メルボルンの無料トラムから考える、地域再発見の可能性
住みたい街ランキングで常に上位、世界一位にも輝いたこともあるこのメルボルン。
そう言われる所以たるものの一つに、トラム(路面電車)が無料で乗り放題という最高のシステムが挙げられる。
観光客はもちろんのこと、全住民にとっても嬉しい制度で、この街にはなくてはならないインフラである。
(このうっすらと緑ががかっている部分が無料トラムゾーン)
言ってしまえば東京の山手線が載り放題、その中心を通る中央線も総武線も、東海道線もなんなら一部無料だよ、みたいなとっても太っ腹な制度。
改めてその無料トラムについてStand FMというラジオで話したので、ここで少し発展させる。
短・中距離移動のストレス・コストフリーが、「灯台下暗し」の魅力を発見させる。
散歩は、「日常」に隠れている「非日常」の発見
遠ければ遠いほど「非日常」に魅力を感じ人は惹き付けられ、それが旅、長距離移動の醍醐味、と思う。
ワーケーション、「非日常」の中で働くという新しい人の暮らし方が象徴するように、それだけ「非日常」には多くの人を魅了する空間やコンテンツが存在する。
一方でそこを「日常」として暮らす人にとって、僕らがそこに感じる「非日常」は同じ「非日常」ではない。
つまり、僕らの「日常」にもそれを「非日常」として魅力を感じる人が必ずいるということ。
散歩の醍醐味は、その「日常」に隠れている「非日常」の発見だと思う。
それを地域の再発見と言ったり、灯台下暗しと言ったり。
僕は散歩をする時、そんなことを思いながら、ぶらぶらと歩いている。
今見ている景色は、他人にとって魅力的で価値のあるもの。そこから発生する価値は、地域の再発見に繋がる。
その地域の再発見には、「短・中距離の移動」が必要だ、と僕は思う。
短・中距離という、ギリギリ「日常」であり、ギリギリ「非日常」ではない場所で、目的を定めずに行けるギリギリの距離
となり街なのに、Google Mapで見てもそんな離れていないのに、その街から全く知らない息遣いを感じることがよくある。でもちょっと歩けば見慣れた景色が見えて、ここと繋がるんだ!と納得し安心する。
その感覚が、ギリ「日常」であり、ギリ「非日常」でない場所。
また、長距離を伴う移動は、何か目的があって向かうことが多い。
山に登りたい。海を眺めたい。あのグルメを食べたい。なのでその目的以外は盲目になりがちで。
じゃないと長距離に見合わないと感じてしまうはず。こんな遠くに来たのに何もしないのって。
でも一駅二駅くらいの、もしくは自転車で20分30分とか、すぐ戻ってこれる距離であれば、別に何も目的がなくても後腐れもない。
何より目的を定めないことで、心にスペースができ、今まで見えていなかったダイヤの原石を無意識のうちに見つけ、そこに詰められる。
それが、目的を定めずに行けるギリギリの距離。
だから、この短・中距離の移動は地域の再発見に必要だと、僕は思う。
短・中距離移動のストレス・コストフリー
メルボルンは、その短・中距離の移動コストが全くかからない。
ちょっと隣の街を歩く。ひとトラム先の地域を歩く。今まで知りえなかった地域を、この無料トラムでストレスフリーに行き来できる。
どんな見つけづらい場所でも、超有名カフェがあったり超芸術的な壁アートが描かれていたりするのは、このトラムが無料という、「短・中距離のストレス・コストフリー」が少なからず影響しているはずだ。
そうでないと、それらを見つける僕らも作品を作り出す当の本人も、労力ががかかって仕様がない。
長くそんな魅力的な制度が続いていることで、メルボルンというカフェの街、芸術の街を作り出し、今なおアーティストやバリスタが世界中から集まる有名な街として存在している。
とは言っても政府がそういうことを狙ってトラム無料化をしているかというと、正直分からない。もしかしたら単に観光地として利便性を高めるためだけに施行しているだけなのかもしれない。
ただそれでも、このトラム無料は、様々な観点からも大きな影響を与えている制度だと言えるだろう。
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内容は少し異なりますが、メルボルンのトラムについてStand FMというラジオでもお話しています。ぜひこちらもお聞きください。
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