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書くことは、自分を見つめ直すきっかけになるかもしれない。

9月の初めからnoteの毎日更新をはじめ、ちょうど30日続けた。
そして10月に、毎日更新を辞め一か月休んだ。
今日はその心情の変化を棚卸してみようと思う。

「毎日更新すること」が目的となってしまっていた。

始めたきっかけは、
Stand FMの収録を、noteに書き起こしてみたらどうなるんだろう。
そんな疑問を元に、30日間やってみよう、と思った。
方法は至って簡単で、収録を聴きなおし、その題材を元に執筆するだけ。



僕の性格上、「これを始める!」と誰かに言うと、それを理由に辞めてしまうことが多い。

SNSで「これを始めます!」と宣誓し、不特定多数に見られているというプレッシャーで続ける方法ももちろんいいと思う。
その一方で、「結局誰も見ていないから、いっか」と言い訳を作り、
しれっと諦めてしまうのが、僕の悪い癖だ。

一方で続くこともあった。
そこに共通していることは、「無言実行」
誰にも言わず、人知れず行うこと。そうすることで、自由に何も考えず続けられることが多かった。

でも今回は違う。
「無言実行」を貫き、一か月続けてみたものの15日目くらいから執筆が間に合わず、「とりあえず」毎日更新の記録を残すために書いていた。
当然、密度の薄い内容になってしまう。
極論、「あ」と書いて投稿して、後で編集すれば毎日更新の記録は付くか、とまで考えていた。

そう、「毎日更新すること」が目的となってしまい、内容が薄くても毎日投稿するという記録を残すがために執筆していた。それが自分を苦しめ、書くことが辛くなっていたのだ。

一か月続けた分、一か月休んだ。

きっと、わざわざ休もうと思わなければ、また書こうなんて気持ちにならなかったんだろう、と僕は思う。休むことで、もちろんフォロワーの増加も閲覧数も減る。いいことばかりではない。

それでも、休むことで俯瞰的に文章を眺める時間ができたり、また「書きたい」という気持ちも芽生えた。

なにより、それくらい、自分の「書くこと」が、この生活を充実させていたことに気づけたことが一番の成果だろう。

なぜ、「書くこと」が生活を充実させていたのか。
それは、Stand FMからnoteの流れで執筆を行うと、自分の発言から自分を見つめ直すことができ、そしてそれには多少の時間を要するため、わざわざ書くために時間を作らなければならない。

つまり、自分を見つめ直す時間を、「noteを書くこと」で自然と作り出していたのだ。

「伝えること」が目的であるべき。でも...

僕にとって、執筆、もとい発信することの目的は、読んでいただけている方々に少しでも自分の考えを伝え、その人の進む方向にちょっとでも背中を押してあげること。

でもその前に、その内容が本当に自分の伝えたいことかどうかを見つめ直す。そうすることで、改めて伝えたいことの輪郭がハッキリする。

と、ぼくは思う。

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最後までお読みいただきありがとうございます。

今回の執筆の元となった収録はこちらです。

文字と一緒に伝わると嬉しいです。

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