ワインの格付けってなんだろう

突然ですが、ワインの「格付け」ってご存知ですか?

「こちらのワインはそちらのものよりも格上のものとなります」
「この最高格付けのワインは大人気ですよ」

こんな謳い文句を耳にしたことがある方もいるかもしれません。もしかしたらワインのセールストークの常套句の一つになっているかも。
ところでワインの味とワインの格って関係あるのでしょうか。格上だから美味しかったり、最高格付けだから味も絶品だったりするのでしょうか。


ワインの「格」。実はちょっと勘違いしてはいないでしょうか。


JSAのソムリエやワインエキスパートの試験に向けて勉強されている方や、WSETのプログラムに入られている方、またそういったものではなくてもワインが好きで個人的に勉強されている方たちからは、

「いやいや、ちゃんと知ってるよ。フランスのAOPなんかが代表的で、基本的には産地が狭く限定されるほど格が高くなるんだよね」

というようなことを言っていただくかもしれません。


その通りです。

ワインの格というものはAOPをはじめとした各国で定められているワイン法の規定に基づいて決められるものです。あくまでも規定に定められた各種条件に適合すれば自然と「格」が上がる仕組みになっています。一方で「ワインの質」は問われていません。つまりワインの「格」はワインの品質を直接的に表すことは本来的にはありません。


にも関わらず、ワインの格がそのワインの品質を表しているように表現されることが多々あります。

例えばフランスのAOP法 (Appellation D’origine Prot?g?e:原産地名称保護) の下ではA.O.P.のものがI.G.P. (indication g?ograghique prot?g?e) やVin de Tableもしくは地理的表示のないワインよりも優れた、高品質のワインである、という認識が持たれやすくなっていますし、同じくフランスのボルドーにおける格付けでは1級シャトーが2級や3級のシャトーよりも高品質のワインを造っているとされています。当然ブルゴーニュの格付けでも特級畑の名前の入ったワインは村名や地区名の入ったワインよりも高品質だと受け取られています。

ボルドーの格付けなどは歴史的な背景を見れば、パリ万国博覧会の開催に際してナポレオン3世の命令で当時の価格が高かった順に付けられたもので、直接的には原産地名もワインの品質も無関係です。
確かにいいワインだから高値が付く、という解釈をすれば間接的には上級シャトーのワインはいいワイン、ということになりますが、品質と価格が釣り合っていないことは往々にしてある世の中における悲しい現実です。


ではなぜ法的な規定に過ぎない格というものがワインの品質を表すもののように受け止められるようになったのでしょうか。
この背景にはおそらくそもそもワイン法が制定されるようになった理由が関わっていると思われます。

フランスでAOPの前身であるAOCが規定された理由の一つは、当時市場に溢れかえった偽造ワインや有名産地を騙った詐称ワインでした。こうした低品質のワインを排除する手段の一つとしてAOC、原産地統制名称という法律が制定され、その法律の下で定められた産地やブドウ品種、製造方法などを守った「正統な」ワインに対して公的なお墨付きを与えることで消費者にその旨を提示しつつ、そのルールに沿わないワインには表示を認めず市場から排除しようとしたのです。

この動きの中では確かに格付けを持ったワインは高品質なワインでした。
しかしその時の対立軸は正統なワインと偽物のワインです。しかもこの時の「高品質」の意味は産地の偽称がなく、伝統的な品種や手法によって造られている、ということで、飲んで美味しいかどうかではありませんでした。
言ってみればこの時点においては、ラベルに書かれたことを信じて「安心して」買うことのできる、飲むことのできるワインが高品質のワインだったわけです。

このような流れがいつしか、「正統」のワインこそが本物のワインであり、本物のワインであるこれらのワインこそが「ワインとしての味の基準である」という考え方に変わっていったのだと筆者は考えています。

しかもAOCにしてもAOPにしても、それを元に作られたEUのワイン法にしても、原産地名称保護の範疇として「地理的要件」だけではなく「品質的要件」を含みます。この「品質的要件」というものは「ワインとしての酒質」を意味しませんが、その名称からワインの品質の保証と受け取られてしまっても不思議ではありません。

「理屈は分かった。でもやはり2級シャトーのワインより1級シャトーのワインが美味しく感じるし、村名や1級よりも特級が美味しいと思う。」

というご意見は当然あると思います。
確かにこの点において「格付け = ワインの品質」という等式が成り立っているように思えなくもありません。では、例えば特級に分類されるブルゴーニュのPinot Noirのワインと例えばニュージーランドのPinot Noirのワインを飲み比べてみるときにはどのような判断をするでしょうか。


