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うなお殺人事件

教室で、うなぎを飼ったことがある。
きっかけはよく覚えていないが、たぶん教室で飼っていた金魚か亀(昭和の小学校、教室飼育の定番)が死んでしまって、飼育係が面倒を見る対象がいなくなってしまったからだったと思う。
クラスには、うなぎ屋さんちのU君がいた。U君は、体格も性格もジャイアンのような側面も持ちながら、出木杉君のような文武両道なガキ大将だった。日ごろは穏やかだが、頭もよくて力もあり、ここぞという時の押しが強い。
「じゃあ次は、うなぎ飼おうよ」
という彼の一言もあったかもしれないが、実際は学級会の多数決で、うなぎを飼うことを決めた。それは覚えている。なぜならわたしは学級会の副議長で、多数決を黒板に書く係を担っていたからだ。
うなぎの名前も、学級会の多数決で決めた。いくつか案が出た中から「うなお」になった。

「うなお」は、U君が大きなビニール袋に入れて連れてきた。黒い網が敷かれた白いプランター(当時それ以外の配色のものはなかった)に入れて、教壇の前で飼われることになった。(今思うと、水槽があいていたのではないかと思うのだが、なぜかプランター)

うなおが教室で過ごしたのは、一晩だったのか、何日か経っていたのか、とにかく短い間だった。
ある朝、教室に入ったら、教壇前の床にうなおが横たわり、干からびて動かなくなっていたのだ。わたしが登校した時間には、既にU君が「現場」を取り仕切っていた。
「はい! 関係者以外、入らないでください!」
うなおが横たわっていた(と思われる)木の床には、黒板のチョークでその形通りの線が引かれていた。前列の机が脇に寄せられ、椅子だけが「現場」を囲む形で並べられている。縄跳びが、椅子の背もたれをつないで、しっかりバリケードになっていた。縄跳びの内側にいるのはU君と、その子分、数名のみ。
当時、学年5クラスずつある小学校でも、教室にうなぎがいるクラスはなかった。ちょっとした騒ぎになって、別のクラスからもどんどん野次馬が集まってくる。U君は(どこから持ってきたのか)虫眼鏡を片手に神妙にさけぶ。
「現場検証中です! 関係者以外、入らないでください!」
そして、低く張られた縄跳びを、大きなからだを折り曲げて、わざわざくぐって、皆がいる「こちら」に出てくる。まるっきり、刑事ドラマの見過ぎである。ドラマと違って、U君は縄跳びにつっかえて、椅子は、がったーんとひっくり返る。

しかし、ここからがU君の本領発揮だった。
朝からU君は担任の先生に交渉して1時間目の「算数」を「学級会」にする、時間割変更に成功した。もちろん、現場検証の延長である。
U君は黒板に、大きな字を書く。ちなみに書道の賞をもらうくらい、字がうまい。
「うなお殺人事件」
うなおは、うなぎであって、人ではないが、小学四年生にはこれでいいのだ。
「昨日、生きているうなおを見た人はいるか」「放課後、教室に残っていた人は誰か」「その時、うなおに変わった様子はなかったか」「今朝の第一発見者は誰か」ひとつずつ、大変丁寧に検証(あるいは尋問)する。U君は怒っているわけではないのだが、口調が強い。昨日の放課後の様子をうまく語れずに、泣きだす子も出る。
先生は教室の後ろの黒板前に立って、様子を見ていた。教室内のイニシアチブは完全にU君にある。
泣き出した女の子のグループが、昨日の放課後、教室を出た最後だった「らしい」、その時点では、うなおは生きていた「らしい」あたりまではわかったが、それが小学生どうしの調査の限界だった。

学級会がどんなふうに閉会したのかは忘れてしまったが、先生の提案でうなぎの生態を調べようという方向に話が進んだ。2時間目は「図書」の時間になって、4年3組が図書室を占領した。時間割は、あって、ないようなものになる。今思えば、先生の自由度も、今とは比較にならない。
図鑑と百科事典をあさったが、「なぜ死んだか」はもちろん誰にもわからなかった。

その日の放課後、何人かで、U君のうちに寄り道をした。わたしはU君の子分でもなく、飼育係でもなかったが、議長のY君とともに学級会代表として。
とぼけた出木杉君のようなY君は、日ごろはぼんやりしているように見えるのに、弁が立つ。厨房で仕込みをしているU君のお父さんに、ことのあらましを語った。せっかくわけてもらったうなぎを、死なせてしまってごめんなさい、という意味の詫びも丁寧にした。
U君のお父さんは、うなぎの頭をどん!と目打ちのような道具で固定しながら、仕込みの手を止めずに、うんうんと話を聞いた後、
「あぁ、水があわなかったんだなぁ。プラッチックのいれもんだろ、苦しかったから飛び出したんだな」
シャーっと手元の包丁が動いて、うなぎがきれいに開かれていく。うなぎの身は光るように白かった。プラッチックはプラスチックのことで、それは生き物には苦しい入れ物なのだと学んだ。
「ま、仕方ねぇな」
U君のお父さんはおもしろそうに笑った。
今でもあのすがすがしさを思い出して、救われる。

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