない、助けたい」と思ってもらえる存在に、こちらが自分自身を変える努力をしなければいけない。
この一切事経でいうと即ち、戒・施・聞・持・観・法次・法向の実践です。
そういった努力や実践を実際に行った上で、神仏との相互の信頼関係を構築しなければいけない。

「信」の最初の段階では、自分が神仏や仏法を信じることから始まるけれども、最終的にはこの神仏との信頼関係の構築も含まれます。

ある一定以上のレベルに到達すると、神仏の霊力を如実に感じることができるようになるのだが、それは相互の信頼関係がそれなりにあるからこそ、神仏がこちらがわかるようなカタチで姿を現すわけです。文章を読んで知識として知る「信」と、修行の実践の成果として体感体得する修行者と神仏との間の信頼関係に基づく「信」は違う。

そもそも自分自身の側に「信」がなく、知識や瞑想テクニックだけが必要なのだと考えていたら、神仏はそっぽを向いて力を貸してくれないわけで、それは即ち最初の「信」を満たせないことを意味するから、在家の修行法の成就は望めない。

これは実に厳しい条件設定です。

十六法こそが、この経典の最重要事項

阿含宗開祖が、この経典を第1に持ってきた最大の理由は、この十六法にあります。

十六法というのは何かというと、八法を他人にも教えて、育てて、一緒に成長せよ、そうすれば 8x2=16 となるので、よって十六法と名付けるのである、と、この一切事経に書いてある。

自分だけ修行するのではなくて、周りの人も巻き込んで、一緒に学んで、一緒に成長せよと言っているわけです。

そうして、継続して多くの人を導き育て、自分自身も成長していくと、出家修行者も含めた多くの人が、あなたの話を聞きたいと言って集まってくるようになるのですよ、と説明しています。

だから山奥にこもって、滝に打たれて、瞑想して、世捨て人を気取って実際は世捨てられ人になることが仏道修行の本道ではない、ということです。
自分の事ばかり考えて、人を助け導くことを放棄した仏道修行者は、仏道修行者に求められるこの仏教の根本を理解していないわけですから、やはり仏道成就はできない、ということになります。

これもまた、実に厳しい条件設定です。

でも一般的には、言われてみれば、その通りだと納得できると思います。

他人に教育をすることで、自分も勉強するし、それによって自分自身も育てられるという話は、教育に携わる方からよく聞く話であるし、また実際に体験されている方もいるはずです。

宗教、信仰によって他人を導き育てるという行為は、一般的な教育の範疇を超えて、魂レベル・人間の存在レベルの書き換えを伴うものだから、その宗教が本物で、教えが本物で、その教団を護持する神仏が本当に力を持つ本物であるならば、それを実践する者は神仏の世界に近づいていく効果が期待できる、と読み取れるはずです。

逆に偽物を掴まされると、或いは自分が誤った信仰を他人に伝えて実践させてしまうと、人間存在レベルで取り返しのつかないことになります。ヤバいですね。

要するに、八法を自らが実践すると共に、他の物にも八法を勧めることが十六法であり、この十六法を実践することによって、自分も他人も成仏させることができる、と説かれているわけです。そして、それが在家修行者の本道だ、というわけです。

仏陀の真実の教えを説く 阿含経講義【上】P.48

さいごに

実際の書籍では、原文、書き下し文、阿含宗開祖の解説と三段に分かれて書かれています。経典の細かい内容が気になる方は、リンク先のブクログから各自お好きな書店のサイトに飛んでいただいてご購入いただければと思っております。

また、この上巻について、学者さんによる凄いマジメなアマゾンレビューがありましたので、併せてリンクを貼り付けておきます。






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