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阿含経における霊魂の表現「意生身」

霊魂の存在を「無記」で答えた、は誤り

 仏陀は阿含経において明々白々に霊的存在、霊魂の存在を説いています。
 しかしながら数十年前の倫理の教科書には、仏陀は霊魂の存在に「無記」で答えたと書かれていました。このnoteの説明を読んでいただければ、当時の教科書の記述が誤りだとわかると思います。

仏陀釈尊が使用した霊魂を表す単語の数々

 ここでは阿含宗開祖の著書「仏陀の真実の教えを説く(下)」より引用します。

 日本の僧侶たちは、「釈尊は霊魂を否定した」と口をそろえていいますが、釈尊の唯一の直説経典である「阿含経」の中には「命」以外にも、「意生身(いしょうしん)」「与陰(よおん)」「後世苦陰(ごぜくおん)」「魂神(こんじん)」「神識(じんしき)」「心識(しんしき)」「精識(しょうじん)」「神(じん)」など、霊魂を表す言葉が登場しております。

桐山靖雄著:仏陀の真実の教えを説く(下)
P.20

 阿含経には霊魂に該当する記述は「無記」ではなく、実はたくさんあります。阿含宗開祖は書籍にて、霊的存在が説かれている阿含経典の事例を記述していますので、ピックアップしてみました。
・命:雑阿含経・身命経
・意生身:雑阿含経・身命経、雑阿含経・好戦経、他多数
・与陰:雑阿含経・仙尼経
・異陰:雑阿含経・第一義空経
・後世苦陰:中阿含経・苦陰経
・魂神:長阿含経・遊行経
・神識:雑阿含経・自恐経
・心識:雑阿含経・車乗経
・神:長阿含経・大本経

 前5語は一般人の死後の霊的存在を説明するときに使用しており、後4語は修業を重ねた仏道修行者の霊的存在、あるいは魂そのものについて使用されている用語です。

要するに表現はどうあれ、「阿含経」には霊的存在が示されているわけです。

桐山靖雄著:仏陀の真実の教えを説く(下)
P.23

意生身とは幽霊のこと

 「意生身」という言葉は、大変にわかりやすい霊的存在の表現です。漢字で見たイメージそのまま、意識だけで生きる存在。一般的にイメージするところのユーレイそのものです。
 雑阿含経・好戦経では、このような話が展開されます。
 仏弟子・大目犍連が托鉢修行中、空中をフワフワと漂っていく存在を見た!という報告をすると、仏陀釈尊が「意生身」について説明して、「わたしも、このような霊的存在を見るが、衆生が仏陀であるわたしの言うことを信じないと、それが原因でその人が地獄に落ちてしまうので、それを避けるために普段は霊的存在の事を言わないのである」という趣旨のことを述べています。 

我も亦この衆生を見て、而も説かざるは信じぜざるを恐るるが故なり。所以は何ん。如来の所説を信ぜざる者あらば是れ愚痴の人にして長夜に当に饒益せざる苦を受くべければなり。

雑阿含経・好戦経

「意生身」は好戦経だけでなく、例えば堕胎経という阿含経経典にも登場します。阿含宗開祖の説明によると、雑阿含経・堕胎経の前後に30経、それに対応するパーリー語聖典の「相応部経典・勒叉那相応」で20経に記載があるということですので、原典に挑戦したいという方は探してみてください。
 普通は仏教経典の原典を読みこなすことはできませんから、ここでは堕胎経について解説している阿含宗開祖の書籍を紹介します。さらりと概要説明をしましたけれども、書籍では「意生身」について、結構生々しい記述があります。

さいごに

 こんなにも明確に霊魂の存在を述べていて、しかも仏陀釈尊が普段は黙っている理由まで説明している経典があるのに、ブッダは霊魂を説かなかった!と主張する学者さんが、昔はいたわけです。
 一般の方は、そもそも宗教書籍を読まないですし、しかも新興宗教団体の開祖の書籍ならば、なおさら読まないですから、このような経典や記述があることを知らないことが普通ですけれども、阿含宗開祖は、もう40年くらい前には、阿含経に書かれた「意生身」の存在を書籍にて紹介していますので、現代の仏教学者さんならば、知らなかったでは済まされないと思っています。
 学者さんたちの事情はともかく、仏教で霊魂の存在を説いているの?いないの?と疑問に思っている方は、せっかくですから、これを機会に阿含宗開祖による阿含経解説を読んでいただいて、自分なりに考察していただければ嬉しいです。

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