見出し画像

道楽者


私の地元だけなのか、全国的にそうなのかは分からないのですが、
・面倒臭がり
・ズボラ
・フットワークが重い
こういったタイプを指して
「道楽者」
と呼ぶことがあります。

私はよくブログでも
「めんどくせーな。」
とか書いてるように、面倒臭がりであることは否定しません。私は自分が無駄だと思うことは極力やりたくありません。

こういう人間なので、昔からたまに
「道楽者」
として見られることも少なくありませんでした。

でも実は、私は自分がこだわりたいことには手間も暇もかけたいし、
『"自分が注力したいことのために"自分が無駄だと思うことを省きたい。』
と考えるタイプなので、ただズボラに過ごしたい訳ではないのです。

↑こういう部分をなかなか理解されることがなくてどうしたもんかと閉口してきた経験も少なくありません。

私から見れば、私のことを道楽者扱いするてめぇらの方がよっぽど道楽者だろ、って話だったんですけどね。

昨日、やっとまとめるべき話をまとめられたはずなので、その延長線で過去のモヤモヤする人間をフルボッ色んな人が目を覚ますためのお手伝いをする話を書いていこうと思います。伝わるべき人に伝わることを祈って書きます。



●資格とか検定って無駄だよね●

学校のテストもそうなんですけど、【点数を稼ぐ】ためには、必ずしも知識が頭に入ってなくても、テクニックで賄える部分って結構あるんですよ。

よっぽど難しい資格とかは別だと思いますが、世の中に沢山溢れている○○検定の類い、これらに合格するのって、結構簡単なんです。

まず、問題集を一度解いてみて、何点取れたか確認します。こうして、
・自分が勉強しなくても解った部分
・少し勉強すれば理解できそうな部分
・勉強しても理解できなさそうな部分
この3パターンに当てはめて、
・少し勉強すれば理解できそうな部分
に絞って勉強するだけで、たかだか65点~70点程度の合格点なら取れてしまうのが多くの検定試験なんですよね。

ハッキリ言って、
[合格点を取ること]

[理解しているかどうか]
は関係ないんですよ。理解していなくても、テクニックで合格点は取れてしまうのが検定試験なんです。

厳密な確率の話を出すと色々とややこしくなるのですが、引きで考えてみた場合、
①自分の解答が正解である
②自分の解答は不正解である

正解率なんて1/2なんですよ。50%の確率で正解できるというをも利用すれば、テクニックだけで検定試験なんて合格できちゃう訳です。

だから、資格を持っている人間が、本当にその資格の内容の真髄を理解しているかどうかなんて、人それぞれ違うし、資格保持者だからといって100%信頼できるか、なんて分からないものなんですよ。本当は。

だけど、世の中なんてチョロいから、↑このテクニックを活用して資格獲得無双して、
『この人は勉強ができて、知識がハンパない、凄い人だ!』
って思わせることも可能なんです。やってみたい人はやったら良いと思う。そうやって、資格取得者が飽和状態になることもある意味大事なんじゃない?って私は思ってる節もあるから。

でも、いい加減
『資格なんて、資格ビジネスの格好の餌食なんだな。』
って斜に構えてる人間の方が増えて然るべきなんじゃないでしょうか。

「目を覚ます」
って、そういうことでもありますよね。



●勉強できるおバカさんを減らそう●

これも何回も書いてきた話ですが、本当にコイツら何とかして欲しいと私は思うんです。

私、ネタバレって嫌なんですよ。

厳密に言えば、私が
『この作品はネタバレしても良いな。』
と、思う物に関しては先にネタバレしてから作品に触れることもあるんですけど、不意に勝手にネタバレされるのが嫌いなんです。

で、私YouTubeを普段見ないんですけど、例えば何かの編み方とか、作り方とかをネットで調べてて、それらを説明してくれてる動画に出会うこともあるんですよね。そういう動画を開いたら、オススメ動画として、動画のタイトルとかサムネで勝手にネタバレを仄めかしてる動画が上がってたりするんですよ。

「ねぇ、その動画タイトル、サムネで、求めてない人にネタバレするかもしれない、って配慮はできないの?」

と、私は伺いたい訳ですよ。配慮できないからそういうのが上がってるんでしょうけど。

で、ネタバレ系って結局のところ、それぞれの作品を読み込んだり、見まくったりした結果の知識のひけらかしじゃないですか。

こういう事態が起こる根本の原因も、突き詰めると、
[勉強はできるけど、配慮するとか、考えることができない]
っていう人間の所業ですよね。

これもいつも書いてますけど、勉強せざるを得なかったタイプの人も、ある種の被害者だと私は思ってて、世の中の
『勉強さえできれば……。』
『良い学校にさえ入れば……。』
みたいな風潮を本気で撲滅しなきゃいけない気がするんです。

下手に知識がある癖に頭を使えない人間は本当に質が悪い。こういう人間を量産しちゃいけないんだ、って気付ける人は増えた方が良いと私は考えてます。



●頭を使え●

これも何回も書いてきた話ですが、
・知識を取り込んで、取り込んだ知識をまた引き出す
・自分の中に無かった新しいことについて考えを廻らせる
これらの頭の使い方って全然違います。

