何故人は生きるのか

どうして私は生きていて
なぜ人は生きているのだろう?

これは、永遠の課題のような気がする。
けど、今回ちょっとばかし
何故人は生きるのかについて
考えてみたいと思う。

この疑問の答えは無いと言うより
千差万別なんだと思う。

生きる目的を見つけて
それに向かって突き進む人も居るし

何かに貢献すること
人の為に人生を費やす人もいるし

生きる意味について
死ぬほど考えて死ぬ人もいる。

となるとやっぱり
この答えは人によるが正解なんだろう。

だから、わたしなりの
正解を考えてみた。

何故私たちは生きるのか
何故生きているのか?

そんな問いを自分に問いかける時
それは大抵、辛い時。

悲しかったり、嫌なことがあったり
もう耐えきれなくて死にたいと思ったり

そんなことが続くと
なんで生きてるんだろう?って思う。

特に、衣食住に関して
困っていなくて

今を必死に生きなくても
人生生きれるけど
精神的な飢えが酷くあると

余計にそう思うと思う。

なんで生きてるんだろう?と言うより
なんでこんなに辛いのに
生きてなきゃいけないんだろう?

の方が近い気がする。

自殺するのは何だか怖いし
ニュースになるのも嫌だし
何もかもがゼロになってしまうのは怖い。

けど、生きていたくないし
こんな風に自分に絶望して
周りの人から蔑ろに扱われながらも
生きてるって

意味ある?
そして私に価値がある??

誰かのために生きるには物足りなく
誰かの手を借りるには
ハードルが高すぎる。

そんな私が、なぜ生きていなくちゃ
いけないんだろう。

と思った日が数え切れないほどある。
何度も何度も何日も何日も
そう思った。

誰かが、時間が解決するって言った。
時間なんて
もう、一秒たりとも待ちたくもない。
こんな気分で一日を過ごすくらいなら
今すぐ消えてしまいたい。

そう思っていた。
解決方法なんてなくて
どれだけ
心理ブログを漁ったって
本当に心の奥底には届かなかった。

それはあくまで
一時的なサプリメントになっただけだった。

自分を責めて
ブログを読んで
あぁ、だめだめでも生きてていいんだって
ほんの一瞬思って

その次の瞬間
なんで生きてるんだろう
私なんががって思考に逆戻りする。

その繰り返しだった。
自分を殺してしまえば
何とか過ごすことはできるけど

その人生になんの意味があるのか
よく分からなくなってきてしまったりした。

ずーっとそんな日々を過ごしてきた。
なんで生きてるかなんて分からないけど

私は、生きてる。
何で?と問う前に生きてる。

ここにいてもいいのかな?
と問う前に、既にここにいる。

そう思った。
いや、日記にそう書いていた。
それを見ながらふと

確かに、と思った。
生きてていいのかな?
私なんがが生きてていいのかな?

人類の役に立たない私が
生きてていいのかな?

そう思ってきたけど
生きてる。

ただ、生きてる自分がいる。
生きてていいかって言う前に
今ここに、生きてる自分がいる。

ここに居てもいいんだろうか?
ここに居て、私は何一つ
誰かに得をもたらすことも
貢献することも出来ないのに
居ていいのだろうか?

