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エッセイ編「思い出だんす」

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これまで生きてきた中で、いろいろな時代のいろいろなことを思い出します。どれも日常のささいな出来事かもしれませんが、私にとっては大切な思い出です。#エッセイ好きな人と繋がりたい
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記事一覧

エッセイ「御苑へ行こう」

 京都御苑は、京都御所、大宮御所、仙洞御所、京都迎賓館を含む広大な敷地で、九つの門、五つ…

名秀子nahoko
9か月前
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エッセイ「一瞬の声」

 息子が5歳のとき、カメを飼いたいと言ってきた。うちで生き物など飼ったことがないし、息子…

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エッセイ「バドミントン部に入る」

 私が昭和49年に入学した京都市立の中学校は、明治2年、上京第二十六番組小学校として設立さ…

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エッセイ「日記帳を繰る」

 京都府船井郡八木町で暮らしていた祖父が亡くなって、藁葺き屋根の家を叔父が片付けていたと…

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エッセイ「キミとのお付き合い」

 毎朝、毎晩、歯をみがきながら、私は洗面台の鏡のわたしをうかがっている。 「シミ増えたな…

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エッセイ「汽車に揺られて八木町へ」

 昭和40年代、私が幼少の頃、お盆やお正月、田植えや稲刈りの時期など、1年に何回も京都府船…

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エッセイ「抜歯のあと」

 社会人になって初めての夏、それまで通っていた歯科医院で、親知らずを抜いたほうがいいと言われた。それまで歯を抜くという経験はしたことがなかった。医師がそう言うのなら、そうしたほうがいいのかなと思って、抜歯をする日を決めた。  会社は半日で終えて、そのまま歯科に向かい、いよいよ抜歯のときが来た。麻酔の注射が痛かったが、その効き目のおかげで治療中の痛みはそれほど感じなかった。抜いておしまいだと思っていた私は、その後、つらいことが起こるとは予想もしなかった。  麻酔が効いている間

エッセイ「回しましょ」

 昭和40年代、幼少期に住んでいた家の隣はお弁当屋さんでした。自分の家には置いてない大きな…

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エッセイ「童心に返る」

 JR京都駅から嵯峨野線に乗ってしばらくすると、車窓から芝生の広がる梅小路公園が見える。…

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エッセイ「ちゃぶ台におまんじゅう」

 京都の山間地で生まれ育った父は、昭和23年、菓子屋に就職した。中学校に求人が来ていて、先…

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エッセイ「小学校に通った頃」

 明治2年、京都の町民の尽力で、学区制小学校が64校誕生した。私が入学した小学校は、そのう…

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60年、生きてきての自己紹介

日頃の淡々とした生活は、同じことの繰り返しのように見える。 でも、同じ日というのは決して…

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エッセイ「銭湯の浴槽ひとり占め」

 昭和30年代後半から20年ほど、私は路地のどんつきにある家に住んでいた。路地は、両手を広げ…

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エッセイ「千手観音の如く」

 いったい一人で何役を受け持っているのでしょう。路線バスに乗って運転手さんを見るたび思います。  まず、あの大きなバスを動かせる技術に頭が下がります。前、後ろの大きなミラーを何度も見ての安全運転で、目的地まで連れて行ってくれます。たくさんの命を預かっているのですから責任重大で、緊張感が漂っていそうなのに、冷静な落ち着いた様子です。  運賃の払い方は、現金のほかに回数券、定期券、カードといろいろあります。両替を促したり、乗る時に整理券を取っていない人には「どこから乗りましたか?