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十年目のアンジー #9/短編小説

昨晩のニュースで、東京では例年より早い木枯らし一号が吹いたと言っていた。冷たい風が一吹きするたびに、イチョウの葉が乾いた音を立てハラハラと落葉する。歩道はまるで黄色い絨毯を敷きつめたようだった。夕暮れのラッシュアワーが落ち葉を舞い踊らせている。

寒くなってバスで通学する回数が増え、丸メガネの子とも顔を合わせることも多くなった。先に並んでいても、わざわざ私の後ろに並びなおして人懐っこい犬みたいな顔をするものだから、仕方なくイヤフォンを外して一言二言話すようになった。

彼の名前は三宅君。学年は一つ下の一年生。私が降りるバス停の四つ先に住んでいること。三月の誕生日がきたら春休みにバイクの免許を取って、バイク通学をする予定だということ。

路線バスが停留所に到着した時だった。

「ディーゼル車の排気ガスの臭いって……」

私の肩越しに、三宅君がぽつりと独り言のようにつぶやくのが聞こえた。

「うん、気持ち悪くなっちゃうよね。私、苦手」
「僕はむしろ、この臭いが心地いいんだ」
「え、なんで?」

振り返って三宅君の顔を見上げると、見たことのない神妙な面持ちをしていた。バスに乗り込むと、私たちは通路を挟んで右と左の座席に分かれて座った。

「父さんは配送業をしていてディーゼルトラックに乗っていたんだ」

三宅君は膝元で組んだ手をかたく握っていた。深く腰をかけ背すじを伸ばし、前方の運転手をまっすぐ見ている。

「小学校の夏休みに何度か仕事について行ってことがあってさ。助手席に乗せてもらって何時間も走るんだ」
「ふうん、退屈じゃなかった?」
「全然退屈じゃないよ。助手席から見る風景はいつもとまるで違ってワクワクするんだ」

その風景を重ねるように、子どものような笑顔でバスの車窓を眺めた。

「ディーゼル車の排気ガスの臭いは、父さんの匂いだったんだ」
「三宅君のお父さんは……」
「僕が中二の時、仕事帰りの事故で亡くなったよ」
「そう……」
「今は母さんと二人暮らしなんだ」

私の目を見て小さく笑った。

「ねえ、バイク通学になったらこの陸橋は危ないから気を付けて。お母さんに心配かけちゃダメだよ」

三宅君はシートを座り直し、メガネの奥の目を丸くした。

「驚いた。妹尾先輩も野本先生と同じこと言うんだね」
「野本先生って……」
「僕の副担任なんだ。バイクの免許を取るって言ったら『陸橋は危ないから気を付けろ』ってさ」

心臓が静かに波を打った。

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