ビジョンクエスト4日目

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6時頃だろうか、放送が鳴った。曲は忘れた。
まずは昨日濡れた荷物を確認する。上部に入れていた物は濡れていたが、下部に入れていた服は濡れていなかった。下山時の上服は問題なさそうだ。ただ、寝袋のケースに入れていたジャージはずぶ濡れだった。今のところそこまで雨は降っていないので、木に吊るして乾すことにした。サイズオーバーのジャージなので、また濡れても冷えて困ることにはならないだろう。ハンガーや洗濯ばさみはない。腰紐をしっかり木に結び、落ちないようにした。

このまま寝袋の外に出て起きておこうとも思ったが、下山時のことを考えてやめた。手足が冷えている。引き続き、体を温めることに専念することにした。いそいそと寝袋に入る。

今日で終わる。
通過点であるにせよ、1つの節目を迎える。
この4日間、みんなはどう過ごしたのだろうか。みんなと会うのが待ち遠しい。

改めて、ここともお別れだ。
ここから聞こえる音、見える物、感じるもの。そのすべてを、今を。精一杯、愛でた。



寝ていたのかもしれない。覚えていない。ただ、眠りが浅かったのだろうか。Aさんの呼ぶ声に驚いた。
Aさんがブルーシートを上げ、私は寝袋から這い出る。
目が合った。昨日会ったのに、久しぶりに会ったような気持ちだ。会えることそのものがめちゃくちゃ嬉しい。「やあやあ!」と元気にハイタッチした。
「いいかんじだね」と、座りながらAさんが言う。実際、めちゃくちゃいい意識だった。清々しく、晴れ晴れしい。今思うと、ビジョンクエストを終えて、それが新たな始まりになったことを、無意識に感じていたのかもしれない。それほどまでにいい意識だった。

Aさんは私より上の方にいるみんなを呼びに行った。
私は結界を解き、荷造りをした。足元がふらつく。
体が冷えていたため、帰りはしっかり着込んだ。行きとはえらい違いだ。
寝袋が雨を吸っているため、畳みにくく、何度かやり直した。ブルーシートもなんとか畳み、結界に使った麻紐で縛って持ちやすくした。鞄に入れられたが、そうすると濡れて後々困るため手で持つことにした。

初日に解散した場所へ向かう。
ゆっくりと、1歩1歩確認しながら歩く。来た道を思い出しながら、難関の場所へ着いた。ここにはロープがあるのだが、私の身長くらいまで崖のようになっており、足場らしき足場があまりない。ロープだけで登る場合、かなり腰を曲げることになる。当時は参加者の手を借りて引っ張ってもらいながら登った。それを今度は、一人で降りらなければならない。誰かが来るまで待つという考えには至らなかった。

ジャンプするにしても、微妙な高さである。パルクールで習ってればよかったが、そうも言ってられない。とりあえず荷物を先に降ろした。ロープを手繰り寄せ、しっかりと握る。深呼吸をし、大きな木を支えに進む。が、足元を掬われた。瞬時に、頭上にある枝を両手で掴み、体勢を変える。が、両手が滑った。瞬間、両足で木にしがみつく。一呼吸おいて、両腕でもしがみつき、コアラのようになった。なんとか落ちなくて済んだ。素手だから滑ったのだ。めちゃくちゃヒヤヒヤした。悪い想像をしてしまったが、生きたいという意識のおかげでなんとかなった。こんな経験はなかなかない。笑い飛ばした。生きてる。生きてるって素晴らしい。

ロープを使いながら、なんとか降りた。喉がカラカラである。メディスン・ドリンクを半分くらい飲んで、みんなを待った。

ほどなくして、みんなも下りてきた。口角が上がる。みんなもよさげな雰囲気ではあるが、体にきてるような雰囲気でもある。
「雨も上がっているし、丁度いいね。でも、泥濘みがすごいから難易度が違う。注意して歩こう」
私の履いていた靴は、1番滑りやすいらしい。実際、滑りやすい。初めて走ったときは滑りまくって走るのに苦労した。また、他で下山中に泥濘みで滑りまくり、足に負担をかけたことも覚えている。頂上付近に雪が残り、登山靴の人も注意して歩いた細い山道。ケイドロに、全力鬼ごっこ。いろんな経験をこの子としてきた。だから今回も大丈夫だろうと思っていた。しかし、今日、滑った。行きで畳草履を履いていた人は、すでに裸足になっている。私も裸足になろうか迷った。だけど、私はこの子とがんばろうと思った。足場をしっかり確認しながら進もう。気を引き締めた。

