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#ゆる創作 満月侍③

 西暦一八五四年、日本は黒船の圧力に屈する形で遂に開国を選択した。しかしその選択は同時に、東洋の神秘を求める暗黒陰謀結社や、日本の夜明けを目指す不逞の集団などを励起させるものともなってしまった。
 そんな怒涛の時代。江戸北町奉行所に所属する同心の鬼塚と岡っ引きのデコ八は、不逞の集団・髑髏しゃれこうべ党との攻防を繰り返していた。そのさなか、髑髏党の幹部を名乗る男、洋刀サーベルの般若に追い詰められた鬼塚を救ったのは、またしても月よりの使者を名乗る覆面の男だった。その正体は一体? そして鬼塚たちは髑髏党の全容と目的を掴むことができるのか?

 ***

「ひでぇ殺しだ」
「コイツぁ相当の腕前ですぜ。縦横十字にバッサリだぁ」

 江戸を巡るはいくつもの河川と堀。その一つの川っぺりにて、一つの奇妙な斬殺死体が上がった。顔には髑髏党の手下であることを示す髑髏どくろ覆面が装着され、身体は正中線と、その直角に交わる線をもって見事に真っ直ぐ斬られていた。たまたま現場に居合わせた鬼塚とデコ八は、そのまま屍体の検分に当たっていた。

「で、旦那はどう見ますかい? 髑髏覆面ってこたぁ、恐らくなんでしょうけども」
「早合点するな。髑髏覆面を外して、仏さんの身元から洗わにゃなんめえ」

 逸るデコ八を制しつつ、鬼塚は髑髏覆面を外しに掛かる。しかし顔に食い込んでいるのか、なかなか取れない。力いっぱいに引っ張るが、かえって食い込んでしまうありさまだった。

「くっ、コイツ棘でも付けてやがんのか。取れやしねえ」
「鬼塚さん、そのままで。ハッ!」

 その時、横合いから第三の声、そして掛け声が響いた。直後、剣閃が覆面と顔面、その空間を走っていく。突然として抵抗から解放された鬼塚は、そのままもんどり打って転がった。

「な、なんだってんだオイ……って、覆面が取れたじゃねえか」
「失礼しました。苦労されてるようでしたので」

 髑髏覆面を手に、目をパチクリさせる鬼塚。そんな彼に頭を下げたのは、これまた一人の同心だった。一見、人の良さそうな顔立ちをしている。しかしデコ八が突如彼に噛みついた。

「あ、臆病じゃねえか! 剣の腕はあるくせにこの腰抜け野郎!」
「うわ、出し抜けに酷いですねデコ八さん! 私にだって奥田兵介(おくだひょうすけ)って、立派な名字と名前があるんですよ!」
「うるせえ! おいらにだって八五郎ってな、親からもらった名前があるんでい!」
「八、やめねえか」
「鬼塚さん、だってコイツ先日もこの間も……」

 あまりの剣幕に鬼塚が割って入っても、デコ八の怒りは収まらない。それもそのはず。今回ばかりは、デコ八の方にも一定の言い分があった。

「鬼塚さん、すみません。私が悪いところもあるんです……。二度に渡って、敵前で逃げたりするから……」
「おう。貴様があちこちで臆病呼ばわりされ、実際に臆病をしでかしたことは俺も知っている。だがなあ、見ろ。八、お前もだ」

 鬼塚に促され、デコ八と奥田は周囲を見る。すると民衆たちが遠巻き、不安げに自分たちを見ていた。顔を突き合わせ、ひそひそ話をしている者もいる。お世辞にも、奉行所が信頼されているとは言い難い状況だった。

「俺達の仕事は、江戸の平和を守ることだ。こうして市中で殺しが起きているのに、肝心の俺たちが言い争っててなんになる。まずは一刻も早く、この事件を解決することから始めようじゃないか」
「へえ」
「わかりました」

