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ワインの価格をどう決めるか

誰かが何かを売りたいと考えた際にもっとも悩むことが値段の設定です。そのものをいくらで売ればいいのか。簡単なようでいて実はとても難しい判断です。

言わずと知れたことですが、価格にはいくつかの段階があります。大まかに分類するとメーカーが出荷する卸価格、そして流通を経て消費者に提示される売出し価格や取引価格です。ワイナリーの例でいえば蔵出し価格といわれるものは卸価格に相当しますし、実際に消費者が購入する際の価格は売出し価格であり、取引価格です。厳密な言葉の意味は違いますが、ワインに関していえば一部の例外を除いて売出し価格は取引価格であり、流通価格であり、市場価格でもあります。なおこの一部の例外というのが最近話題になることの多い転売ヤーを介した取引価格であったり、投資対象として扱われるワインの市場価格です。自由市場においてモノの価格は様々な要因と需給の関係性の中でその価格を変えていきます。

小難しい経済の話は横に置いて、ここからは少し単純化した視点でワイナリーの値付けについて考えていきます。

ワイナリーが自分達で造ったワインを市場で売りたいと考え価格を決めようとする場合、注目する点は「どの時点における価格」を決めたいのか、です。上記の話でいえば自分達が出荷する際の卸価格を決めたいのか、実際に消費者の支払う取引価格を決めたいのか、ということです。

ブランド戦略の一環として価格を強く取り込みたい場合、重要視すべきは取引価格の管理です。これを強力に推し進めている好例がAppleです。Appleの製品はパソコンでもスマートフォンでも基本的に世界中で場所やお店を問わず基本的に同じ価格帯になるように管理されています。製品が不当に安売りされることはブランドのイメージを著しく毀損します。また製品がそうした価格競争に巻き込まれること自体もブランドに対して少なくない影響を与えます。こうしたことを嫌うのであれば、最終価格を徹底的に管理することには大きな意味があります。

とはいえ、例えば日本でメーカーが小売業者に対して販売価格の固定を要求することは独占禁止法に違反する行為として禁止されています。そのため実際にメーカーができることは「希望小売価格」と呼ばれるメーカーが”希望する”小売価格を公表することです。強制力はないとはいえメーカー自身が最終的な取引価格を公表すれば、小売業者がその価格から大きく乖離した値付けをすることは実質的に難しくなります。

ここ最近のワイン販売の現場で多く見られるのが、まさにこの事例です。

ワイナリーは別に希望小売価格の公表など行っていません。しかしワイナリーが独自に自分達のメディアを通して同じ製品の販売を行なっている関係で、その価格が実質的な希望小売価格としての意味を持つようになっています。

ところでここで一度、視線をワインから別の製品に移してみます。

少し前のことです。電気量販店などにいくとほぼ全ての商品には販売価格とメーカー希望小売価格とが併記されていました。その当時から電気製品の価格競争は激化しており、ほとんどの商品の取引価格は希望小売価格を下回っているのが当たり前になっていました。そうなると消費者は希望小売価格は”不当に”高い値段で、そこから値引きされるのが当然だと思うようになりました。こうした考え方が常態化した結果は行き過ぎの赤字競争とそれを補うためのキックバックの状態化です。

メーカーが希望小売価格を設定する場合、原則として小売店は価格に訴求した競争の手段を失います。過去の電気量販店がこの拘束を振り払って販売価格を引き下げられた理由は、量に訴えることでメーカーからキックバックやマージン、もしくは販売応援という名目で人件費の付け替えができたからです。競争の存在する市場における希望小売価格の設定はメーカー側の体力競争と同義になっていたのです。そしてそれはメーカーの規模の競争でもありました。

ここで重要なのは、こうした事態が発生した原因が電気量販店が規模の拡大のために薄利多売戦略に切り替えたことにある、という点。そしてそうした戦略転換以前はメーカー主導の価格政策によって誰もが即座に競争に舵を切ろうとしない程度には納得できるそれなりの利益を享受できていた、という事実です。

