鉄脚のジョウ・プロト版

第一話(仮)

 踵《かかと》。それは人体で最も硬い箇所の一つである。人間の体重を支えるための分厚い皮膚がその要因だ。ならばその硬い踵を、人の身体に叩き込めばどうなるか。ジョウ・スバルは、義足ながらによく知っていた。その鉄脚を振るうが故に。

 とある夜更け。派手なシャンデリアが天井に設置された、やたらと広い部屋。あちこちに趣味の悪い物品が飾られ、主人の性格をうかがわせる。

「チッ」

 黒一色の装いに身を包んだジョウは、シャンデリアを見て舌を打った。昨年の敗戦以来、厳しく統制されているはずの電気。それを派手に使っている時点で、部屋の主は彼の逆鱗に触れていた。

 彼の背は高く、黒髪を後ろへ撫で付けていた。黒のスーツに黒のズボン。黒のネクタイに黒のシャツ。上から下まで、肌以外の全てが黒で覆われていた。ジョウは一人の男を壁際に追い詰め、へたり込ませていた。

「た、助けてくれ。金ならやる」

 男が必死に、身振り手振りを交えて訴える。動きにつられて、身につけている貴金属がジャラジャラと鳴り響く。毛皮のコートに包まれた肥満体は、あちこちから汗を噴き出していた。

「よ、よし! 金で足りなければ、女もくれてやろう。ちょうど地下に、絶品の女が一人居るのだ。ソイツで手を打ってくれ!」

 黒一色の男が無言でいると、更に肥満体は手を打った。条件で折り合えると踏んだのだろう。だが、真実は逆だった。肥満体が声を上げれば上げるほど、かえってジョウの心は冷え込んでいった。

「断る」
「ひっ!」

 泣き言を切り捨て、睨みつける。それだけで肥満体は高い声を上げて驚き、目から涙をこぼした。ジョウは心底呆れ果てた。あまりにも無様な上に、戦場でとうに見飽きた姿だった。なによりこの男は、復讐の道に転がる小石に過ぎない。

「その醜く肥え太った身体でしか。お前の罪は贖えぬ。不幸な娘から姉を奪い、無下に死なせた罪はな」

 ジョウは決意をもって肥満体を断罪した。どうあろうとも、目の前の男に情けをかける気はなかった。二歩開いていた間合いを、一歩に詰める。見下ろせば、汗と涙でぐちゃぐちゃになった肥満体の顔。高い背を屈めて目を合わせ、脳裏に刻み込まんばかりに睨み付けた。

「ひぃいいいいっ!」

 肥満体が更に縮み上がり、失禁した。水音が部屋にこだまし、アンモニア臭が広がる。肥満体はうつむき、屈辱に打ち震え始めた。

 ジョウは引っ掛けられないように一旦距離を取り、落ち着くのを待って別の壁へと肥満体を引きずった。

「へぶっ」

 半ば叩き付けられるように壁へ座らされた肥満体が声を上げる。ジョウは右目で、その姿をしっかりと捉えた。一歩の間合いまで再度近付き、魔法仕掛けの義足――鋼鉄製の右足を振り上げる。隻眼のために距離感は取りにくいが、この距離ならミスはない。

「あああああ! あああああああ!」

 進退窮まった肥満体が、遂に手足をばたつかせた。言葉にならない叫びを上げ、身を守ろうとのたうち回る。逃げるそぶりこそないが、わずかでも生き延びようとする往生際の悪さがあった。

 無様の更なる上乗せに、ジョウは溜息を吐く。一拍置いた後、心を叩き折る言葉を放った。

「暴れるな。狙いがそれて死に損なうぞ」
「ひっ!」

 肥満体の顔が引きつり、姿勢を正す。ほとんど反射だった。ジョウはそれだけのことをして、肥満体を追い込んでいた。ボディーガードをたやすく無力化し、鉄脚を振るって追い詰めた。肥満体に「逃げても無駄。結局死ぬ」と思わせるまで。

「安心しろ。一息だ」

 優しく言葉を吐いた後、ジョウは一気に脚を振り下ろした。鋼鉄の脚が頭蓋骨を砕き、脳漿《のうしょう》をえぐる。それはあたかも、死神が鎌で命を刈り取るような動きであった。

「ひ、あ、あ……ぶごぉ!」

 ゴッ!

