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直会(ナオライ)イイ・ヤシロ・チ㉔

イヤシロチ巡りを始めた最初の頃、一の宮参拝のバスツアーに参加し、そのガイドの方々から教わることが多かった。直会もそのうちの一つ。

日帰りツアーの帰りの車内で、昇殿参拝した神社からのおさがりのお神酒やちょっとしたおやつなどを振舞われることがあった。(ウイズコロナの今では懐かしさ満点のバスツアーのお楽しみポイント)ツアー参加者全員には行き渡らない数の時は、宝くじゲームをして当たった人に渡されたり。みんなニコニコの和気あいあいタイムである、

その時聞いた、「無事に帰るためにも、直会をちゃんとしないとね。」というガイドの方の言葉。ナオライ?と何も知らないわたくしは何だろう?と思ったことである。

https://kotobank.jp/word/%E7%9B%B4%E4%BC%9A-107535

直会の意味は、段々と変わっていったいきさつがあるようだが、「神人共食によって、神とのつながりを強くすることで身が護られる」というくだりを見た時は、ナルホドそこをガイドさんが話していたことなのだと合点した。

そして、共に食べることで、他者と友好関係を結んでいた昔の人は、神様とも同じように食べ物を分け合って、なかよしになろうとしたのだろうか?その素直な感じが好ましく思える。神様と人の仔の間の食を調べると、良い記事が見つかった。↓直会についてもより理解が進んだ。

https://wanosuteki.jp/archives/8216

さらに、宗教人類学の視点からの解説は、食糧の恵みを自分たちの神様に感謝し、豊穣を祈る心情は世界共通なのだと教えてくれる。↓

https://www.mealtime.jp/shokublog/naohashi/2018/11/post-254.html

それとは別に、参拝で聖性に触れたために「清まりすぎている状態」のまま俗世の日常に戻るのは、危ういとする考え方がある。実際、わたくしは、それに近い事例を身近で見聞きし、自身も経験した。

知人が金刀比羅宮参拝後、自宅で転んで手首を痛めたと教えてくれた。「きれいになり過ぎたのよね。」と独り言を言っていたのを???と思ったら、その数週間後自分が伊勢参りのあと、何故か自宅の鍵を落としたうえに玄関先でつまずいて足首をひどく挫いてしまった。(ダブルで自宅に入れないというのが、何かしら意味深)わたくしは、割合に慎重派なのでこの件のイレギュラーさが目立ってとても気になった。何かしくじったのか?と。

そうして考えるうちに、コトバンクの直会の記述に言及されている、みあれ祭の参列に思い当たった。山中のご神事のあとにお神酒を頂いた懐かしい思い出が蘇ってきたのだ。常ならぬ神霊と接近するにあたっては、何かしらシールドめいたものや呪いで俗人は心身を守らなければならないのかもしれない。あの時は、おかげ様で無事に下山させて頂き、そのあとも場所を移して展開されるご神事に元気について行けた。

やはり、ご神気の満ちている聖処に赴くのであれば、帰途には心身が確りと平常モードに戻るための大事な作法、直会は重要なのである。畏れ敬う心をゆめゆめ忘れることがないようにと自戒し、安全に結びつく(距離を取る)工夫をしたい。

個人の参拝の直会は、お社の門前町で実行できる。最寄りの飲食店などで、その土地の神様の力によってその季節に育った地域の特産物のエネルギーをお分かちいただく。とても合理的である。

伊勢のおかげ横丁、出雲大社の神門通り、金毘羅さんの石段のお店、ならまちエリア、京都などはエリア全体が門前町の都市ともいえる。どこも楽しい買い物処やおいしい食べ物、興味深い郷土色溢れる産品を訪れる参拝客に提供してくれる。

食に関しては、今時はネットで探すこともできるけれど、全国の鉄板の参道グルメを一覧できる本もあるようだ。↓この本を眺めての脳内参拝と直会も楽しいかもしれない。

https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b294042.html

心豊かになるお参りのあと、地元のおいしいものをしっかりと味わって直会し、心身の喜びを更に膨らませて安全に帰途に就く。きっと災厄もどこかへ飛び去ってしまうだろう、これぞイヤシロチ巡りの醍醐味である。

先日お参りした大阪天満宮では、近隣の商店街に大阪産品のお店(まいど屋 https://maidoya.jp/access/ )があり、天神水が販売されていたので、これを帰り道の水分補給にしながらの直会ができた。天神様のお水とは大変にありがたい。自宅が近く&立ち寄り先なしであれば、このご神水とコウノトリ米のお酒 ↓ が直会には最高だったろう。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000084775.html

今では、個食、孤食という言葉までできていて、家族でさえ共に食卓を囲むのが難しくなっているご時世に、神様と一緒に食べるなんて、素敵なことだ。

そして、地球という同じ乗り物で宇宙を進んでいるのに、こっちの土地、あっちの資源は自分のだと取り合って、くだらない武器を買わされて、いのちを粗末にする者たちにまんまとのせられていくことは、どれほど馬鹿らしいことかを冷めた目で見ていきたい。

分け合えば、仲良くなれて、皆が安全だ。このような直会の知恵を少しずつ得て、聖処めぐりを続けてゆきたいと心から願うばかりだ。

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最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。

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