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寝かせる効能

※2018年10月にHP上で書いたものを転記しました。

文章を書いていると、どうしても「うまく書けない壁」にぶち当たります。5000字以上の文章だと、いくつもの壁が立ちはだかる。短文にさまざまな意図を織り込んで書かねばならぬときの壁は、さらに高く分厚い。

いくら考えても出てこないまま、たった一文のために、1時間近く頭を抱えたこともあります。

考え抜いたからといって名文が出てくるとは限りません。なんとか絞り出した文章を次の日に見ると、なんとも陳腐であるか、恥ずかしいほど稚拙なものだったということはよくあります。

考え抜くことは、あまり意味がないということになる。

では、どうしたらいいのか。

記事を書くうちに学んだ一番有効な手立ては「寝かせる」ということ。あえて、その文章から離れる期間を設ける。一切触れない。読み返さない。むしろ、それとは違う文章に触れる。それくらい、その文章から離れるのです。

ちなみに私の場合、「寝かせ」が効果を発揮するのに2日かかります。締め切りまでの時間にもよりますが、2日寝かせれば、文中のおかしな箇所が自分でも見えてくる。1日ではどうも足りないようで、ちゃんと見えてきません。

2日ほど寝かせた文章は、アクが浮いてくるかのように、粗や言葉が足りないところ、前後で矛盾しているところが自分で目視できるようになります。

これはきっと「書き手」から離脱することができたからだと思っています。書いている最中や書き終わった直後では、自分はどうしても「書き手」であり、純粋な「読み手」にはなり得ません。おかしなところはないか、どんなに冷静に探しながら読んでも、書き手の目線である以上、見えないものは見えないのです。

読み手となり、新たな視点で文章に向き合うことができたとき、思いつかなかった言い回しや、もっと伝わりやすい順番を考えつくことができる。それが楽しみにさえなってきます。

書き手の自分がお気に入りだった一文を、読み手の自分によって削ることがあります。お気に入りの一文とは、大抵最初の段階から「いい表現だ!」と自画自賛していたもの。インタビュー記事なら、その人を言い表すのにとても重要だと思っていた一文です。

読み手の自分が、「この一文がなくなれば、文章全体が一筋の光となって語りたいことに焦点が合う」などの理由で削除する瞬間。「え…削っちゃうの?生かす方法はないの?」と自問自答し、少しの間葛藤します。

しかし、その文章を削除して、再度全体を読み直して整える頃には、書き手の自分が読み手の自分に感謝している。「よくやった!」と(笑)。

読み手となるために必要な、寝かせの2日間。

一つの原稿に対して、何もしない日を作るのは、なんだか手を抜いているみたいで申し訳ない気もしますが、客観的な視点を得るためにあえて放置する日を過ごすのは、これもまた大切な作業なのです。


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