 ジョウの耳が鈍い音を拾った。鉄脚を勢いのまま振り切ると、えぐった血肉が生々しい音を立てた。右足を一度振り切り、その後自然体に戻す。ほぼ同時に、肥満体が壁からずるりと崩れ落ちた。

「ふー……」

 深い呼吸で怒気を吐き出し、彼は残心した。残されたのは無残な死体と、己が荒らした部屋。そして動けぬままに咽び泣くボディーガード。ジョウは全てを見回した後、一言だけを告げた。

「……歯向かえば殺す。なにもされなければ、こちらもなにもしない」

 それきり後方は無視して、ジョウは肥満体の懐から鍵を探り出した。肥満体はどこかに女を押し込めている。行きがかりではあるが、無視するのは腹立たしかった。依頼人と同じような思いをする人間は、少ないほうが良い。

 ジョウはこの手の行為にも、吐き気を覚えるような死体にも慣れてしまっていた。鍵を鳴らしてコートに押し込み、ジョウは広間を去ろうとする。だがその時、腰に下げていた装置から声がした。

「……俺だが」
『はい、こちらサワラビ。その不機嫌さだと、始末はついたようだね?』

 板状のそれを取り上げ、耳に当てる。若干のんきそうな、若い女性の声。もう聞き慣れてしまった声だった。

「ああ」

 義足も含めて、ジョウの立場を整えてくれた協力者。彼が目的を成すためには、彼女の協力が不可欠だった。

 今使っている魔力通信装置もその一つ。近年帝都に広まりつつあったが、元は軍用品で高価なシロモノである。ジョウ自身も、軍で二、三回触れた程度である。

『死んでしまった彼女は二度と戻って来ないにせよ、敵は取った……ってところかな?』

 問われてジョウは、苛立たしげに左手で頬を撫でた。隙を窺うような仕草を見せたボディーガードを目で牽制して、言葉を紡ぐ。

「まだだ。奴が口を滑らせた。せめて牢からは出す」
『ほう! 確かに行きがかりとはいえ、胸クソの悪い話だねえ』

 電話の向こうの声は、共感を示した。だがジョウは知っている。サワラビは決して、理想主義者ではないことを。共感は示しても、態度は冷静かつ冷徹であることを。

『ただ、時間は掛けられないよ? 分かってるとは思うけど、最悪の場合は警邏《けいら》に見つかって捕縛だ。キミが牢屋にブチ込まれ、上官への復讐もなにも叶わない。それは、キミにとってあまりにも無益だと思うが』

 あまりにも現実的な指摘に、ジョウは頬を撫でる手を強くした。ボディーガードから返される殺意の視線。苛立ちが募り、語気が強くなる。

「じゃあ見捨てろと言うのか? 寝覚めが悪いし、俺が俺自身を恨むぞ」
『だろうね。キミはそういう男だ。ただ、やるにしてもしらみつぶしが一番良くない。時間の浪費だ』

 ジョウの奥歯が、ギリリと鳴った。そんな事はわかっている。だがジョウが思考を口にする前に、救いの手はサワラビの方から差し出された。

『今回はボクから出血大サービス。実はね、既にさる筋から情報を押さえていた。確かに彼は、女を一人だけ地下室に押し込めている。もしキミがいるのが広間なら。一番奥に、妙に平凡な壺がないかな?』

 ジョウは通信装置から耳を外し、目で部屋の奥を探る。言われた通りの地点に、確かにあった。闘争に巻き込まれることもなく、平凡に佇んでいた。趣味の悪い物品にまみれたこの空間で、彼が唯一評価できる物だった。

「あるな」
『だろう? 情報によると、奴はその壺の中に地下へのスイッチを隠しているらしい。鍵については、まあ仕方ないとしよう。どうも隠し通路にもなっているらしいから、護衛がいるかもしれないね』
「承知。……ああ、いや。助かった。声を荒げてすまない」

 ジョウは返事を待たずに通信を切った。気恥ずかしいのもあるが、長く話すと警邏に傍受される懸念があった。サワラビの頭脳なら既に対策済みかもしれない。だが用心に越したことはなかった。

