龍と出逢いに その7 イイ・ヤシロ・チ㊸
奇しくも節分に三重県の椿大神社に参拝できることになった。
それも、節分祭後の豆まき時刻ピッタリに会場である拝殿前の広場に到着するタイミングで。
この旅の主たる目的は、翌朝立春に、朝熊山金剛證寺へ初めての参拝することだった。が、いつもの如くちっぽけな人の仔の思惑などは、全く通用しない「喚ばれ参拝」が待ち構えていた。
当日は前週の寒波で降り積もった雪がまだ相当に融け残り、白く清らかな雪景色でありながら、比較的に温かな晴天だった。境内の残雪に縁どられた木々や石が素敵な景色を呈していた。
13時半からの豆まきも和やかな明るい賑わいに溢れ、ゲストの力士さんたちが豪快に福豆、福菓子、福袋?を集まる参拝客に向けて放り始めた。
最初こそ人だかりの後方で、なんとかありつけるかな?と福豆拾いに参戦しようと試みたけれども、軟弱者の五十路おみな二人は「熱気すごいねー、あ、拝殿スカスカだから御参りさせてもらいましょーかね。」
と、アッサリと断念。ますますに歓声が湧きたつ豆まき会場を横目に、ゆったりな心持ちで神前に進み出た。
揃って頭を垂れて手を合わせ、
「こんにちは、お参りさせていただき、ありがとうございます。節分にお参りできて、嬉しいです。世界平和、国家鎮護お祈りします」などと心に念じ上げながら、無事お参り完了。
やれ、これでまずは参拝一段落、と笑顔で下がろうとしたところに、やおら当方の左手側から現れたのは箱を抱えた神職の方。
「いや~、あちらは盛りあがって危ないですからね、ようお参りなされました、どうぞ。」と笑顔で福菓子セットをポンとくださったのである。
「あらら、参拝のご褒美がいきなり頂けたわよ」と、他人が聞くとおかしなことを言いながら、またしても神様のレスポンスの迅速さに舌を巻くわたくしたち。
「ここのところ、神様、本当に早くなってるよねー」、などと更にヘンテコな会話をしたり顔でつなげつつ、二人で素直にありがたく拝受した。
次に、ウキウキとご機嫌モードで授与所に向かうと、ちょうど豆まきも無事に終了したようで、人垣はバラバラと解けていくタイミングとなった。その近くには、可愛らしい椿の花柄の力士さんがおられたので、写真を取る許可を快諾いただき、記念にパチリ。素敵な節分レアショットまでも授かった。
これほど歓待な節分参拝の、わたくしのこの聖処における秘かな目的は、実を言えば、三重の一宮における三龍神参りなのだった。
であるから、入り口の庚龍神社から始まって、参道横の御舟磐座を参ってからの拝殿参拝のあとは、バスに戻らなければならない時刻までに、金龍明神滝と龍蛇神両地社、かなえ滝での禊、立雲龍神社にご挨拶をして回ると決めていた。
わたくしにとっては二度目の参拝、久方ぶりの椿大神社である。もちろん本殿や別宮椿岸神社も厳かで素晴らしいけれど、其方よりも龍神を強く意識したのには理由がある。
前回は全く予備知識もなく夕暮れ近くのバスツアーだったので、昇殿参拝と神職からのレクチャータイムこそあったけれど相当な駆け足で境内を巡り、龍神の存在など全く知らずにアチコチを覗いた程度で終わった一宮参拝。
しかも、その当時のわたくしの体調は最悪。右肩に激痛の真っ只中、ペンで文字を書くのもままならないくらいの不自由さを、ただバスに乗せてもらって回れる一宮ツアーに参加して痛みを紛らわせようという目論見だった。病院も整体も鍼灸もそのほかのアレコレの治療法も全く効果がなかった当時、不思議と神社に参拝すると心身の調子が良くなるので、専ら神社参拝のバスツアーにはまっていくのは当然の流れだった。
そのような参加動機であったのに、帰宅して御船磐座を撮った写真を眺めると、ものすごく大きな龍神が杜の奥からお出ましになる姿が映り込んでいるように見えて、魂消た。そのため、此処は龍が棲む聖処だと思った次第である。まさか龍神を祀る社が三社もあるとも知らずに、痛む肩を抱えて参拝するだけで精一杯だったわたくしの、ビックリ体験だった。
こうして、このたびの二度目の参拝では下調べも怠らず、三龍神巡りの御朱印の存在も把握した。とにかく自由時間内に龍神へのご挨拶を完了することが重要ミッションである。境内図も頭に入れて、スムーズにご挨拶を終えるように心づもりした。
気候も時間もちょうどピッタリ、お陰様で確りとご挨拶をして回れたことは幸せこの上ないこと。さらにお福分けのお菓子セットまで持たせていただき、恐縮至極である。
おめでたい太鼓や龍笛の響きと音曲が広い境内を流れている中、想像以上の心躍る参拝となった。
帰宅後、いつものように撮影した写真を眺めていると、なんと、庚龍神社に驚くほどにリアルな金龍さんがカメラ目線で写り込んでいるのを発見した。確かにこのお社には金龍がお祀りされていると、立看板に記されている。
金龍が入口そばで既にわたくしたちを迎え出でてくれていた。そのことに、嬉しさと驚きを強く感じる。
そのためか、参拝からひと月以上時間が経っても、龍の棲まう社域の空気と佇まいが、くっきりと胸に刻まれていると感じられる。
節分の祭礼によって厄が払われ清らかに整う境内に、人の仔たちの明るい声と心が満ちていた。流れる清冽な水によって豊かに潤い、喜び渦巻く波動に龍神もウキウキとされていたのか。(別宮椿岸神社の祭神はアメノウズメ、渦のエネルギーは龍神?)
節分の意味するところは、かつては年の終わり、大晦日だったとか。二つの年を跨ぐ節目の刻は、魔が入りやすい危うさもあるとか。そのような意味のある時間に、力強い龍神と共に過ごせたのなら、魔もつけ入る隙も無かっただろう。
いよよに喜ばしい稀有な年越しを体験できたことに、神恩感謝の意を改めて増し、龍神旅に向かえた幸運をかみしめる。次なる年越しもこの国の皆が平穏無事にと願いながら。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?