義太夫戦記~戦闘蠱毒・抜天之島~

 抜天、と呼ばれる島があった。日本本土から南に一千海里。かつて流刑地として扱われたその島は、棄民の果てに本土から切り離され、果てのない戦場となった。

 抜天の地にはなにもない。暦も、単位も、昼夜の別も、法律も、平和も、教育も、やすらぎもない。男も死ぬ。女も死ぬ。いや、九割は死に、一割は犯される。だが犯されて孕めば身動きが取れずに死に、万に一つ……いや、億に一つ子をなせたとしても結局は死ぬ。
 死に死に死にて、人が減る。すると本土からまた罪人や棄民が送られる。すると人口が増え、島が手狭になる。あるいは、一等強き者が島をまとめあげんとする。
 それによって起こることは一つ。処刑人の襲来だった。処刑人は時に強力な個人、時に集団戦に長けた部隊であり、全てを薙ぎ払い、戦場を戦場に固定した。

 戦場における果てなき争乱は、抜天の人間に複雑怪奇なる選択と進化をもたらした。己の身体そのものを武器へと変える者……目や手足から光芒を放つ者……遠間から刀や拳を敵に打ち当てる者……あまりにも多種多様な戦闘能力が生まれては消え、消えては生まれた。あまりの凄まじさに、誰かすら知れぬが、人はこう呼んだ。戦闘蠱毒・抜天之島。

 さて、皆の者は見るがいい。抜天之島の一角に、死骸で作られた山があった。しかも二つ。ほぼ同等。平屋の二階建て程度の高さ。いずれもこの一時間(日本本土標準時解釈)の間に作られたものだ。その頂点には、二人の男。
 まずは右の山。こちらに座すは大男だった。筋肉で構成された鎧の如き身体もさることながら、不可思議なことに各所から黒煙が上がっていた。ケタケタと笑みを見せてはいるが、歯は全て金属で構成され、尖っている。奇怪にして、機械であった。
 では、左の山はどうか。こちらは見た目の限りでは人間だった。長い前髪の下に眠たげな目を隠し、黒髪を後頭部で乱暴にくくっている。着流しは白地で、なにやら達筆が書き散らされていた。左腕には、朱鞘朱柄の日本刀を抱えている。造形は雑だが、奇妙でも奇怪でもなかった。

「死体作りじゃラチが明かねえ。チョクでケッチャコ、付けようやあ」

 先に声を上げたのは右の山だった。全身をギシギシ言わせながら、躯の山を下りる。しかし黒髪の男は動かない。眠たげな表情を崩さぬまま、黒煙を上げる男を見つめていた。

「なんだぁ? オマエ、来ないのか? じゃ、俺がいくぜ?」

 黒髪男の態度が、気に障ったのだろう。黒煙の男は頭頂と両肩、両膝から煙を噴き上げ、加速した。二つの山の間は百メートル(便宜上メートル法にて表記する)はあったはずだが、五歩も歩まずに駆け抜け……

「いくぜイくぜイクぜイクゼい……っ!?」

 る前に真っ二つに割れた。汚らわしき内臓物が見開きとなり、死体の山にまた一つ加わる。腕や足、頭部など各所は、人だった頃の面影がないほどに改造され切っていた。黒髪の男は屍の山を下り、そのザマを一瞥する。眠たげだった顔が、大きく歪んだ。眉が吊り上がっている。

「どうも変だと思ったら……。【人間工房】の狂気学者の手技かい」

 彼は心底面倒そうに口を開いた。あの工房の狂気は、抜天にまた別の惨禍をもたらしている。本来なら真っ先に潰すべき勢力であるが、いかなる因果か、彼らはこの蠱毒にがっしりと根を下ろしてしまった。そうして無慈悲な技術《てくのろじい》をバラ撒いているのだ。許されざるものだった。憎むべきものだった。なのに。

「……『あの男』とはやりたくねえんだがな」

 彼は天を仰いだ。空には黒雲が漂い、雨が降ろうとしていた。血河は雨に流されるやもしれぬが、屍山はしばらく残りそうだ。

「【葬儀屋】に任せるしかねえわな」

 男は雨霞に身を委ね、ふらりふらりと歩み出す。日本刀を収める朱色の鞘は、雨の中でもくっきりとしていた。

 ***

 雨中をのそりと、義太夫《ぎだゆう》は征く。奇怪にして機械なる集団を生み出す狂気の腸、【人間工房】。彼らをブチ殺さねば、義太夫の腹の虫は収まらなかった。怒りを委ねるように懐から煙管《キセル》を取り出し、振るう。怒りを込めて振ったにもかかわらず、煙管は折れも砕けもしなかった。

