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#010 HSP、毒、薬


(帯)

宙ぶらりんの独白。
これは創作か否か。

ひとつの出来事だ。

出来事は、創作か。
この問い自体が、ナンセンスかもしれない。


(まえがき)

これは、或る男の、脳が疲れた状態の時に無意識に綴られた文字列。
数日漬け込んでいたが、そのまま過去として存在してしまう質量を持たないように、供養として世に出す。

そのままではあまりにも無防備で、トゲトゲしていて痛かったので、その先端をヤスリで丸めてある。

(本文)

「俗にいうHSPですね」

この言葉を受けたのが、いつ、誰からなのかは覚えていない。
ただ、その言葉が発せられた空気感から、決して褒めていたり、共感してたのではないという記憶だけは鮮明に残っている。

この呪文のようなアルファベットを知らなかったので、調べてみた。


なるほど、なるほど。
あれだ、「繊細さん」というやつだ
(この言葉も、最近知った。社会とはいろんな言い方をするものだ)

繊細さんという言葉には、揶揄のリズムが内包されている(ように、少なくとも僕は感じる)が、HSPと表音文字の略記にすることで、重心を上手いことずらして中和化しているようにも受け取れる。

医学用語的ニュアンスを持たせたいのかもしれないが、繊細さんもHSPもしらない僕には、二つの言葉の意味は同じに聴こえた。
そこに、鈍いリズムを感じた。


僕は言語過敏だ。
だから、自分の意思に関わらず、言語の響きとリズム、そして背景に引きずり込まれる。
無用に解像度が高くなると、結構しんどい時もある。
頭を捨てたくなる時がある。

「そんなつもりはない」
「被害妄想だよ」
「どうしてそんなふうに考えるの」
「考えすぎ」

どれもこれもが、僕には刺さる。
でも、きっとこれらは標準語。
だから、当たり前のようにこう言った言語を操る人たちに、なぜこの言葉が刺さるのかを説明しようとしたこともあるが、そこは言わずもがな。

そして、刺さる僕みたいなのが、HSPだったり、繊細さんだったりという肩書をもらえる。

僕には刺さるけど、刺さらない人も大勢いる。
だから、言葉自体は無色透明な文字列。

話し手、聞き手それぞれの言語体験によってその文字列が色付くときに、「ことば」になる。

だから、刺さる刺さらないは、言語体験の違い。

そしてそれが、
毒になるか薬になるか。
これは塩梅の話。

塩梅を掴みかねる場合でも、この塩梅を掴みたい時がある。
それには、心理的安全性が必要。


(あとがき)
心理的安全性を見つけられたから、こんなことが書けている。
少し、社会の普通とは違うかもしれないけれど。


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