見出し画像

生きる事の肯定🥰

🤱ままと電話🤱

少し前に25歳になりましたっ。
大きな変化はというと、
ままと電話するようになりました。

思春期真っ只中で両親が離婚をしたから、
中々に会うことも話す事もなかったのだけど、
やっと素直に電話できるようになりました。


パートナーのみさきちゃん(Misii)の紹介。
仕事の報告、人生の相談。
たくさんたくさん話しました。


電話の途中、
「生んでくれてありがとう」
って素直に溢れて、自分でもびっくりしたの。ふふ

そう思わせてくれる周りのみんなに、ママに、
そして何より私と向き合い続けてくれるみさきちゃん(Misii)に、
心から、ありがとうの気持ち。


そんな事があってふと、
"生きる事の肯定" について考えてみた。

ずっとずっと生きる事を肯定できなかった私が、
どうしてできるようになったのか。

つらつら綴ってみます。メモ代わり。
長いですので、時間がある方にだけおすすめですっ



🌷トラウマと自己肯定感🌙




生きる事を肯定するって、
思ったよりとっても難しいヨネ!!!!
所謂、自己肯定感というやつ🤔

自己肯定感高いと高いで、
ナルシストとか、我が儘とかいわれるし、
自己肯定感低いと低いで、
メンヘラとかめんどくさいとか言われるじゃないですか。

とんでもなく難しい社会に生きているよね。



ここからはちょっと過激な話かもしれないのだけど、
包み隠さず。苦手な方はごめんなさい。



中高校生の時、
パパに殴られるお姉ちゃんを見て、
包丁を振り回すママを見て、
お姉ちゃんのリスカで血だらけになった勉強机を見て、
とってもとっても痛かったのを覚えてる。


私の身体はどこも傷ついていないのにね、
目の前で大切な人が傷だらけになっているのは、
やっぱり許せなかったし、悔しかった。

私は要領がよくって、スルスルと適当に、
上手く生きちゃってたんだよね。
それもまた、私の生きるを否定するには十分な理由になってたの。

痛みは、溜まり過ぎると
急に爆発して、怒りや憎しみになっちゃう。


「突然、"別人"のように顔が変わって」
なんて、意外とよく聞く話じゃないですか。
でも、それが本来の人間だよなぁとか思うんだよね。

自分の思う自分。
人から見られる自分。
知らず知らずに意外と乖離しちゃったりして。


18の頃、優等生だった私も突然別人になっちゃって、
パパのこと刺しそうになったことがあるの。

この時のトラウマが、
ずぅっと私の自己肯定感と連携プレイをしていました。




🌷最近自己肯定感、高まりつつあるんす🌙

 (人生中略。また機会があれば。)



そんなこんなで、
家族というものもよく分からず、
極端な話、誰からも愛されず、
誰も愛さずに一人で生きていくんだろうな
なんて思っていた私なのです。

本当は心底愛したいのに、
過去がそれを許してくれないのよね。


だけど、実は去年あたりから愛、私にもちゃんとあるんです。
自己肯定感も、高まりつつあるんです。


理由をいろいろ考えてみたのだけど、
一番の変化はきっと、
パートナーのみさきちゃんとよく、大声で喧嘩をするようになったことかなぁあ!!

正確には、盛大すぎる、強烈な、魂と魂の対話です。ふふふ


人に意見したり、本心伝えたりって
めちゃくちゃめんどくさいじゃないですか。
めんどくさいというか、スムーズじゃない。
人生なるべくすいすーいって、水みたいに進みたいのと裏腹、
いちいち止まっちゃう感じがする。

私の場合、何が言いたいのかとか
何で傷つくとか、楽しいとか、
根本的にそういう "本心” に鈍感だからこそ、
尚のこと難しかった。

それにそういう時に限って、
めっちゃ感情的になりやすいのね。
感情的になったらお互い受け入れるどころか、
下手したら否定し合ってしまう。オーマイガッ。

だから、そんな面倒な事にならないように、
自分が傷つかなくて済むように、
人にはいい顔だけずっとしてたの。
みさきちゃんと付き合うまでは。


でもね、みさきちゃんと生きるって決めてから、
ちゃんと対話しない方が、むしろめんどくさいってことに気づいたの。
一個一個解決しないと、また同じ事で喧嘩するのよ。つまづくのよ。
なら、問題が起きている今この時に、
一回ちゃんと話し合った方が良くないですか?っていう。
仕事も、他の人間関係も、全部おんなじなのよね。

