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心が大丈夫になる、その日まで。

CMから流れてきた曲にハッとする。

Chara「やさしい気持ち」のカバーだった。CMにはChara本人も出演しているのに気付き、画面に釘付けになる。ママ役ではあるけれど、いつまでも変わらない横顔が素敵だ。

何度、この曲を聴いたことか。

「やさしい気持ち」だけじゃない。「ミルク」も「タイムマシーン」もCDが擦り切れるほどに聴いた。他のどのアルバムよりも、私はこの3曲が収録されている「Junior Sweet」が好きだった。

懐かしくなってAmazon Musicを開き、すぐにダウンロードする。

数年前にCDはステレオと一緒に処分してしまった。無くても困らない物は持たない主義だ。

思い出すより先に口が動く。

随分と聴いていなかったのに、歌詞など見なくても歌える。身体は曲を覚えていて、次第に声が大きくなる。感情が昂り、心は揺れる。グラグラと揺れる。グラグラグラグラ揺れる。

私は歌うのをやめた。
それから静かに自分の心に耳を傾ける。

つらい

何が辛いのかは思い出せない。ただ、胸がぎゅっと苦しくなる。ゆっくりと深呼吸をして、自分に言い聞かせる。

だいじょうぶ
だいじょうぶ

私はだいじょうぶ



私の大切な友達は、娘と離れて暮らしている。

それは離婚でも仕事や学校の都合でもない。遠く離れた場所で、連絡を取ることも許されず、じっと娘の帰りを待っている。

私がそのことを知ったのはつい最近だった。

以前、同じ職場で働いていた私達は、同じ年頃の子供を持つママ達とグループラインを作り、お互い助け合って仕事をしていた。

私を含め、ほとんどのママが転職してしまったけれど、あの大変な時期を乗り越えた絆は深く、今でもたまに近状を報告し合う仲が続いている。

コロナ禍が明け、世間が動き出した。

久しぶりに会いたいねと、グループラインでランチの日程が組まれた。ご主人の仕事の都合で、現在は海外に住んでいる彼女もオンラインで参加することになった。

私は年が明けたら帰国する彼女の話を聞くのが楽しみだった。だから『娘はもう日本にいるんだ。今度話すね』というメッセージを読んだ時、『受験に備えておじいちゃんの家にでもいるのかな』ぐらいに思っていた。

彼女の苦しみに全く気付いていなかった。

ランチの日、彼女が画面に現れてしばらくしてから、「それで娘ちゃんは、どこにいるの?」と聞いた。謎解きのように、早く答えを知りたかった。

心の準備をしていたであろう彼女は、不意を突かれたように「あっ…」と言い、それからいつものように口角を上げて微笑むと、「うん、そうね。あの子はね」と続けた。


彼女の娘は摂食障害になっていた。

拒食から過食嘔吐となり、病院に入院したがさらに症状が悪化したため、今は施設で過ごしている。

施設では親と連絡を取れない決まりで、駅まで迎えに来た職員に全てを託した日から、彼女は娘と離れ離れになり、声を聞くことすらできなくなった。

「まさか自分の子が摂食障害になるなんてね」

包み隠さず現状を話してくれた彼女に、私達は「話してくれてありがとう」と言い、彼女の負担にならないよう慎重に言葉を選んで話を続ける。


なぜそうなったのか。
理由は分からない。


環境が変わったからかもしれない。
外見を気にするようになったからかもしれない。
頑張り過ぎる性格だったからかもしれない。
全てが重なってしまったからかもしれない。

きっかけは思春期の女の子であれば誰にでもあり得るような、小さなことだったのだろう。しかし摂食障害は心の病気だ。幼い頃に受けた些細な心の傷が数年経って現れることもある。そのため原因の根底は、親はおろか本人ですら分からないことも多いという。

その心の傷を癒すため、今は離れて暮らしている。



私は10代の記憶が曖昧だ。

歪んだ親の愛情に振り回され、自分の気持ちはいつも後回しだった。束縛と監視され続ける日々の中で、本を読んでいる時と音楽を聴いている時だけが唯一、緊張から解き放たれ、自分の殻に閉じこもることができる時間だった。

私は同じ曲を何度も聴いた。

最初は好きで聴いていたはずだった。しかし、ひたすらリピートされる曲は、何百回、何千回と繰り返し、眠りに落ちる瞬間まで流れ続けた。

数分の曲を何度も聴く。

いつからか、その行為を止められなくなった。曲が流れると気分が悪くなるほど聴いているのに、曲を流さないと不安になる。

もう聴きたくないと思いながら、指はリピートボタンを押し続けた。夢の中にまで流れる曲は、また朝になると耳に不調和音をもたらす。

「やさしい気持ち」が好きだった。
「ミルク」も「タイムマシーン」も好きだった。

でもそれは、私の苦しい時間を埋めた曲でもあった。辛く苦しい時間を、私は曲で埋め尽くしていたから。

何が辛かったのかは思い出せない。ただ、今でも胸がぎゅっと苦しくなる曲は、あの頃の私を救ってくれた曲だ。

記憶を曖昧にして、今でも私を救ってくれている曲だ。



「ごめんね、久しぶりなのにこんな暗い話で」

彼女はまた小さく口角を上げる。そして、ポロリと言葉を漏らす。「叶うなら、もう一度、育て直してあげたい」と。

私は彼女の全てを知っている訳ではない。
彼女が娘をどう育ててきたのか、上辺だけしか知らない。それでも、彼女が娘をどれだけ愛しているのかは知っている。

完璧な親なんていない。
みんな未熟で不器用だ。

期待や不安、喜びや後悔、苛立ちや愛情、相反する感情の渦の中で、親は子供と向き合っている。自分とは違う、兄弟であっても異なる人間を、立派に育て上げたと自信を持って言える人は、この世に何人いるのだろう。


「治療していくなかで、このままでいいんだって思う瞬間があるんだって。私、もう大丈夫っていう瞬間が。今はそれを信じて待ってる」

いつ訪れるか分からない瞬間を待つ。
それは途方もなく苦しい時間だろう。

私達は一緒に信じて待つと約束した。
心が大丈夫になる、その日まで。私達は彼女と一緒に待ち続ける。

そして、私は彼女に告げた。
彼女は私の親とは違う。だから、どうしても伝えたかった。


「上手く言葉にできないけれど、とにかく私はあなたが好き」




*最後まで読んで頂いてありがとうございます。現在と10代の頃の記憶がごっちゃになったまま書いています。頭の中がまだ整理できていないので、コメントは控えて頂けると幸いです。




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