新米ヘルプマンの気づき:余白と尊重
3月に入って。
いやぁ、7日間中6日間勤務はキツいです!!!
(カレンダーをきちんと見ながら希望休を入れないと、キツいシフトになることに気づいた)
労働時間が6時間とは言え、休憩は30分(正味20分ないくらい)。その前後は家事でけっこうバタバタ動いているもんだから、疲れるってごくごく自然。
腰も痛いよ~!
人が不足しているし、みんな忙しいからって頑張ってしまうのも、そこそこにしないとナ。
自分を大切にすることも(ちゃんと)していかないとナ。
(ストレスが溜まって、家族にカエルことは避けないと)
そんなこんな、日々の目の前の業務でいっぱい、いっぱいなんだけど、
思うことはたくさんある。
ケアとはチューニングの繰り返しだ。
オムツ交換も食事介助も、利用者さんと私とのチューニング。
言葉かけのタイミング、使う言葉の選択、行為のタイミングも、ひたすらチューニング。
そして「演」。
利用者さんが「家に帰ろう」としていたり「銀行に行かないと」などと、ボケの姿を表明したときの対応は、ホント「演」。
他の介護士さんたちの演じ方はとても時にユニークだし、学びあるもの。
だから“介護士はアーティスト”ってホント。
プレッシャーで後押しされるチカラ
寝たきりだけど、車いすはかろうじて少しなら自走可能、
身体はパーキンソンで多動があるAさん。
昼食事、食事時間が少し経過したころに厨房からスタッフが「食べてるー?頑張って食べてねー!!」と様子を見ながら声をかけに来る。
Aさんはそれまでは片手でスプーンをもってゆっくり食べていた。
(おかゆやお汁などまだたくさん残っていたが、ヨーグルトを先に食べていた。)
が、厨房スタッフが近づいてきたことを感じ取ったのか、スッともう片手も使って器をもって、食事を口に放りこむAさんの姿を見た。
ちょっと驚いた。
「え、こんなにスッと動くんだ、この人!」
厨房スタッフのプレッシャーがAさんの力を後押しした瞬間。
Aさん、まだまだいけるやんか!
傾眠にひびく、なじみの唄
Tさんは認知症が進み、身体も硬直していて、食事をとってもらうのにもかなりの介助を要する。傾眠しがちで、いくら声掛けをしても反応が薄いときが多かった。
なのに。
Tさんが若いころ親しんできた唄がラジカセから流れてきていたらしい昼食時。
(朝夕はテレビを点けながらの食事なのだけど、昼食はテレビを辞めましょうということで、CDをかけている)
Tさんは、その唄に見事反応。口ずさみながらお昼ご飯を食べていた。
唄のちから、スゲー!!!
こういったシーンをもう少しみんなで考えられる時間があれば、何かもっといいケアが出来そうだし、その人の力を引き出せそうなのにな。
さて。
入職して1か月以上経過して、施設長から30分ほどの「新人研修」を受けた。
満足でなくて、尊重
「利用者満足、職員満足、経営満足が三位一体となっての施設経営です」と配布された資料にとあった。
福祉施設に「経営」はもちろん必要。
収入あってこその、利益あってこその「給与」だから。
だけど、福祉=経営って、範疇に入るものなのだろうかって思う。
その施設が“私も利用したい”って思えている場であればいいけども。
(いいケアを提供するためにも)
“精神衛生を保つ”なんて言葉もあったけど、余裕・余白がなければそれってすごく難しくない?
人の価値観は千差万別。思いも多様。
そんな「人をケアする場」に、満足って、その考え自体がおこがましいものなのかもしれない。
満足って、その人の内側にあるものだから。
ケアを必要とする高齢者のひとたちは、みんな「自分はもう何もできなくなってしまった」と思いがち。そもそも”へこんでいる”のだから、
満足な状態ってあり得るのか?
満足でなくて、いろんな思いを尊重して受け止めることからだ。
(そこには、介護士自体の受け止める”幅”が求められるのだけど)
少なくとも、施設(管理者)が職員を尊重(大切に)していないと、対話も生まれない。
必要なのは、幅だし、余白。
ヘルプマンに休息を。
たまにはロング休暇を。
介護の仕事は大変です、ホント。
面白いし、奥深いのもホント。
だって、人の世界に身体でぶつかって、深く潜ってゆけるのだから。
(表面だけの泳ぎでは、何も見えてこない)
疲れがたまってたら、深く潜ることは難しい。
もっとみんなに「休息」を。
ねぎらいを。
余白あってこそ、尊重も始まるのではないかね?
日勤、早出出勤、夜勤が繰り返される介護士のひとたちの日々。
休日は平均月8日。
もっと休もう。
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