parking第3号とzineを作る意味
今年は文フリ大阪や東京zineフェスティバル、そして文フリ福岡にも出展する予定です。parking第3号も10月7日から発売することもあり、ここ最近はzine製作から直販までなんだか頑張っているなぁとふと思います。
parkingの製作も終わり、あとは営業・販売していくのがこれからの仕事になるその一息ついている今のうちに、このparking第3号とzineについての最近思うことをお話しできれば。
parking第3号で初めて、取材をしました
第1号、第2号はともに取材をせず、手元にあった写真をページに載せていく、言ってしまえば写真集に近いものでした。約3年前にメルボルンに住んでいた当時は、ZINEなんて全く知らなかったし、そもそも雑誌を作ろうなんてこれっぽっちも思っていませんから。なので、ただ趣味で撮っていた写真を、ただ紙に印刷した、それだけ。でも初めての体験だからこそ面白かったのは間違いありません。
そして第3号はすべてのページをインテビュー記事として載せています。本当はもっと、もっと多くの人のストーリーを載せたかったんですが、今の自分ができる最大限だったと思っています。これ以上取材したらそれこそクオリティが下がるような、それだけ詰め込みました。企画からアポ取り、日程決め、現地(メルボルン)でのスケジュール調整に当日の取材内容決めなど、取材と一言で言ってもやることは本当に多くありました。そんなあたふたしている私に優しく取材に応じてくださった皆様には本当に感謝しかありません。
人のストーリーを載せる責任
話や写真など素材が揃い、いざ編集していくぞ、と意気込むのも束の間、今までに感じたことのないプレッシャーに襲われました。人のストーリーを載せる責任感、言葉一つ次第で人生を狂わす可能性がある。その責任感は第1号第2号には当然、ありません。
一人編集をしていると、そのプレッシャに押しつぶされそうになります。特にライティングにレイアウト、デザイン、校正が終わり、印刷にかけていくその直前が最高潮でした。もう、後戻りできない。単なるデザインのミスやレイアウトずれならどうにだってなる。一言違かったり、それで文章の全体の意味が変わってしまったり、そもそもその方の名前が違ったりしたらどうしよう。改めて印刷なんて、そんなお金もありません。そのプレッシャーは印刷所に提出してからも夜毎に増してくるんです。なんと耐え難い…
zineを作る意味ってなんだろう
印刷所にzineデータを渡した翌日、1年に一回あるコーヒーの大規模展示会に参加してきました。最先端のコーヒー器具から最新の産地情報など、コーヒー業界の人なら必ず行きたいだろうイベントです。そこで毎年出展している『STANDART』という海外発のコーヒー系インディペントマガジンの編集長に毎年会いにいくのですが、今回はコーヒーの文脈でなくzine、インディペントマガジンの文脈で悩みをぶちまかしに向かったのです。(…優しく優しく接してくださった編集長トシさんにはいつも感謝です。)
「僕がこの雑誌の編集長をやれているのは、この雑誌の一番のファンだから」
トシさんがこう答える。STANDARTは海外で作られたものを日本にローカライズさせている状況は、自分のそれとは少し違う。それでも果たして私が作った雑誌を好きになれているのだろうか。ふと思ってしまいました。
今まで「みてみて!こんな自分の『好き』を集めてみたんだ!注目して
!」というのが根本にありました。だからこのparkingという雑誌が好きか、という考えすら思い浮かばなかった。子供が親に見せるお遊戯会に近いかもしれません。
ただこの第3号からは、何か違う感情をこのparkingに感じています。完成が待ち遠しくも恐ろしい、これが一目につくと思うと不安でもあり、何かを感じ取って欲しいとも願っている。琴線に触れるような、心が騒めくような、可能性に武者奮いするような。
確かにこの取材を通して、私はメルボルンにまた新たな可能性を感じました。住んでいたのに気づけなかった、見つけられなかったもの、良くも悪くも見過ごしていたもの。それらの欠片を見つける道中はとても面白いし、私が今後関わることのなかったであろう誰かの人生のワンシーンを、まるで映画予告のように垣間見れる、その瞬間は可能性に満ちたワクワクでいっぱいでした。
zineを作る意味は、そこかもしれません。
parkingを作る意味は、そうなのかもしれません。
私が好きな、その小さな街の可能性を見つけるため。私にとっても、読んでくれる人にとっても、そういう雑誌になったら嬉しいかもしれません。
parking第3号は10月7日(土)にオンライン、イベントで販売開始です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?