再現性のない情報に、価値があるのかもしれない。
カフェで働いていると、オージーたちがジェスチャーで何か合図を送っている場面に遭遇する。
先週ラジオでそんな話をした。
実はこのカフェで働く前は、バリスタの経験が全くなかった。
なのでメルボルンで日本人バリスタのトレーニングを受けたことがある。
エスプレッソマシンの使い方や、メルボルンならではのオーダーなど、ここのカフェで働く上での役立つ情報を沢山いただけた。それがなければ今カフェで働くことができなかっただろう。
ただ一方で、ラジオでも話している、「オージーがカフェでこのジェスチャーをしたら」なんて情報は、そのトレーニングでも他のサイトでも、誰も教えてくれなかった。というより、知っていたとしても教える必要はないと判断されたのだろう。
そう思った時に、今後メルボルンでバリスタを目指す人たちに向けて、自分がこの「ジェスチャー」をブログやSNSなどに載せて情報を発信することに意味があるのだろうか。
いや、したところで全く役に立たないだろう。
なぜなら、あまりにも再現性の低い情報だから。
僕も働いていて2ヶ月に1回そのジェスチャーを見ればいい方だろう、そのくらいだ。
ならばなぜ、このラジオでこの再現性の低い情報を発信したのか。
それは、僕のラジオは、単なる情報発信のためのツールではないから。
確かに誰にでも役に立つ情報を発信した方が、より有益なラジオになるかもしれない。実際僕のそういう放送も過去にはあったと思う。
ただそうなってしまうと、情報が主体となってしまい、「僕」というパーソナリティがなくなってしまう。つまり、誰でも代用が効くものになってしまいかねない。
そうはしたくない。
僕という人間の生きざまが聞いて見れる、そんなラジオにしたい。
だから一見万人にとって役に立たなさそうでも、世界中でたった一人だけでも「面白い」と思ってくれたらいい。そんな再現性の低い情報でも、価値を感じてくれる人たちのために、今ラジオを続けている。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
この記事は、収録したラジオを元に執筆しました。
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