人と生きる覚悟。



対話するようになって気づいたのは、
ちゃんと伝えた方がすいすい進むってこと。

スイスーイ。

まず、喧嘩するには自分の心にピュアじゃないとできない。
そいで、自分の悪いところも見つめられないといけない。
違和を感じたらすぐ伝えるの。その時に。
それから、自分だけじゃなくて、相手の主張も聞くの。


み「今の、嫌だった」
私「なんで?」
み「わかんない。けど、なんかちょっと傷ついた気がする」
私「え、でも私こういう意味で言ったよ?傷つけるつもりとかない」
み「そっか。でもその言葉の使い方だと、ちょっと勘違いしちゃうかも。」
私「ごめん。でもそういうつもりじゃなかった。なんて言えばよかった?」
み「こうやって伝えてくれれば傷つかないかな。」
私「わかった。でも私もこういう事があったから、伝えたんだ。」
み「そっか、それは私がもう少し気をつけていればすんだかも知れないね。」
私「ううん、私もみさきちゃんの気持ちわかっていたらも少し違う言い方できたかも。」
み「そうだね。じゃぁ、こういう時は、こうこうこうして伝えよう」
私「わかった。そうしよう。」
み「うん。」
私「傷つけてごめんね?」
み「ううん、私もごめんね。聞いてくれてありがとう。」
私「うん、ありがとう!一緒に頑張ろう!」
み「うん!がんばろう!!」


みたいな感じで、 “一緒に” 打開策を見つけられるのよ。
どっちが正しい、みたいな正義争いじゃなくて、
"一緒に" 話し合って、打開するの。


因みに、私とみさきちゃんは毎日日課のように喧嘩してるの🙈
お互いに生きてきた環境も、価値観も違いすぎて、
本当に本当に一緒に生きるって難しい。笑

朝ごはん、ご飯かパンか、だけでも戦争なんだから。
でも話せば分かり合えるんだから。
めっちゃ喧嘩しても、泣いて笑って殴り合いながらハグできるんだから。


そんなこと繰り返してると自分の中に一切しこりがなくなってね、
相手のことも自分のことも、信じられるようになるの。

自分が自分のこと信じていたら、
ヒトの目なんて気にならないし、
悩み事なんて無くなっていくのよね。

信じて、ありのまま、突き進めるの。

ビューンっ。

そしたら生きる事を肯定できた。


自分のままで、
人と、生きていくという事。

そうやって生きてたら、
ごめんなさい、
ばっかりの人生だったけど、
やっぱりありがとうがいいな、なんて
当たり前のような事を思いました。


伝わるのかな。笑



🌷人は突然、"別人"みたいに変われる🌙




何か言われた時、
傷つけてしまったならもちろんすぐに謝るべきだし。
でも、きっとお互いにわざとじゃない時もあると思うんだぁ。
どうしようもないパターンのやつ。


傷ついたことなんて、
無かったことにも、憎しみにすることもできる。

でもそれだけでもないと思う。
仕返しとかそういう事じゃなくって、
どうしたら一緒にハッピーになれるのか考えたい。

人って、すごいんだから。
突然、"別人"みたいに変われるんだから。


心から憎んでたぱぱにも、
離れて暮らすままにも、
お兄ちゃんにも、お姉ちゃんにも、弟にも、
みんなおんなじくらい、幸せになって欲しいって、
今は思うんだ。

高校生の時の私からしたら、
こんな事、信じられないからね。

わたしも、"別人"みたいに変わりました。
わたしのまんまね。


🌷夢🌙




それとやっぱり、物心ついた時からの夢は変わりません。

「世界中の子供たちと一緒に笑う」

ずっとこの夢を胸に、
これからも楽しい毎日を過ごします🥰


改めて、
私に生きる意味をくれるみんなに
日々隣にいてくれるみさきちゃんに
本当に感謝です。



画面越しに見るママは
会わない間に、老けてしまったなぁなんて思いながら、
少しずつ若返ってもらおうと企んでます。


今月から、NOSEは新しい展示が始まっています。

https://www.instagram.com/noseartgarage/

ずーっとお休みしてたから、やっとだよう。
みんな会いにきてね!!!
たくさんお話ししたいです。




今日も、世界中の人がたくさん笑ってますように🌍💫💥🌷🌙
ビーッグ・ラブ❣️

サポートいただけたら、ちょっといい晩ご飯を食べれそうです!