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トリミングじゃなくて、新聞の切り抜き

実家から届く宅急便には、母厳選の地元紙の切り抜きが時折差し込まれている。

中でも好きなのが、五木寛之さんのコラム。
「ハッとする」と「ホッとする」の間くらいを感じられる言葉遣いがいい。

『相槌が消える時代』と読んで、ふと最近機会の増えたオンライン会議が脳裏に浮かぶ。五木氏の相槌論からは少々逸れるのだけど……

ほんの少しの時差が生じるオンライン。「はい」とか「へえ」とか、下手に相槌を打つと、話し手の言葉とかぶってしまう。でも、相槌を打たずに聞き入ると画面がフリーズしたみたいになるから、ちょっと大袈裟に首を縦に振ってみたり。

少し込み入ったことを伝えようとすると、途端にそこに映る親しい面々ではなく、真っ平らなモニターに焦点が合い、ぎこちなくなってしまう自分の癖に気づいてみたり。

再び対面で話す機会が持てた時は、どう感じ何を考えるのか。

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一度湿気を帯びて乾いた新聞紙特有のカサカサを感じなから、庭の木々を撮ってはせっせとLINEで送ってくれる母を想う。

でも、なぜか母に限ってはLINEのビデオ通話を使おうという気持ちが沸かない。とうとうオンライン帰省もせぬままGWが明けそうだ。

合わせる顔がないとか、そういうのではない。

上京して30年。電話の声と宅急便の箱から匂い立つ実家の空気と──。それらの質感が変わってしまうんじゃないかという、ただその寂しさに少々引っ張られているのだろう。

新しいことを掴むのと、古いことを抱きしめるのと。そういうバランスを考えていなくちゃな、と思うし、そういうことを考えることができる今こそ、今こそ、今こそ・・・

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