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バリスタは、通過点でしかない。



オーストラリア・メルボルンという街は、世界各地からバリスタが集まり、その技術やホスピタリティを磨く。もちろんカフェにもよるが、やはりサービスが徹底されている所は多いと感じる。

僕はそのバリスタとしての技術を磨きに来てはいない。そもそもバリスタとして今まで人生で働いたことがないので、磨きようがない。
というより、「コーヒーの街の文化を学ぶ」という大きな目的のために、一番近く第一線で体験できるのがバリスタだと思ったから、なろうと思った。

そのバリスタになろうとした時に、一番最初につまずいた壁が、このレジュメ配りだ。

でも、このレジュメ配りは「つらい」の一言だった。
英語も上手く喋れなく、それでも見知らぬ土地の人に話しかけ、紙を渡す。
これがどれだけ辛く難しいことだったか。

これも海外で暮らすための修行だ、と強く頑張れる人もいると思うが、僕はそうではなかった。なぜならこの街の文化を学ぶことに繋がっているとは思えなかったから。


人によって海外で働くことの目的は違うはず。
僕にとってメルボルンでバリスタになることは通過点でしかなく、その手段は「常套手段」である必要はなかった。それよりも「常套手段」以外で仕事を得られたのであれば、それは新しい発見でいい経験として話せる。

文化なんてそう変わらない、と思うかもしれないが、変わっている途中の片鱗が、その新しい発見の中にあるのならば、従来の方法で取り組むことは少しもったいないように思える。


バリスタは、通過点でしかない。
もしバリスタになることが大きな目的ならば、常套手段で目的に取り組むのもありだろう。
ただ通過点でしかないのであれば、そこまでの経路は遠回りの方が面白いのかもしれない。



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