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#ゆる創作 満月侍②

 西暦一八五四年、日本は黒船の圧力に屈する形で遂に開国を選択した。しかしその選択は同時に、東洋の神秘を求める暗黒陰謀結社や、日本の夜明けを目指す不逞の集団などを励起させるものともなってしまった。
 そんな怒涛の時代のさなか、江戸北町奉行所に所属する同心の鬼塚と岡っ引きのデコ八は、月よりの使者を自称する覆面男に危地を救われる。髑髏しゃれこうべ党をはじめとする不穏分子が江戸を騒がせる中、自称・月よりの使者とはいったい……?

 ***

「ざまあみろ髑髏党め! 今回はこっちが待ち受けてやったぜ、覚悟しやがれ!」
「今宵が貴様らの命日だ、神妙にお縄につくんだな」

 前回の事件より一月も経たぬ夜のこと、再び江戸北町奉行所は髑髏党の尻尾に手をかけていた。奇妙な協力者――月よりの使者を名乗る男――の貢献によって捕縛せしめた党員に、あの手この手で内情を吐かせた成果が出たのである。鬼塚、デコ八を始めとする一隊が炙り出された集会場アジトへと赴き、いざ集まらんとした連中の機先を制したのだ。

「――!」
「――、――!」

 あいも変わらず奇妙なうめき声を上げ、警戒の構えを取る髑髏覆面の党員ども。しかし捕方は刺股さすまたや十手、棒を手にジリジリと取り囲んでいく。今回ばかりはこちらが優位、いざ捕縛せんと鬼塚が右手を上げた。その時である。

「クックック。これだからあなた方はいつまでも髑髏覆面、我らの手駒のままなのです。道を開けなさい」
「――!?」

 髑髏覆面の後ろから、般若面を付けた男が現れた! しかも山高帽に洋装とマントという、極めてアンバランスな出で立ち! あからさまに怪しい男である!

「――!」
「――!」

 二十人は軽く上回る髑髏覆面の群れが、一斉に左右へと道を開く。般若面の男は即席の花道をしゃなりと歩くと、捕方の三歩前で慇懃な挨拶を執り行った。頭を下げ、左手は腹部、右手は背の後ろへと動かしていく。奉行所の面々には、すべてが奇妙な一礼だった。

「どうもどうも、奉行所の皆様方。雁首揃えての大捕物、まことにご苦労さまでございます。わたくしは髑髏党の幹部が一人、洋刀サーベルの般若と申します」

 山高帽をかぶったままに礼をした般若。しかし顔を上げたかに見えた次の瞬間には、阿鼻叫喚が巻き起こった。

「ぐわっ!」
「ぎえっ!」
「なっ!?」

 突然、数人の捕方が目や鼻を押さえてうずくまる。無論、手傷が生まれていた。一見、かまいたちにでも皮膚を削がれたのかとでも問いたくなるような事態の急変だ。しかし、家伝・冥鬼一刀流の熟達者でもある鬼塚は一人真実を見抜いていた。読者の皆様におかれても、その動体視力をフル稼働して頂きたい。般若は顔を上げるや否や神速にも等しい速度で洋刀を抜刀、奇妙にしなるその得物を振りかざし、手近な捕手数人の皮膚を削いだのだ。なんたる腕前!

「皆下がれ! 俺が相手する!」
「鬼塚様!?」

 鬼塚は決断した。ここで己が般若を止めなければ、今回の捕物は失敗に終わる。それは北町の威信を傷つけ、さらなる不穏分子の跳梁を招いてしまう。たとえ刺し違えてでも、般若を捕らえねばならぬ!

「――!」
「鬼塚様!」

 両陣営からの声援、あるいは叫びが交錯し、鬼塚と般若は構えを取る。鬼塚は家伝の初歩たる上段、攻めの構えを取り、般若はサーベルを片手に持ち、半身の構えを取った。鬼塚の頬に、汗がたらりと流れる。間合いと得物のしなりによる攻撃半径は般若に有利、そして腕前にも幾分かの差がある。熟達者が故に、鬼塚には分かってしまった。だが、それでも!

