9/8 人は容易く陰に流るる

本題の前に

実は大切なことを忘れておりました。過日、このような記事をアップしたわけですが、その後、一件サポートを頂くことができました。

お金の嘆願にしてもお礼にしても、名前を出してしまっていいのかとか、どこまでハッキリ言うのがいいのかとか、わからないのが僕です。でも、これだけは言います。

サポート、ありがとうございます! 貯金して大切に運用させていただきます!



それでは本題へ

まず、昨日の記事がこちら。

この最後に書いたのが、この文だ。

そして、今ここに俺は確信した。人は、流されれば確実に『陰』を見てしまう。

引用ばかりで申し訳ないが、俺という人間にはどうしても実感が必要だ。今回俺は、地震の悪い影響という『陰』に着目した。結果、情報化社会の利点や停電下での発信可能といった『陽』の部分を見逃していた。

そしてこの視点は、人生にも当てはまるのではと俺は考えた。『陰』とは揺さぶりであり、ストレスである。『陽』とはそこにある便利な日常とハレである。そりゃあ陽は目立たない訳だ。

つまり人は普通にしていると『陰』に着目するのだ。これはどうしようもない。だって『陰』は印象に残るものだから。「アイツが気に食わない」と、「今日も炊飯器のおかげで便利にご飯が食べられる」。どっちが印象に残るか? おそらく大半の方は前者だろう。

似たような事は心理学的にもよく言われるが、実感を得るとこれは怖い。なにせ、意識しないだけで負を拾い上げるのだ。簡単に負の面一色に染まるではないか。

そりゃアドラーさんとかも負の面を気にするなとか言う訳やな。だってもう本能じゃん。『陰』が気になっちゃうの。

じゃあ俺達どうすりゃいいのさとなるけど。これはもう心理学の偉い人達が散々色々言うてる訳で。だから、俺ごときに言える事はないのだけど。

でも一言。
日常が揺さぶり塗れだけはマジでダメだわ。これ。

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