創作ってつれぇよ…つれぇよな……

 人間生きていると理不尽な目やどうにもならない悲しみに打ちのめされることがある。
 そう、例えば大好きだったpixivの作品が作者のアカウント共々消え失せているとか。

 久しぶりに読みたいと思って自分のブクマを漁るとそれっぽい非公開作品も、消去された作品も、ピクマイ限定になってしまったものもどこにも見当たらない。
 キーワードで検索しても出てこず、作者のtwitterもわからず、最終的に記憶をたどって作者名、同人誌名でGoogle検索をかけ、マジで『この世(ピクシブ)』から消えている事実を思い知る。

 なんでそんなことするの?と思う人は多いと思う。私もそうだ。
(消えてしまった作品の中には身内にアカバレした場合マジで洒落にならない"癖"の作品もあるから一概にはいえないが。マジで)

 しかし、私は消してしまう側の心情もわかる。
 というかインターネットに作品をアップロードするということに対してかなりの抵抗を感じている。

 ここでいきなり私情兼昔話を割り込ませてもらおう。
 あるとき、リアルの絵が上手い知人たちが大体こういう会話をしていた。

「マジでさ。下手な絵上げてるやつなんなんだろうね。検索で推しの絵見ようとすると出てきて邪魔なんだけど」
「わかる。中学生ですとか小学生ですとかいって神絵師に絡もうとしてたりさ」
「恥ずかしくないのかな。あんな絵程度で」

 私はこれを聞いていたとき「あー、年頃だなー」くらいしか思わなかった。私より年下で、私より格段に絵が上手い人たちの会話だった。絵の道に進んでもおかしくないような人たちだった。
(実際何人かは進んでいたと思う)

 自分を創作が上手い人間だと思っていないが、小学生のころから始めた創作を大学生になった今でも定期的に創作物を作るくらいには楽しいと思ってやっている。

 しかし、毎回出来上がったあとや作業の最中に思うことがある。これが出来たからといって何?と。
 始めたきっかけはインターネットで同年代の人たちがやっている創作を見て「すごい」、「やってみたい」と思ったからだ。

 しかし、表に出すことの怖さもわかっていた。憧れの人たちみたいに作ることは出来ないし、無名の状態では誰にも見て貰えない。無観客の広場で独り芝居を強要させられているような、自分だけ孤立しているような感覚がどうしても出てきてしまう。
 それこそ「こんなもの程度で」とも思う。
 正直、自分が作っているものの良さもわからない。悪い所ならいくらでも出てくる。

(悪いところが見えなくなったらそれはそれで創作者として終わりな気もするが)

 結果、なんか出来たけどもういいやとなってインターネットには上げなかったり、身内にだけ見せてコメントを貰ったら消したり、気まぐれでtwitterに上げた次の日にはなんか冷静になって消してしまうし、反応が来ても怖くなって消す。

 私が作った中で完成した状態が保持されて残っているものといえば友人に描いたアイコンとか配信者の友人に描いた動画用、活動○○記念みたいな絵くらいだ。

 創作といっているからには絵以外もやっているがネット上で公開したことは多分一切ない。完成して、満足して、なんだこれと思って消すから虚無が残る

 この完成→満足→虚無の不毛なサイクルを繰り返している。

(正直完成前に満足してることの方が多い。つまり『満足→虚無』だ)

 ここまで書いていて気付いたが冒頭で紹介した知人の会話にある程度、
賛同している節があるのだ。

 私は自分の作るものを上手いと思ったことはないが、他人の作品を見て「ここが駄目だな」、とか「おしいな」とか何様目線で考えていることがある。

それは結局価値観の押し付けにしかならないとわかっているのに。

 そんな面倒な思考から巡りに巡ってなんか作ったものを発表しない方が良い気がして、過去に自分では珍しく定期的にイラストをあげていたtwitterアカウントを消した。何回かやった。

 これは私の臆病な考えの元出てきた作品を消す理由なので他の人はもっとシンプルかもしれないし、人間関係が絡んでいたりすることもあるだろう。
 ぶっちゃけそれは知らん。私みたいな終わってる人間にインターネットといえど人間関係を求めるな。散れ。

 就活生なのにエントリーシートや履歴書も書かずこんなしょうもない愚痴を書いて時間を使ってしまった。

 世間は私に心の安寧と失われたpixivの作品を読む権利をくれ。頼むから。

あとこれの〆方わからなくなったし、ついでに1億円くらいくれ。
『ギミック・パペット』(遊戯王)の新規でもいい。
(ZEXAL未履修)

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