そう思う前に
既にここにいる自分がいた。

そう感じた。
そもそも、元々

人の為になんて
生きれるほどの器じゃないし

自分の機嫌も取れないくらいだから。

もう誰の役にも立たず
自分のご機嫌取りをしてみようって
そう思った。

私はわたしを一番好きで
一番大切にするんだって。

あぁ、これもまた
よく心理ブログなんかで書いてあったけどさ。

自分を大切にするのが大事よって。

でも、読んだ時だけ。
読んだ時は、あぁ、大切にしようって思って

その後思えなくなる。

だけど、これは
繰り返し継続しないといけない。

どんなに不毛でも
毎朝私に、今日も私は可愛いね。
大好きだよ。

生きていてくれてありがとう。
生きてるだけで十分だよ。
何もしなくてもいいよ。

好きなことをして、楽しんでいいよ。
笑っていいよ。
他人のことは気にしなくていいよ。

貴方が成長させたいことを
頑張ったらいいよ。
成果なんて出なくていいよ。
少しでもやったってことが重要なんだよ。

量も気にしなくていいよ。
本当に本当の少しでいいよ。
よくやったね、よく頑張ったね。
とても素敵だよ。

いちばん素敵だよ。
一番良かったよ。
いつも頑張ってるね。

たまには何もしなくていいよ。
何もしなくていいよ。
でも、偉いね。

シャワー浴びたくなかったら無理しなくていいよ。足湯だけでもいいよ。

服も着替えるのめんどくさかったら
着替えなくていいよ。
でも、偉いね。

ゲームだけしててもいいよ。
役に立たなくてもいいよ。
他人を傷付けてもいいよ。

自分を大切に思っていればいいよ。
大丈夫だよ。
焦らなくていいよ。

私は私の味方だよ。
こういう自分は嫌い?
辛いよね。

でも、私はそんな私も認めるよ。
好きだよ。大好きだよ。

いつも、こんな風に
何かある度に自分にこう声をかけるの。

わたし、いつもありがとう。
いつも素敵だね。
いつも、私のためにありがとう。

体もありがとう。
動いてくれてありがとう。
今日は、生きてて凄かったね。
運が良かったね。

いっぱい相談しようね。
いっぱい頼ろうね。
大丈夫だよ、何も出来なくても
大好きだよ。

こんな風に
もう、アホかよって思うほど
感情なんて籠ってなくていい。

最初から上手く出来なくてもいい。
でも、いつも何かある度に
何も褒めることがなければ

生きてるだけで十分だよ。
生きてるって運がいいね、凄いね。
そのまんまでいいよ。
成長しなくてもいいよ。
しっかり休もうね。

これだけでも充分。
もう、自分がナルシストになったと思って
とにかく、自分を褒める褒める褒める!!

他人なんて褒めなくていい。
嫌いなら嫌いって思えばいい。
嫌いな人がいるから好きな人もいる。

嫌いなものがあるから好きなものが目立つ。
だからいい。

嫌いなら避けていい。
好きなら近付けていい。

そして、自分を死ぬほど愛す。
馬鹿みたいに毎日。

毎日毎日
落ち込む度に
アホみたいに自分を慰める
褒める、認める。

最初は、落ち込む気持ち無くならないかもしれない。死にたくなる気持ち無くならないかもしれない。

それでも、それでも
声をかけ続ける。

毎日、偉いね。
頑張ってるねって。

ごめんね、わたしだって
生きてる意味分からないから
偉そうなことは言えないよ。

でも、生きてる限り
生きることを楽しまないと。

そして自分を出来うる限り
大切にする。

それが、きっと
未来の人類がもっと前に進むための
過程になるはずだから。

私が死んでも
今すぐ死んでも、人類はきっと
精神的な飢えを凌ぐために
知恵を搾って頑張ると思う。

私は、精神的な飢えを
自分を褒め褒め褒めちぎって
認め、そしてよく眠ることで
解決しようとした。

他人に
自分のご機嫌の綱を握らせないようにした。

私が足掻いて足掻いて
楽になったのはこういう方法!!

でも、未来の人類は
私よりもっといい方法を見つけるかもしれない。

そうなったらいいし、きっとそうなる。
よく分からないけど

私にとって生きる意味は
既に問う前に生きてるってこと。

ここにいる意味も価値も
問う前に既にここにいるってこと。

そして私は他人のためではなくて
自分のご機嫌を取って
その余裕やおこぼれで
他人のためにほんのちぴっと
0.000001ミリくらい動いてみる時も
あるかもしれない。

くらいの人生を生きようと思う。
そもそも、ちっぽけな私は
他人のために生きれるはずもなく
自分を喜ばせるので忙しい。

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