前者ばかりの頭の使い方だと、思考の回路が固定されてしまって、狭い世界観の中で閉じ籠るしかなくなってしまうんですよ。だから、自分じゃない人の世界観とかが読めなくなっちゃうんです。

後者の使い方は、多分、かなりしんどい面も多いです。この点に関しては昨日の記事でも触れたように、知らない世界観を取り入れることの恐怖心と対峙する可能性もあったり、意識を拡げるために大きなエネルギーが必要だから、『そういう頭の使い方をしたくない。』って意識に飲み込まれやすい人の方が多いかもしれません。

スピリチュアルなんかで
「頭を使わないで、心で感じましょう。」
の、ように言われることが多い理由の一部は、前者の頭の使い方を止めなきゃいけないからだったりするんですよね。固定された思考に囚われることを止めて、新しい意識にアクセスしなきゃいけないから、思考を止めるように促されてる側面があるんです。これは、意識を動かすことを止めろっていう話じゃないんです。



【答え】
【ルール】
【ルーティン】
などを決めて、
[それらさえ守っていれば毎度頭を使わなくて済む]
という状況に甘んじてる人間ほど、私のことを
「道楽者だ。」
と罵ることが多かったのですが、こういう人たちは単に
・元々の答えと新しい答え、どちらが正しいか検討するのを億劫がり
・ルールが時代に沿っているかどうか検討するのを億劫がり
・ルーティンを改めてその都度の感覚で行動を選ぶことを億劫がった
【意識を拡げる努力を拒んだ道楽者】
にしか、私には見えなかったんですよ。

答えが決まっていれば、自分が選択する必要も無いし、自分の選択に責任を取る必要もありません。

ルールが決まっていれば、自分が考える必要も無いし、自分の考えに勇気を振り絞る必要もありません。

ルーティンが決まっていれば、その都度自分の感覚に頼る必要も無いし、自分の感覚を信じる必要もありません。

そうやって、
【自分から逃げるために都合の良い口実】
が積み上がって出来上がっているのが社会なんだ、っていう風に見えませんか?決められた範囲内だけに収まって規範を守ることを偉いことだと言い、規範を破ることを悪だと言い、だけどそんなの、自分で判断するということから逃げてるだけの道楽者じゃないんですか?自分の人生を歩むことをサボってる道楽者じゃないんですか?

意識を拡げることを嫌がる人ほど、
「道楽言ってないで、規範通りにやりなさい!」
って言いがちなんですよね。

そんなの、私から見たら
「道楽してないで、自分の頭で考えて、選択して、自分の人生に責任持てよ!」
って話だったんですけど、伝わらないのも分かるから、言葉を飲み込むしかなかったことも多かったなぁ。

そうやって、言葉を飲み込むのも癖になっちゃってるのかもしれません。私も道楽止めないといけませんね。



【答え】とか【正解】にこだわって決め付けたがるのって、こういう風に
『確定事項に従ってさえいれば、自分が判断しなくて良い、自分で自分の選択に責任を取らなくて良い。』
っていう怠け癖でもあるんです。

自分で判断したり、自分で選択したことによって群れから孤立してしまう、下手をすれば死に追いやられてしまう危険を恐れる恐怖心という面も非常に大きいのですが、意識の拡張をサボりたがる感覚の人もとても多いはずです。

昨日の話で例えたように、1kgのダンベルをやっと持ち上げられる人が、10kgのダンベルを持ち上げようとしてる人を見て
「止めなよ!」
と、言いたくなる気持ちも分からなくもないのですが、10kgの負荷をかけなければトレーニングにならない人がいるように、

『【常に意識を拡げるように考えたり動くのが当たり前なタイプ】が存在するのも当たり前なんだ。』

っていうことが広まっても良いと思うんですよね。

正直、意識を拡張させることから逃げてる人には私が言ってること、全く伝わらないと思うんですよ。けど、私と同じようなタイプには、
・意識を拡張させようとすることは大事だということ
・意識を拡張したくない人もいること
・意識を拡張したくない人は意識を拡張させていたい人を強く非難しがちだということ

この辺りを伝えておかないといけない気がするので書いておきます。



ドフラミンゴの話を書いたときに語った話にもにも通ずるものがありますが、
[人を特定の領域で縛ろうとすること]
[人を特定の領域で守ろうとすること]

これらって紙一重で、同じように、
決まった世界観にいること=安全=決まった世界観から抜け出そうとする人間=悪
っていう風な判断になりやすい人の方がまだ過半数なんじゃないかと思います。

でも、そうじゃない。

決まった世界観にいることは安全なことでも何でもないんです。自由を失ってるだけなんです。不確定な世界観の中で自由に漂うことを幸せだと感じられる私の同志たちが、より自由に、より幸福に生きられる世を創れるように、気付いた人から意識を解放していくことが必要なんですよ。

そのためには、決まった思考の回路だけの中で生きてる人の意見を全力で無視しなきゃいけない場合もあると思うから、共に抗っていけたら良いなって思ってます。



今日は、そんなに上手くまとめられた気がしないから、ちょいちょい同じようなことを書かないといけませんね。

とりあえず必要な人に届きますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?