 鬼塚の言葉に、二人は首を縦に振る。鬼塚はそれを見届けると、再び屍体の検分へと向かうことにした。彼の心には、今一つの引っ掛かりがあった。

「縦横十字にバッサリ……一刀の二振りか、それとも……」

 ***

 夜更け。未だ常夜灯など少ない江戸の夜は、提灯なしでは歩き難いほどに暗い。遠くでは犬が鳴き、虫の声がざわざわとする。人の声はすっかり途絶えた、夜の世界である。
 しかしそんな中にあって、提灯が一つ。例の川っぺりに佇んでいた。すわ幽霊か。否、提燈明かりに透かした顔にはいかめしくシワがのぞく。北町同心、鬼塚その人であった。

「……やはりあの死体は手練の仕業だ」

 デコ八も連れずに一人、彼は川の周りを散策する。いや、ただの散策ではない。その目は鷹のように光り、何一つとして違和を見逃さぬように研ぎ澄まされている。現場百遍。基礎において先達より仕込まれたことを、彼もまた遂行しているのだ。

「あの食い込みようからして髑髏覆面が後付けという線はほとんどない。と、すれば」

 彼は推理を組み立てる。今宵、彼がデコ八さえもこの場に連れてこなかったのには、一つの理由があった。彼は此度の下手人を、すでに二通りにまで絞っていたのだ。そして――

「来るよなあ。ああ、どちらかは」

 闇夜に響く足音は、己が思うよりも大きく聞こえる。ましてや目耳に聡い者であれば、余計にだ。そして鬼塚は、聡い方の男だった。刀の鯉口をいつでも切れるようにして、待ち構える。

「…………」

 果たして現れたのは、奇妙な風体の男であった。頭と口元を黒色の布で覆い、漆黒の着物に身を包んでいた。大小二本を腰に差し、胸元に輝く紋所は黄金満月。鬼塚は、この男を知っていた。

「月よりの使者どの」
「……引いて、くれぬか」

 互いに短く、言葉を交わす。布でくぐもった声には、あいも変わらず心当たりはなかった。二度に渡る恩人を前にしてしかし、鬼塚は引かなかった。いや、引けなかった。

「貴殿にもまた、下手人の疑いがございますれば」

 鬼塚は、先手を打って抜刀した。刀を掲げ上段、攻めの構えを取る。家伝・冥鬼一刀流であった。

「待て。いや。待って、くれぬか」

 しかし月よりの使者は抜かなかった。両の手を広げ、数歩引く。戦意はないと、示すかのように。

「今宵ばかりは。真に我々の味方であるならば、顔を晒し、堂々と振る舞われよ」

 じり、じりと鬼塚は使者へと迫る。さなか、彼は使者の目を見る。そこには正気の光があり、狼狽の色があった。故に一つ、確信を持つ。だが、それは個人のものでしかなかった。

「差支えなければ、奉行所までご同行を。私とて、貴殿と刃を交えたくはない」
「断る」

 せめてもの説得。されど使者は首を横に振った。すべてはここまでなのか。鬼塚はいよいよ刀を振り下ろさんとする。だがその時、使者が動いた。闇をも喝破する満月の如き視線が、鬼塚ではなく、暗中に向けて動いたのだ!

「ハッ!」

 一瞬鬼塚に向けて投げられたかに見えた小柄は、しかし彼を素通りしてあらぬ方角へと向かう。それは近場に立っていた木の上だった!

「チイッ!」

 小柄が暴いたのは、木に潜んでいた三人目の姿だった。たまらず木から飛び降り来たのは、素顔を晒した、豪傑じみた風体の男。擦り切れた藍色の上下に、ぼうぼうの髪髷。髭も野放図に生えており、やはり大小二刀を提げていた。

「北町とお主が争うならばと、高見の見物を試みた。だが、そうは問屋が卸さぬか」
「天網恢恢疎にして漏らさず。月光もまた同じなり」

 月よりの使者が歩み出す。気風満月、気迫の漲った歩みであった。鬼塚は、圧される形で脇に退く。

「良かろう。我が名は『殺しの竜』。髑髏党の始末屋よ」
「月よりの使者、いざ参る」

 鬼塚は見る。抜刀もしていないはずの両者の間では、すでに幾重もの見えざる攻防が繰り広げられていた!

次回

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