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龍と出逢いに その6 ィイ・ヤシロ・チ㉞

久方ぶりのイヤシロチ詣での舞台は、播磨(ハリマ)。兵庫県の瀬戸内沿岸の西のエリアである。播磨の地では、有名な姫路城が世界遺産の名にふさわしく、新幹線の車窓からそびえたつ優美な姿がよく見える。日沈後、ライトアップに浮かび上がる眩く輝く天守閣は、もう一つの異名、白鷺城のネーミングに多くの人が首肯する実力満載だ。

そして、姫路は、記される漢字のとおりに「姫の道、女神の通り道」なのか、それとも音だけで受け止めると、「姫の地、女神の統べる土地」を意味するか。更に播磨の音にも、以前から気にかかることがある。

映画「ラストサムライ」のロケ地である姫路市の名刹円教寺は、美しい書写山にある。このお山は、「ショシャ」ザンではなく、かつて「スサ」ノヤマと呼ばれたと耳にしたわたくし。「スサ」とはもちろん、スサノオのこと。これに、わたくしのセンサーがピリピリと反応する。実際に円教寺の裏手の木の根道の先には女神ククリヒメのお社が祀られていて、小さいながらとてもパワフルなイヤシロチである。

そうなると、その姫(妻)は、クシイナダ姫かもしれず?、とまたオートマチックに思考は展開する。スサノオが時には「牛頭天王」として祀られ、その妻は、「ハリサイジョ」であるから…と。

妄想の翼が拡がるに任せれば、播磨は、ハリサイジョの存在を示す地名か?と、わたくしの思考のベクトルがどんどんと強まっていく。

ハリサイジョは、龍王の娘であり、仏教ではまたの名を善女龍王、陰陽道では歳徳神とされ、様々な呼び名がある。が、とにかく、人の仔に自然の恵みをもたらす「吉祥の女神」であることは間違いなさそうだ。

かように展開する考察のベースには、わたくしの何十年来の愛読書、岡野玲子さんが描く壮大な名作漫画「陰陽師12巻」のワンシーンが心に刻まれているからに他ならない。なかなかに強面の牛頭天王の求婚の訪いに、ハリサイジョが柔和な笑顔で艶やかに迎え入れるとても美しい場面。「ゴズー(金牛)が 日と月を携えて 龍頭に乗って」というセリフと「紫磨黄金に輝く」麗々しい女神のビジュアルがとても幻想的で、わたくしのお気に入りである。

この経緯から、ハリサイジョがここ数年、わたくしの頭の片隅を占めていて、イヤシロチ巡りの際に、ちらちらとその存在が過るようになっていた。いよいよ満を持して、今秋、友人らとのイヤシロチ巡りのメインテーマが、播磨の女神様にご挨拶と相成った。


まず、最初に参拝したのは、破磐神社。ハバンという響きがとても力強い。このお社は、神の降臨地である素晴らしい磐座が近くにあり、整備された境内には、宮大工の高度な技術が駆使された社殿が並ぶ、稀有なイヤシロチである。

曇天の朝、無事に到着したわたくしを含めた4名は、拝殿にご挨拶し、社務所でお守りと御朱印をお分かち頂いた。出迎えてくださった、和やかな笑顔の宮司様から丁寧なお話を頂き、お社の歴史と、龍神の存在、磐座の不思議なパワー、御威徳などを学べたのもありがたい巡り合わせ。

教わったとおりに早速出向いた神池で、降り注ぐ光がきれいな紫色の虹を作った。ハリサイジョの玻璃はガラスの意味であり、美しい龍の女神だろう、とふと思った。畔で龍神祝詞をあげると、水面に差す日光がまるで龍が池に入っていくように見えた。「宮司様のおっしゃったとおり!」と皆で喜んだ。


よくまとめてくださっているブログを見つけたので、ご紹介する。↓

ひとしきり神池で龍神の気配を満喫した後、境内に戻ると、さらに晴れあがった上空に龍がたくさん集まっているような雲が現れて、次なる目的地の磐座である、割れ岩に向かうわたくしたちの気分も大いに盛り上がった。

