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「創作は生理的欲求」な人とそうでない人の溝

「生理的欲求によって創作をしてるんだ」...といった言説を見るたびに私の心に翳りが出てしまう。
業界のスーパースター、成功したアーティスト...その殆どがみな
「多大な時間を使って」
「四六時中向き合って」
「楽しんで」
仕事をしている(ように見える)。

創作。
文字通りそれは「何かを創出する」ことであり、元来プロセスを問われることはないはずです。
しかしながら昨今の「※見える化.」により、天才と呼ばれる人たちの暮らしぶりに打ちひしがれる人も多いのではないでしょうか。

(※見える化...プロセスがわかること。SNS等で発信する人が増えた為、習慣や取り組みが周知されやすくなった。)

その最たる象徴こそ

創作が生理的欲求であるように見えること

なのではないか、と考えています。


創作するためには何かが必要なのか?


先日、創作することと「マズローの欲求五段階説」とを絡めたツイートが目に留まりました。
https://twitter.com/bookwormU/status/1430566971121180672?s=20

つまり「創作には安全な環境と安定した自己」が必要だと説いているのです。

一方で、著名な作家が「生理的欲求のレベルで書いている」といった話もありました。
https://twitter.com/NEBU_KURO/status/1430839222856867840?s=20

この両者には、一体どんな"溝"があるのでしょうか。

「創作は生理的」とそうでない人との溝

1.創作に副次的な効果を求め"すぎて"いるかどうか


例えばそれは
「作品によって脚光を浴びようとすること
「作品によって思想を広めようとすること
が挙げられるでしょう。
対立候補は、「創作によって自己完結しているかどうか」

有名になれば副次的な利益を享受するわけですが、それならば利益を得るために有名になろうとする可能性もあり得るでしょう。
しかしながら、殆どの人がそれらの欲求を持っているハズです。
ここに於いて重要なのは、それらの欲求を適切にコントロールすることです。
適切にコントロールできていない場合、創作に煩わしさを覚えることもあるでしょう。

言い換えれば、※創作行為そのものに満足している.かどうかです。

(※不満が無い状態、と捉えたほうが良いかもしれない)

2.創作に用いる体力/気力の消費量


「ちょっと創作やるか~」と思った時にすぐ創作を始めれるかどうか
そして「やるか~」の頻度が多いかどうか

この要素は創作行為に従事する時間の多さに現れるでしょう。

3.それを生業としているかどうか


「創作しないと収入がない」状態は、逆説的に書けば「メシを食うために創作する」となります。
メシを食うのは生理的欲求であり、そのメシを確保する事は生物として極めて重要な事柄であります。
この場合は「生理的欲求のための創作」ではありますが、生死に関わるので必死に行動するでしょう。

それ以外にも、2でも挙げた「やりたい時にやる」を実行しやすい環境でもあります。


ひとまず出揃ったので、それぞれまとめます。


生理的欲求作家たち

創作行為そのものに満足し、取り掛かりはとても早く、いつでもできる土台作りもしている。

そうでない人たち

創作行為に不満があり、取り掛かりは鈍重、創作に充てる時間も少ない。


あれ?


生理的欲求で創作する作家、「デキるビジネスマン」そのものじゃねぇか!!!!


はい。「自分の仕事に集中できる環境作り」と「適切なマインドセット」さえあれば生理的欲求で創作できる人たちと同じレベルになれます

集中できる環境を一概に定義するのは難しいですが、外せない要素は恐らく
・安全である
・嫌いな人が近くにいない(≒1人である)
あたりでしょうか。

誰だって超攻撃的な宇宙人の船の中で作業したくないし(あらゆる方面にケアした表現)、嫌いな人に見られながら仕事もしたくないでしょう。

当然、生活習慣も大事になってくることでしょう。
不規則な生活や不摂生、運動習慣の無い生活を続けると体力も気力も落ち続けます。

なので、創作を生理的欲求に落とし込むためには

・集中できる環境を作る
・生活習慣の向上を図る
・適切なマインドセットを得る

これらを実行しましょう。
これらは創作のみならず人生すら豊かにするやもしれません。


なお、「幼少期から○○をして」とか「英才教育」といった要素は除外しました。
それらの要素は「生理的欲求に落とし込むプロセス」に過ぎないものであると考えているからです。
今からやればいいのです。

作曲や効果音制作でなんとか身ですのでサポートをいただけると嬉しいです!