「コイツ一つで武器になる……ジジイの言う通りだな」

 かつてくすねた相手を浮かべながら、言葉をこぼす。雨脚は更に強くなる。さしもの戦闘蠱毒も、豪雨ともなればわずかに緩む。身体の障りが、命に関わるからだ。すべての音が、雨霞に消えていくようだった。

「……頭冷やすにゃ、丁度いいか」

 義太夫は島の北岸へと向かっていた。煙管を弄ぶ内に、遠い昔を思い出した。師の煙管から立ち上る煙を、見上げながら歩いたあの日。義太夫は物心ついたときから、この島の住人だった。

「おい小僧、お前の父親は儂ではない。故に父上などと呼んでくれるな」
「父上は父上です」

 なにげなく交わしたしょうもないやり取りが、昨日のことのように思い出せる。同時に刀の扱いも徹底的に仕込まれた。学ばされたのは、師が戦いの中で修めた守りの剣。しかし日夜暇なく血と死骸に塗れるこの島で、守りは死ぬのみだと彼は学習した。義太夫は己の才覚一つで、学んだ技を人斬り手管へと変えていった。

 そうして背丈が育ての親を越えた頃。彼は突然として言った。いつものようにひょうひょうと、しかし瞳の色は真剣そのものだった。師としての言葉を、義太夫に言い放った。

「儂に一撃くれてみろ。そして出て行け」

 ちょうど今のような雨の日だった。義太夫は即座に決意した。二人がねぐらにしていたあばら家から飛び出すと、近くの小屋から朱鞘の日本刀を持ち出した。傍らには小さな墓標。かつて彼が、最初に斬り殺した相手の得物だった。

「ジャッ!!!」

 鞘から抜いた刀は、水が滴るような清冽な音を発し、剣閃が空を舞った。師が鍛え上げた義太夫の力量が、抜天進化の一端へと触れたのだ。しかしそれは一端でしかなく、抜天全体では児戯に等しい。だが、師の予想だけは上回った!

「ぬうっ!」

 老いつつある師の顔に、一筋汗が流れる。義太夫の目はたしかに捉えた。そう。剣閃を飛ばす技は、師から賜ったものではない。刀振り続けて得た力を殺しに使い、さらにはこの場にて全力で振り抜いたからこそ、剣閃が飛んだのだ。

「【刀街道《とうかいどう》二番宿】――いや――」

 虚空から二本の刀が現れる。だが間に合わない。未熟な剣閃飛翔なれど、完全に師の不意を討っていた。額に刀傷が走り、血が噴き出す。師の思わぬ姿に義太夫は震え、それでも動いた。近づき、煙管をくすね、そして飛び出す。

「あばよジジイ! せいぜい長生きしやがれ!」

 憎まれ口を吐き捨て、生死の確認さえも怠る。勝利とは裏腹に、どこか口惜しさだけが心に残っていた。

 ***

「……おおよそ、今頃が四つほど前か」

 その肌感覚に、間違いはなかった。あれから背も髪も伸び、服も改めた。ある日斬り殺した相手の服が、滅法目を引くものだった。それだけで奪い取ったものだった。一般的には略奪だが、抜天では日常でしかなかった。

 感傷の向こうに、ざわめきが聞こえた。おおよそ予想はついていた。【人間工房】の連中はいかなる方法によりてか、こちらの動きを先読みし、迎撃を配する。かつて人伝に聞いた言葉は、真実だった。道の向こうと同時に、空も見る。気付けば驟雨は、ピタリと止んでいた。晴れやかな空に、義太夫は見出す。

「今日に死ぬる、志半ばに死ぬるも、また良きか」

 一歩、また一歩。穏やかな心持ちで進む。敵手は憎いが、さりとて囚われてはならじ。しかし相手は相手である。かき乱してくる。もはや人間として濁り切った文言が、義太夫を出迎えた。

「ガビー」
「ゲッヘッヘッヘ」
「ゲイゲキ、スル。ゲイゲキ、スル」
「そうか、来い」

 抜天にて【人間工房】が忌み嫌われる百八の理由が一つ、改造屍体の軍勢。彼らが抜天に勢力を確立し得た、最大の理由。しかし義太夫は、涼やかに受け流した。

「ハナテエエエ!」
「やはりかっ!」

 戦闘は屍体軍勢の一斉火力投射から始まった。銃火器、眼球や指先からの光芒《レーザー》照射、ロケットパンチにロケットキック、砲弾、火炎放射……ありとあらゆる火力が、ただ一人を逃さぬために撃ち込まれたのだ。

