電車に乗って窓の外を眺める話。
電車に乗っている時に、窓の外の景色を見るのが好きです。
人々の営みの一部が見えたり、きれいな景色が見れることもあったり。電車に乗ったらドアの脇にたって、それらを眺めるのが好きです。
でも、今日は、今は、
目に入らない。
確かに目には写っているはずなのに、それら景色が眼球の上をするすると滑っては落ちていく。
これだけ聞いたらきっと、それは「上の空」って言うんだよ、ってお節介な誰かが教えてくれるかもしれません。
でもね、違うんです。
正確には「景色に集中してない」って言うんですよ
心ここに在らず?
兎にも角にも、今の私は、ここにいないんだと思う。
4月。新学期の始まり。
季節のせいなのか、私は、今後の自分の進退について考えないといけないな、というきもちにさせられています。
あ、今日あのアニメやるなぁ、あぁあの仕事やらないと、次のバイトいつだっけ?これ終わったらあれやりたいなぁ、次のデートはいつにしようか。
毎日毎日色んなことを考えて生きている。楽しく生きている、と思う。でも、
心のいちばん深いところ、誰も届かないところで叫んでるんです。
「お前は何がしたいんだ」「なぁ、どうするんたよ」
うるさいうるさい、とこちら側からいくら言ってみたって届かないところから、奴はずっと叫んでくる。
あーあ、もう見て見ぬふりはできない所まで来てしまったみたいです。
なので、今から、空いた電車の席に座って、考えてみようと思うんです。
わたしはなにがしたいのか。
大学から演劇を初めて、たくさんの役を頂きました。でもそんなの、結局縁なんだって、運なんだって思います。
たくさん出てすごいねぇ、
___沢山出ることが凄いんですか?
とてもうまかったよ。
___今回の役はうまかったとしても、次は?
ひねくれ者の私は、どうしても「でも」とか「いや」とかそんな否定を考え出してしまうんです。
結局は、誰かに必要とされたいのかな。承認欲求の塊で、
そのために舞台に立つのかな。
話を変えます。
私は、声優になりたいんです。
そう思っています、
そのための努力と、今舞台に出させてもらってずるずる演劇を続けること、
どちらかを天秤にかけないといけないような気がしてくるんです。
でもね、それって天秤にかけられるものじゃないんじゃないかな?
舞台に呼んでもらえたら出ればいい。声優はそろそろ養成所選びを始めればいい。
どうしてひとつに絞る必要があるんでしょう?
どちらかに決めないといけないんでしょう?
私は、声優になりたいんです。
そう思っています、
思っていました、でも最近は、
役者、になりたいんです。
声優でも女優でもなくて。
全部含んでいそうな、役者。
ちょっと欲張りすぎかしら?
でもね、
だって大学生だもの、やりたいことをやりたいようにやっていい歳なんでしょ?
私の尊敬する人が言いました。
「承認欲求のない役者なんて居ない。
認められたい気持ちを、それを、どういう力に変えられるかだ」
どうありたい、何がしたいのか。
今はハッキリとは分からないけれど、未来なんて見えないけれど、とりあえず今は、今生きているこの瞬間は、私は、私がいつでも胸を張って私でいられるような私でありたいと思います。そして欲を言えば、私の承認欲求の末に生み出す「何か」が、誰かを勇気づけられるといいな。これはちっちゃな私の、大きすぎる欲で、願望。
これは答えにならないかなーー!!??!
心のずーっと奥のわたしへ。声が届くといいな。
電車。
座っていても、向こうの座席の窓からは確かに景色は見えて、たまにはこんな景色もいいかな、なんて。
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