429 群像劇の断片図④

バラ撒き屋(一人目)

【抜天島地上・観光街路裏路地】

抜天島の夜は、きらびやかなものとなる。本土からの観光客向けに設えられた繁華街が並び、小金を束ねて遊び来る者共に一夜の夢を与えるのだ。
かつてより『抜天の十円は本土の一円』と称されていた貨幣価値の差も、その乱行に拍車をかけていた。
船旅限定という条件はあれど、場合によっては東南アジアよりも安全かつ安く楽しめるのである。結果として、ここ数年の抜天は本土よりも好景気であった。
きらびやかなネオンに、露出も際どく男を誘う夜の蝶。客引きの男は手当たり次第に声を掛け、ネクタイを鉢巻きにした古典的サラリーマンが高歌放吟して通りを闊歩する。
そんな日の当たる世界も、ほんの二、三歩裏路地に入っただけで。たやすく陰の姿をさらけ出す。

「う、ううう……」

涙と血と、吐瀉物に塗れて倒れる男も、その陰の一つだった。裏路地では日常的に見かける風景だ。
表通りの酒場には明朗会計やサービス価格が溢れているが、裏の酒場は甘くない。むしろ海に沈められていないだけマシである。

「うぐ、う……」

男は嗚咽していた。己の不甲斐なさと、知らぬ間に積み上げられた負債。そして暗黒の未来を想起し、怯えているのだ。

「畜生……。なんだって……! 十年金を貯めて、ようやく。ようやく抜天に来たのに……」

男の目には、憎しみが宿る。しかし吐き出す場所はない。
報復に乗り込んだところで、更に痛め付けられるのがオチだった。警察に駆け込むという手段もないわけではないが、反応は鈍いに違いない。ガイドブックにも書かれていた。
打つ手のなさに、男はへたり込むが。

「お若いの、どうなすった」

不意にかかる声に、男は顔を上げた。目の前には、裏路地には不似合いな、車椅子の老人が居た。いつの間に、どこから。老人は、タオルも差し出していた。

「汚れていなさる。拭きなさい」
「うう……すみません……」

男は泣きながら、自分の分泌物を拭っていく。今度の涙は、感涙であった。その最中、ころりと金属がタオルから落ちた。

「……これは?」

老人は答えない。ただニコリと笑っていた。男は、金属を拾い上げる。左手に取り、じっと見る。すると、ぬるりと動いて。男の口に滑り込んだ。

「モゴ!? うっ……がっ……!」

口いっぱいに膨れ上がる金属。飲み込めずにもがく男。その姿に、老人はほくそ笑んだ。

「フホホ……。お使いなされ。貴方にはその資格があるようです」
「もごーーーっ!」

男の視界から、老人の車椅子が消えていく。男にはそれが、闇に消えていくようにも見えて。やがて暗い思考が、彼の頭を埋め尽くしていった。


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