自由市場においては原則として誰もが競争に勝つことを目指します。それが差別化の手段であり、自身がそこに存在する理由になり得るからです。にも関わらず、その競争を抑制するには何らかの力が必要です。つまり、カネかモノの量です。メーカーが希望小売価格を設定していた時代、メーカーには力がありました。現在のAppleにも力があります。そうした力を背景にして初めて取引価格の間接的な支配が可能になります。競争を抑制するにしても競争に巻き込まれるにしても、メーカーには体力が必要だったのです。

翻ってワインを見てみましょう。

海外からの大量の輸入ワインによって見間違えそうですが、少なくとも日本の国産ワインの市場は小さく、脆弱です。メーカーに価格をコントロールできるほどの体力はなく、販売店は実質的に別の製品を売った利益を原資にして零細メーカーの、もしくは消費者からの価格管理要求に”お付き合い”しているといっても過言ではありません。

こうした見解に対しては批判もあるかもしれませんが、1本売って1000円程度の利益が出るボトルであっても100本売って得られる利益は10万円です。そして実際には1本で1000円もの利益を出せるボトルはおそらくほとんどないでしょう。しかもこれだけの販売量を確保できるほどモノを安定して供給できているメーカーはどれだけいるでしょうか。300本しか製造していないワインを全国区で割り当てた後、1店舗に提供される本数は何本でしょうか。これはそうした問題です。

たとえそれが”誰から”の要求であったとしても、市場における取引価格の固定が要求された場合、それは最終的にはすべてメーカーに負担となって返ってきます。取引価格が固定された環境下では流通、小売などその商流に関わるすべての参加者に還元されるべき利益の総額をメーカーが負担しなければならなくなるからです。逆にいえば、そうした負担ができないメーカーは市場価格に対して一切の要求を出すべきではありませんし、第三者からのそうした要求に対して断固とした拒否の姿勢を明確にすべきです。

参加者が繰り広げられる競争は、その競争に必要になる原資をどこからか捻出できる場合のみです。電気量販店の場合、その供給元はメーカーでした。そんな原資は今のワイン市場にはありません。つまり実質的に今の市場に競争はなく、あるのは消費者さえも含めた体力の削り合いによる縮小均衡のみです。小規模生産者のみがより集まった小規模市場において価格の流動性を否定することは自身の首を絞めるだけではなく、その市場を縮小させ、将来的に潰すことにつながります。

現在、身の回りで希望小売価格という単語を聞くことはあまりありません。代わりに出てきたのがオープンプライスです。これはメーカーが決めるのは卸価格のみで、その後の流通価格には関与しないことを建前にした価格システムです。

実際の小売の現場では店舗間の価格比較により販売価格の平均化が進みますが、システムの前提としては明確な販売価格の基準がなくなったことにより小売業者における値付けの自由度は高くなりました。おそらく現在のワインの取引もこの価格システムに近いところで行われているものと思いますが、ここでもネックになるのがメーカーによる直販価格です。メーカーが自社販売する際の価格を固定することで実質的に市場における小売価格が固定される傾向が見られています。

ではメーカーが直販する際の価格を市場における流通価格を念頭に置いたものにすればいい、ということになるのですが、どうもそのような方向にはあまり進んでいないように思えます。個人的にはむしろ直販価格を流通価格に対しても割高に設定するくらいでちょうどいいのではないかとさえ思いますが、そうした意見は少数派で、造り手として本来は4000円で売りたいワインに1万円の価格をつけるのはプライドが許さない、ということなのかもしれません。

こうしたプライドが実際にあるのかどうかはわかりませんが、結果だけを見ればそうした行動がメーカー自身を含めて市場参加者全員に対して不利益を与えていることは間違いありません。規模が小さく留まっている現状においては転売による価格の高騰さえ、本来的には少なくともメーカーは自身の反省材料として許容する必要があるはずですがそうはなっていません。

そうした現状、より市場にそったプライシングとはどのようなものなのでしょうか。私の考える1つの解答は、製品と価格の紐付けを断ち切ることです。

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