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小踊る、宮崎の最南端で。

2018年5月末。

毎年行われる「九州窯元行列」を取材しようと、宮崎県串間市へ向かった。

串間市とは。

宮崎市在住の私だったが、同じ宮崎県内にありながらも「遠いところにある田舎」「たしか日南の先」としか認識がなかった。

Google Mapで調べると、1時間43分。

遠い。

飛行機で飛べば東京までいける時間やん。

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あまりの距離に、おっくうな気持ちになりながら、当時の愛車だったベンツで出発。

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なにより、串間市を目指すルートがよくわからない。

高速道路もないし、とりあえず海岸を走っておくか。

その日は、私の気持ちと裏腹にすこぶる快晴で、日南海岸の青い空とキラキラ輝く海に、心が救われていたのを思い出す。


日南市大堂津を過ぎたあたりから、道路の案内板やGoogle先生は、必死に山道へと誘導する。

山道は嫌だ。田舎臭い。

海岸線を走ると決めた私は、意地でも海岸線へ。


通行止めで迂回をくらいながらも、なんとか「串間市へようこそ」に出会うことができた。

その瞬間目にしたのは、

白い砂浜と透き通った海水、コバルトブルーの空!

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ここは恋ヶ浦。知る人ぞ知るサーファーのメッカである。ということをのちに知ることになる。

そこから先は、目下に絶景が続いていて「日本じゃないみたい!すごい!」を連発したのを覚えている。

そして目にしたこの看板。

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なにっ、幸せになれるだと!?

アラフォー独身にはまばゆいばかりの看板が、私を全力で誘惑をしてきたのである。



それから2週間後、私は串間市に住処を移していた。そそくさと。

誰や、田舎臭いとか言ったのは。

むしろなぜ、こんな素晴らしいところをいままで知らなかったのだろう。


それから串間市に住んで2年。


都井岬には野生馬も、幸島には猿も、海にはイルカも、うちの庭にはキツネもやってくる。

そして今、私の隣には、都井で生まれ育った夫がやってきた。


看板の指示通り(?)、

御崎神社でお詣りをした私は、恋(恋ヶ浦)をして幸せ(幸島)になり、築きあげて(築島)、今年の3月に夫婦(夫婦浦)になったのだ。

そりゃもう、小躍りしてしまうに決まっている。

串間というところは、アラフォーに絶景を夢を見させ、それをリアルに変えてしまったのだ。本当にしあわせハッピーになれるところだ!ということを私が証明したのである。



しかしながら串間は、こんなにステキな観光資源を独り占めしておきながら、もったいぶりすぎている。

「串間ってどこ?」の私がたった2年の間で、移住をし、夫をゲットし、串間のための仕事をする会社を設立準備しているのだ(TATEGAMI合同会社)。

この魅力をなぜ世間に伝えていかないのだ?宝の持ち腐れだ。

私がこれだけ愛する串間市が知られなさ過ぎて、何度悔しい思いをし、何度地団駄踏んだか。

この地団駄は、踊るためのステップに変えよう。

串間の魅力情報発信サイト「くしまをしるクシル」を立ち上げ、串間の情報を発信している。


これから私は、小躍りから本踊りに入るところである。



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