 もう一度目線でボディーガードを牽制し、広間の奥へ向かう。壺の中へ手を入れると、確かにあった。指先で探り当てた突起を押す。広間の壁、その一部分だけが音もなくスライドした。隠し扉である。

「行くか」

 移動し、スライドした壁の前に立つ。闇の中に、ほのかに螺旋階段が見えていた。懐から魔力灯を取り出す。サワラビが、あらかじめ寄越しておいたものだった。細長い筒のような形をしたそれに触れると、たちまち行く先が照らされた。長い下りの階段が、果ても見えずに続いていた。

 ジョウは静かに階段を降りていく。魔力節約のために義足との同調を最小限にし、行く先を照らす方に力を注いだ。距離感を保ちつつ、ゆっくりと降り続ける。

「着いた……」

 主観では無限にも思えるような時間の後、ようやくジョウは螺旋階段を脱出した。見上げれば天井は遥かに高く、灯火の間隔もかなり広い。隻眼ゆえの死角を持つ彼には、あまりにも敵地だった。

「ちぃ……」

 周囲を魔力灯で照らして気を配り、ジョウは警戒を絶やすことなく地下道を進んだ。頬を手で撫でながら、人間二人がやっと通れるかどうかの通路を進む。抜き足差し足。音を鳴らさぬ気配りまでもが絶え間ない。ジョウの神経は、徐々に擦り切れていく。

 だがそれでも、歩みを止めねば光は見える。少し進んだところで、女性のうめき声が彼の耳に入った。戦場で聞いた類の声に、わずかに訝しむ。しかし、かつての敵国人が相手であろうと。ジョウのやることは変わらない。あくまで慎重に、歩みを早める。だが数歩進んだところで突然立ち止まり、空間に向けて裏拳を放った。

「シャッ!」
「ぬうっ!?」

 やはり敵手に抜かりはなかった。気配はわずかに声を上げつつ、バク転で素早く飛び退いた。魔力灯を向ければ黒ずくめに黒頭巾の男。地下の守り手と見ていいだろう。

 ジョウはただちに構えを取った。義足に魔力を流し、同調させる。相手はおぼろげにしか見えず、優位は敵方にあった。

「ダオラッ!」

 義足で地面を一踏みし、打ち鳴らす。相手の跳ねる音が耳に入った。身軽な類と、ジョウはあたりを付ける。後ろから再びの気配。素早く屈む。頭上を敵手が通っていく。間一髪だった。

 ジョウの右目が、数歩の先に着地した相手を捉える。黒装束で、ほとんど闇と同化していた。

「……」

 向き直ってなお、相手は無言だった。ジョウは思う。時間は掛けられず、そもそも戦いが続けば、体力も魔力も損なわれていく。この場、己が不利だ。なら。

「チッ!」

 気合一声、義足で地面を蹴り、加速する。ジョウの義足の動きは、ほとんど本物のそれに近い。身体を巡る魔力を通し、本物と変わらぬ動きを実現させているのだ。そして瞬間的に多くの魔力を込めることで、義足は一瞬だけ本物を上回る。爆発的な加速が、黒装束を上回り――。

「そぉら!」
「なっ!?」

 強引な二歩目で引き離す。だがこれで終わりではない。優位に立つための布石でしかない。三歩目、義足が着地した瞬間。ジョウは反転し、跳ねた。敵手の上を取り、鉄脚を暗中に掲げる。

「ッ!」
「なんと……!」

 ガゴンッ。

 重力に従って舞い降りた脚が、威力たっぷりに後頭部を捉える。前へ飛ぶ形になったジョウが着地した時には、既に黒装束は活動を停止していた。

「フウウ……!」

 深呼吸。活発になった神経を抑え込み、冷静さを取り戻していく。その耳に、再びの声。

「……タスケ、デス、カ?」

 今度は日常で聞き慣れた言葉だった。しかしたどたどしく、話し慣れていないことがすぐに分かる。ジョウは三度、頬をかいた。これは厄介なことになる。彼の予感は、あまり外れたことがない。

 事実これより、退役軍人の復讐者であるジョウ・スバルは。敗戦直後の帝都で様々な事件と戦うことになるのだった。

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