宮司様が下さった地図のとおり、割れ岩には車ですぐに到着した。竹林の中に守られるように配置する磐座群が見え隠れしている、すぐ先に巨石が偉容な波動を放ちながら、屹立していた。喜び勇んで神社の古材で整備された階段を昇り、まず一巡りしてから、賽銭箱の前で小さく龍神祝詞を上げた。そうすると、脳内に「三巡りしないといけない」と謎のミッションが下った。素直に回り始めたら、頭の中がひどく熱くなってきた。大して厳しい足元でもないのに?ハアハアと吐息で熱を逃がしながら三巡りを完了する直前に、あ、此処がポイントだという箇所が感応できた。割れている箇所は複数なのだけれど、一箇所だけに、此方と彼方の境目が在ると知れたのだ。

念のため、「此処に立ってあの割れ目に向かうと、何か感じる?」と同行者たちに尋ねた。すると、口々に「ああ、此処だね!」と同意があり、このような確認作業と現実から離れないでいるためには、参拝のつれあいの存在がとても有難く、心強いとまた思ったことだ。

更に、感覚を確りと掴むべく集中すると、身体が軽くなる心地良さがある。熱さはそれほど辛くなくなった。そうして次に各自が写真を撮ると、不思議なことが起こった。

同じ時、同じ場所で撮影しても、それぞれ全く異なる光を写す。白い柱が天から一直線に降りる、大きく長い透明に近い銀色の龍体の胴が横切る、紫の光が弧を描く、大きな真紅の花びら様の画像などなど。それらは、画素数や機能の違いだろうと言われるだろうけれど、うち二人はスマホの機種も同じなのに、である。

友人の撮影した降臨の柱のような光

わたくしは、こう仮説を立てた。「4人は時と場を共にすると認識しながら、実はそれぞれがつながった時空は異なるのではないか?」と。

龍は、次元を自在に移動することができるエネルギー体だ(これも「陰陽師」に書かれていたことだったと思う)とか。わたくしたち人の仔は、時空を共有しているように見えても、実際は異なる次元をそれぞれが生きているのかもしれない。だから、次元をまたがるエネルギー体に意識を合わせると、それぞれの時空から見える龍体のエネルギーを撮影するのかも?

併せて、写真撮影とは、実に興味深い行為だと常々思う。ある人から見える世界を、他者が分かち合える写真。たとえ共に同じ場所にいても、人は各々全く異なる世界を見ているのだと、理解できるからだ。ある人が見る世界は色彩豊かで美しく、また別の人はまるで全宇宙から彩りが失われたかのような別世界を切り取って見せてくれることがあるように。

割れ岩という磐座は、古代から其処で人の仔の願いを受け入れる祭祀場であり、別の次元へと祈りの力を伝える通信場所でもあっただろう。つまり、多次元ポータルとしての機能を割れ岩が持ち、龍神が介在し、寄り集う人の仔の心のエネルギーを運んでくれているのかも、とわたくしの妄想がゆるゆると結論に向かう。それが正しいか確かめようもないけれど、そうであれば、人はそれぞれが別の宇宙に生きている、と思うわたくしには、合点がいくのだ。

龍と言えば、風や雷土。風神雷神という楽曲は、尺八とマリンバのイケメンコラボで軽快で、颯爽とした旋律が魅力である。この曲を聴きながら、龍神が天空を自由自在に駆けているイメージを頭の中に展開しながら、楽しい参拝を思い出すわたくしである。

そのあとに詣でた、牛頭天王の総社、同じく姫路市の廣峯神社のご本殿に掲示された、ご祭神のお名前と神門眼下に広がる播磨灘を目にして、答え合わせを頂いた心持ちになった。

播磨灘の真直ぐ先に目を引く小島があった

そうして、さすがハリサイジョの統べる播磨には龍神の御神威が濃く強く拡がるのだわ、としたり顔するわたくしなのだった。

スサノオと関連される柊の花が芳香放って満開に

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。


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