「チッ!」

 義太夫の選択は回避。すべてを迎え撃つのは不可能ではないが、コストとリスクが高すぎた。背を向け、来た道をひた走り、崩折れた建造物の影へと潜む。日夜争いの絶えぬ抜天にも、遮蔽物は存在するのだ。しかし義太夫の耳は、ひときわ大きい音を捉えた。

「くっ!」

 再び前進を選択。精確な砲弾が、己を目指していたのだ。建造物に見事着弾し、破片が爆ぜる。決断が遅れていれば、そこで終わっていただろう。

「殺るっきゃねえか」

 埒が明かぬと、腹を決めた。義太夫は朱鞘を抜き、もう一振りを虚空から呼び寄せた。抜天の者にとって、刀を始めとした武具の召喚はもはや基礎である。しかし基礎と基礎をかけ合わせれば。未熟だった剣閃も、四年の時を戦と鍛錬に費やせば。

「行くぜ。火力を刀で迎え撃つには――」

 二刀――どちらも太刀である――を大きく構え、乱れ撃たれる火力を睥睨する。しくじれば終わりだが、終わる気はない。

「こうだ。【殺戮報刀《さつりくほうどう》之二時・乱れ剣閃】!」

 二・四・六・八……義太夫の振り下ろす刀が次々と剣閃を生み、火力群を迎え撃つべく飛翔する。相殺。相殺、相殺、相殺。三十二・四十八・六十四。右へ左へ、舞うが如く。次々に振り下ろされ、放たれる飛翔剣閃。義太夫は精神力の髄を尽くし、刀を振るい、剣閃の弾幕を生み出す。やがて彼方に着弾音が轟く。火力群の再装填の隙間を縫って、剣閃が効力射へと変じたのだ。

「オボー!」
「ゲゲゲゲイイイイゲゲゲゲ」
「イダイシヌダズゲデ」

 再殺。再殺、再殺、再殺。一度死した者が、再び物言わぬ死骸へと還っていく。義太夫は前進し、躯を見る。切られた箇所には、すべからく技術《てくのろじい》の痕跡。冒涜行為に、奥歯を鳴らす。

「【人間工房】、許すまじ」
「ガ、ゴギ……」

 機械どもの断末魔を振り払うように、一発の剣閃が戦場を薙ぎ払った。それだけで義太夫一人が通れる程度の道が生まれる。彼は突き進んだ。大股でもなく、腰を引くでもなく。異彩を放つ、黒白の建造物へと歩んでいた。そして、居た。義太夫が、最も会いたくなかった男。

「風の噂で聞いちゃあいたが、やっぱり痛々しいもんだぜ」
「抜かしおる。お主のせいで、義腕に義足に義眼の身。それも片方ずつだ。用心棒でもせねば、支払いもままならんのよ」
「負けたお前が悪いんだ、与四郎《よしろう》」

 身体に対して、非常にバランスの悪い鋼鉄の右腕。右足との連携に害がありそうな太さをした、左の義足。あからさまに光芒を放ちそうな左の義眼と、周囲の接続物。顔の四分の一が、鋼鉄と管に覆われていた。

「そうだな。ああ、その通りだよ。義太夫」

 肩の辺りから黒ずんだ蒸気を噴き上げ、敵は言った。次の瞬間右腕が伸び、仰々しい装甲が剥がれていく。腕と一体化した、あまりにも長く太い刀剣。殺意を煮詰めた凶器が、姿を見せた。振り上げ、振り下ろす。緩慢とはいえ、質量そのものが兵器だった。

「てんめえ!」

 受けたら最期のその一撃を、義太夫は右に跳んでかわした。刀は地面を粉砕し、めり込んだ。振り上がりまでのタイムラグを、義太夫は突貫に賭けた。しかし。

「甘い!」

 与四郎の猛る声を聞いて、義太夫は右前方に踏み込み、かがみ込んだ。直後、殺意に満ちた太い光芒が、彼の着流しをかすめた。声がなければ、撃ち抜かれていたことだろう。汗が一筋垂れるが、気にせず、さらに踏み込む。だが。

「死ねやあああ、義太夫ううう!!!」

 絶叫とともに左半身を露出した与四郎。恐るべきことに、そのすべてが銃口に覆い尽くされていた。瞬く間に、義太夫へ向かって弾丸が飛ぶ!