「うおおおっっっ!」

 気勢を上げた鬼塚が踏み込む。それ自体は裂帛、そして並の剣客よりも遥かに速い。しかし般若は淡々とサーベルを振るった。鬼塚の振るう豪剣に比して、サーベルは細い。まともにぶつかればサーベルが折れる可能性さえもあった。だが、般若のサーベルさばきは神域と形容してもいい領域にあった。刀の横合いから巧みに刀身をしならせ、手首を返して刀を巻き取ってしまったのだ! 豪剣は地に落ち、般若が踏み込む。勝負ありかと、鬼塚は目を閉じた。喉元にサーベルの気配。デコ八たちの悲鳴が耳に入る。

「鬼塚様!」
「畜生! 矢とか鉄砲とかないのかよ!」
「ねえよ! 仮にあったとしても、野郎に当たる気がしねえよ!」

 この期に及んで己を救う手立てを目論む奉行所の同志たちに、鬼塚は心から感謝した。引き伸ばされた主観時間の中で、サーベルの剣先が動いた気配を捉える。その時、一陣の風が吹いた。

 ヒュンッ!
 ギィンッ!

「何者ですか!?」

 なにかを跳ね除けた般若の慇懃な声が響き、サーベルの気配が引く。急激な空気の変化に、鬼塚は目を開けた。その視界に、入って来たるのは。

「天網恢恢疎にして漏らさず。月光もまた同じなり。我、月よりの使いなり」

 横合いの路地から、ザッ、ザッ、と大地を踏み締めて歩く男。肉体はさして大きいわけでもない。されど、威容気風に光があった。例えるのであれば、そう。満月の如し。
 その男の風体は、奇妙であった。頭と口元を黒色の布で覆い、漆黒の着物に身を包んでいた。大小二本を腰に差し、胸元に輝く紋所は黄金満月。そう、過日鬼塚たちを救った、自称・月よりの使者である!

「月よりの使者……世迷い言ですか? それとも……」
「正気か狂いか、その刀で知るが良い!」

 おお、見よ。自称・月よりの使者が、恐るべき踏み込みを見せた。未だ十歩は開いていたであろう間合いからほとんど一歩、あるいは二歩か。消えたかと思えば現れたかのような速さで、彼は般若へと突っ込んだのだ!

「月歩一足詰め。月よりの使者、安易に見切れると思うなかれ」
「くうっ!」

 いつの間に抜いていたのかと思わせるような早業の二刀に、さしものサーベル使いもたじろぐ様子を見せた。鬼塚に見せた余裕の剣術はどこへやら、しなりを駆使して二刀を捌くのがやっとといったありさまである。

「これは……」
「ぬうんっ!」

 徐々に押されていく般若に対し、自称・月よりの使者はさらに勢いを増して攻め立てる。いよいよ二刀は目で追い切れなくなり、旋風が木を薙ぎ倒すが如き様相を呈し始めた。そして。

「せいっ!」
「っ!」
 カァン!

 見よ! 月よりの使者の豪剣が、峰打ちをもって般若の面を叩き割った! 般若は慌てて右の手で顔を隠し、使者に対して背を向ける。そこをかばうように髑髏覆面どもが戦へと割り込んだ!

「――!」
「――――!」
「チッ! おいらたちも行くぞ!」
「応ッ!」

 髑髏覆面の割り込みに呼応して、デコ八を筆頭に捕方たちも動き出す。たちまち場は乱戦となり、再び北町奉行所は大戦果を挙げた。しかし事態にケリがつく頃には洋刀の般若は逃げ切っており、自称・月よりの使者もまたその姿を消していた……。

「一体全体、あの男は何者なんですかねえ……」
「さあな。だが……」

 すべてが終わった後の場を、呆然と見つめるデコ八。鬼塚は背を向け、吐き捨てた。視線の先には、あいも変わらず月が輝いている。

「我々の危地に、奴は出てくるらしい。今のところは、敵ではなかろう」

次回

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