体が重く、鼓動が激しく、吐き気がこみ上げる。こまめに休憩をとりながら、メディスン・ドリンクを飲み合う。
たまに滑りそうになりながらも、助け合って、1歩1歩進んでいった。

UMIKAZEの入り口に着いた。母屋ではなく、セレモニーを行った場所へと向かう。
焚き火が用意されていた。みんなで右周りに入り、席に着く。
冷えた体を温めつつ、大地の鼓動を表す太鼓に火を食べさせる。湿気で皮が緩んでいた。
焚き火の火は、セレモニーのときの火。ずっと私たちを見守ってくれていた火。ご先祖様と繋がっている、大切な火。焚き火を見たあとに目を瞑ると、オレンジ色の髑髏の模様が浮かんだ。大きかったのでびっくりした。ここでもご先祖様との繋がりや再生を感じた。

終わりの儀式が始まる。太鼓の音が鳴る。大地を感じながら、この4日間を自分の中で振り返った。
太鼓が隣の人に渡された。その人の感じるままに、太鼓の音が鳴り響いた。
Aさんがパイプを用意する。セレモニーのときとは違い、より詳しくパイプとたばこについて教えてもらった。
インディアンの文化では、パイプはスピリットと人を繋げる神聖な物である。感謝を表現する物だ。たばこを吹かすことで、「大いなる神秘」と会話する。そのため、あらゆる会議や決め事、物事の節目で使用されている。他にも、パイプの模様の違い、パイプストーンとよばれる専用の赤い石、パイプを入れる布の留め具の意味、パイプの持ち方、回し方など、いろいろ教わった。たばこが苦手な人は無理しなくていい。Aさんのやり方を見ながら、自分の番を待った。パイプからたばこを吸い、吐き出す。パイプの吸い口を火に向けてご先祖さまや精霊にも吸っていただき、自分の心臓あたりにも向けて、吸わせる。そうして全員がたばこを吸い、嘘偽りなく本音で語り合う時間が始まりを告げた。

改めて、4つの方角の歌を歌った。
太鼓が右回りに回され、各々の大地の鼓動を感じた。
そして、それをBGMに、この4日過ごして感じたことを語り合った。
私は「All my relations」「生きていること」「時間」「人生」について話した。

・All my relations
1日目の夜の話や、火から思ったこと。すべてと繋がっている。それは真実だと思う。その真実が私の世界観を変え、私に力を与えてくれている。見えようが、見えなかろうが、すべて繋がっている。ただただありがたかった。
また、インディアンの人たちにとっては、すべてが先生らしい(先生という表現だったかは忘れた)。例えばビーバーから木を切る方法を学ぶなど、動物たちを含めすべてから生き方を学んでいる。そういう視点もあるから、よりAll my relationsが根付いているのだろう。
これまで、素粒子の動きや、地球誕生から人類誕生までの歴史を通して繋がりを感じてきた。今回の経験を通して、よりAll my relationsを血肉にしたくなった。後日、Aさんから方法を聞いた。世界を観察して、観察したものに繋がっているものを考えて、またその繋がっているものを考えて…といったように考え続けるといいらしい。止観瞑想(愛や縁を感じる瞑想)だ。コーチングを学んでいたころはしていたが、今はしなくなった瞑想。血肉となるまで、この瞑想を毎日続けることにした。

・生きていること
2日目の痺れや、体調不良から思ったこと。快適な生活をしていたら、生や死を意識しなくても生きていける。
命がちゃんとあること。
今、こうして、生きていること。
それがどれほどありがたいことか、とても実感した。

・時間
時間は豊かだ。太陽が昇り、月が出て、そしてまた太陽が昇る。とてもゆったりとしていた。
普段どれほど、時計の時間に縛られて生きているのだろうか。ミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出した。
時間はこんなにもある。使い方次第だと思った。