「かあっ!」

 義太夫はとっさにもう一歩踏み込んだ。同時に抜刀し、居合めいて剣閃を飛ばす。勢いを利して転がり、距離を取る。剣閃は弾丸に相殺され、届かず。さらに数歩飛び退き、己を立て直す。考える。与四郎の連携《コンボ》と防御は実に危険な代物。懐を取るのは難しい。しかし遠間では大剣の重い一撃が来たる。

「なら、殺る」

 朱柄の日本刀を右手に握り、半身の構えから大きく引く。縦横の剣閃は抜天戦闘の基礎基本。されど、この技は。

「ブハァ! 死ねや! 義太夫ゥウウ!」

 向き直った与四郎はさらに恐るべき変形をこなしていた。やたら太かった左足が、無限軌道《キャタピラ》へと生まれ変わっていたのだ。ゴウンゴウンと音をかき鳴らし、ひび割れた大地を踏み越えんとする。

「与四郎ォオオ! これで五度目だったかぁ!? 執念は認める! 認めてやろう!」

 与四郎を見据えて、義太夫はさらに体をねじる。狙うは眉間。外せば敗北。呼吸を整えれば、ただ一点のみが見えた。

「だがくたばれェ! 【殺戮報刀之一時・直突き閃刀】!」

 それはまさに光の速度であった。与四郎からすれば、光が一点見えた程度だろう。だが、間違いなく突きは剣閃となり、飛翔した。
 義太夫が限界までねじった上半身から繰り出された突きは、物理法則を越えて飛翔し、与四郎の眉間をまこと正しく撃ち抜いた。頭蓋骨の防御を打ち破った剣閃は、一筋流れる血とともに、与四郎の身体を地面へと縫い付けたのだった。

「……これで良し。六度目は勘弁してくれよ」

 義太夫は与四郎の屍体を見ようともしなかった。与四郎は途上の敵、路傍の石塊でしかない。本命は、もう二百歩は先にあった。わらわらと溢れ出てくる屍の機械兵。しかしここまでくれば、もはややることは一つだった。

「ジジイは五十三本刀を喚べる。その上防御限定とはいえ、ちっとは操れる。やっぱりすげえや。俺がどんなに集中しても、全能力を注いでも。やはりこいつが限界だった」

 刀が次々と喚び出され、義太夫の近くに浮かんだ。全て抜身であり、切っ先は工場へと向いていた。その数、しめて二十と三本。義太夫を囲むように配されていた。

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオ!」

 屍の機械兵が鬨の声を上げる。義太夫は汗を垂らしつつも、目を閉じた。全ての意識を刀へと集中し、朱柄の刀を握り締めた。一つしくじれば、己が刀に切り伏せられる。全神経を二十四本の刀に通す。刀と己が、一つになる感覚。右足を踏み出し、朱柄の刀を振り下ろし、全力で吠えた。

「いくぜ【人間工房】ォ! 【殺戮報刀二十四時・全開放】!」

 ブオオオンンン!!!

 朱柄と同時に縦に振られた二十三本の刀が、異様な共鳴音をかき鳴らす。剣閃が飛び、二十三本の刀がミサイルじみて屍の機械兵を襲った。土煙、断末魔、爆音。義太夫の目では追い切れぬほどの阿鼻叫喚。耳をふさがず、義太夫はすべてを捉える。
 やがて、阿鼻叫喚の向こうで大爆発が起きた。キノコ雲が立ち上った。義太夫の放った二十四本の剣閃が、黒白異彩の【人間工房】を粉砕したのだ。工房は抜天の大地へと崩れ落ち、残り火と正体不明瞭のガスが大地へと流れ始めた。

「呆気ねえ」

 義太夫は力なくつぶやいた。誰もが取り立てて潰そうとしないかと思えば、己の想像よりもたやすく、この大地から消え去ってしまった。

「……行くか」

 このままではガスに飲まれ、己の行為が無駄となる。義太夫は廃墟に背を向け、屍骸だらけの道を歩き始めた。ただし、彼は三つの事実を知らなかった。知らないままに、立ち去ってしまった。

 一つ。【人間工房】の工場は、地下こそが本命であったこと。
 二つ。【人間工房】は本土から送り込まれた処刑組織であること。
 三つ。本土からの支援がある限り、【人間工房】の復活は容易であること。

 抜天育ちの攻性剣客・義太夫と、狂気の人間改造結社の戦いは、まだ始まったばかりだった。

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