・人生
空を見上げると、枝葉で覆われていた。ある1本が先に陣取っていたら、他の1本はその隙間に伸びて葉を広げていた。新芽も適当なところに生えている。折れた枝が他の生きている枝にひっかかっていたが、生きている枝は気にせずに生きている。虫たちもそう。みんな、各々が生きたいように生きていた。それでいて、調和していた。共存、共生していた。
私もそうありながら生きたい。自分らしく生きたい。そして、この命を、豊かな時間を、自分の人生を生きるために使いたい。

Aさんが最後に締める。自分らしく生きることの難しさ、大事さ。
ある参加者が言う。この日のことを忘れず、日々継続してあり続ける、感謝し続けることの難しさ。
それでも、私たちは気づき、知った。あとは行動するだけだ。それを意識し、無意識になるまで続けるだけだ。大丈夫。わからなくなったら、いつでも立ち返ればいい。

儀式を終えたが、結界として使った麻紐を焚べることを忘れていた。焚べながら、体を温ませる。
その間、Aさんが、空に飛び立つ鳥の歌を聴かせてくれた。広い広い空へと飛び立つ鳥。広がりのある歌だった。ビジョンクエストを終え、それぞれの道を歩んでいく私たちにぴったりな曲だった。私たちは鳥だ。焚き火も美しかった。
最後に、みんなでハグをした。愛を渡すハグ、元気を渡すハグ、ありがとうを渡すハグ。いろんなハグをした。
ありがとう。愛する気持ちが溢れた。

荷物を持ち、母屋へと向かった。雨風をしのげる温かい室内。ふかふかなソファ。清潔な手洗い場。多くの人は、これを快適と呼ぶのだろう。
食卓には手作りのご飯や飲み物が並んでいた。卵とだし入りのおかゆ。おかゆの付け合わせとなる梅干し、漬物、ひきわり納豆。温かい麦茶とレモネード。いい匂いが漂っていた。
みんなで手を合わせて、いただきますをした。
おかゆをひと口食べる。慈悲深かった。これほどまでに、いただきますという言葉が沁み込んだことがあっただろうか。無人島でモリ突きをして食べたことがあるが、ここまで命をいただいていること、命を紡がせていただいていることに感謝の気持ちが沸き起こったことはない。私たちはいただいている。そうして生きている。便利な世の中に染まると、知ろうとしなければ見えなくなる世界。生きるとは、本来、この4日間のようなことを指すのかもしれない。
みんな、幸せそうな顔でひと口ひと口噛みしめていた。

家でお風呂か、温泉でゆっくり過ごして終了することになった。私は温泉にした。
向かった先は、館山にある『南総城山温泉 里見の湯』。館内は広々としており、きれいだった。
温泉で1時間ほどゆっくり浸かり、過去や未来を語り合った。
岩盤浴でほどよく汗をかいた。岩盤浴はだいたい15分いればちょうどいいらしい。ここは天然の岩塩が敷かれていた。蒸気でむせ返る設備ではなかった。じんわりと汗が浮き出てくるのがわかる。過ごしやすい空間だった。
お腹が空いたので、食堂へと向かった。食堂には、すでに男性陣がいた。私たちが来たころにカレーうどんが届いた。めちゃくちゃおいしそうだった。
メニューを見たものの、どれもおいしそうで迷った。迷った末、鍋焼きうどんとジェラートを注文した。ジェラートはりんごにしようとしたが売り切れていたため、チョコレートにした。
鍋焼きうどんは意外と時間がかかった。お腹が空きすぎて精神統一をするほどの境地だった。
届いた鍋焼きうどんは具だくさんで、汁は甘めだった。汁だけで体に沁みわたる。汁を吸ったしいたけのうまさといったら。手のひらサイズの揚げ餅もどっしり入っており、小さくなった胃に堪えたが、なんとか完食した。うどんをこんなにも噛んで食べたことはない。噛みしめるたびに甘さや具材のうまみが口の中に広がり、食べる喜びを感じた。

最後はドタバタで温泉を後にする。私が全然急がないからみんなを困らせることになったのはごめんなさい。時間感覚が変わっていた。

新宿で一夜を過ごそうとしていたが、家に呼んでくれた。ありがたいことにベットを使わせていただいた。本当にありがとう。

そうして翌日、早朝に出て、バスタ新宿へと向かった。
帰るまでが遠足だとよく言う。であれば、帰るまでがビジョンクエストとも言える。
が、このあと2日かけて帰宅することになろうとは、思いもしなかった。


おわり

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