高格付けのワインが美味しく思う、という感覚が間違っている、などというつもりはありません。ただ同時に、それが長い歴史の中で伝統として確立された考え方に根差したものであるのではないかとも思うのです。

ヒトが美味しいかどうかの判断をする場合には、基本的には何らかの判断基準が必要です。いわば、対象物の良し悪しを参照するためのお手本の存在です。
このお手本が、特に日本におけるワインの勉強環境においては、フランスの伝統的なテロワール主義によって格付けされたものの中で上位のものに固定される傾向が強いと感じています。お手本がここに固定されてしまえば、それに基づく評価・判断も自然とそれに基づいたものになります。つまり、高格付けのものが美味しいもの、ということになってしまうわけです。


一方でブラインドテイスティングなどで複数のピノ・ノワールの赤ワインを飲み比べた場合などにはおそらく、この判断基準がブレます。ワインの歴史として非常に有名な「パリスの審判」などはまさにこの典型例ですが、こうした判断時には格付けの威光が効きません。その結果、「高格付け = 高品質」という思い込みが崩れます。
ここにワイン法が定める格付けはあくまでも品質を保証するものではない、という大前提に立ち返ることになるわけです。


なお余談ですが、このパリスの審判のような状況を指して「テロワール主義とセパージュ主義の対立」と読み解く場合があります。
セパージュ主義とは従来の伝統的な考え方である畑の場所やそこに付随する環境 (テロワール: Terroir) を最重要視するのではなく、ブドウの品種 (セパージュ: c?page)にこそ重きを置くとする考え方です。この二つの主義は対立概念のように語られることが多いのですが、実際にはセパージュ主義という場合にもブドウを植える畑の場所の選定には非常に気を使っています。むしろ、そういうことを科学的に分析しないまま樹を植え、長い歴史の中で最適化してきた旧世界に比べればよほど神経質にブドウ品種の適正にあった土地の条件を分析し、旧世界の銘醸畑と呼ばれる畑の条件に似通った土地を見つけることに腐心しています。

この意味においてテロワール主義だろうとセパージュ主義だろうと土台としている畑の立地条件は基本的には同じもので、単に畑の立地を強調しているか、そこに植えたブドウ品種名を強調しているかの違いに過ぎない、つまり、セパージュ主義とはテロワール主義の対立概念ではなく、拡張概念としての位置づけにあるのではないかと思えます。


ワインの格付けとそこに紐づけられることの多いワインの品質の関係を考えていると、そもそも、格付けが上下の関係で語られることが品質の良し悪しと混同してしまう最大の原因なのではないかと思えてきます。

AOPでもボルドーの格付けでもブルゴーニュのものでも、ドイツの格付けでもすべての格付けはほとんどの場合、ピラミッド型の表を用いて説明されています。格付けが高いものほど三角形の頂点に近くなり、占有している面積が少なくなります。この表が無意識的にその格付けの希少性を強調しつつ、その上下関係を格付けの上下関係として視覚的に植え付けることに寄与しているのは間違いありません。

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しかしこの三角形の意味、本当に各格の優劣を表すものでしょうか。

本来の格付けの意味を考えると、この専有面積の差は「単純な生産量の多寡」を表したものと受け取るのが正解なのではないでしょうか。確かに生産量が少ないから希少、という理屈は成立しますが、希少だから高品質、というロジックは成り立ちません。


そもそも、日本語でこそこれらの区分は「格」という上下関係の構図の中で語られる単語が当てられていますが、英語でもドイツ語でも、おそらくフランス語でも、これらの区分は単純にclassificationという単語が使われています。この単語には上下の優劣関係を表す意味はなく、あくまでも横並びの中で分類をする、という意味しかありません。つまり、「格」というから誤解を生んでいるだけで、もともとはこれらの区分は垂直関係ではなく、水平関係の位置づけなのです。
それを上下で語りだすからおかしなことになっているのです。


ワインの造り手として、特にワインの格はあくまでも水平関係のなかで語られるべきだ、と思う場面があります。

ドイツのワイン法においてはブドウの収穫時の果汁糖度によっていわゆる「格」が規定されています。この格付けは6段階に分かれていますが、その真ん中、格付けとしてはそれでも高格付けと判断されているものにAuslese (アウスレーゼ) というものがあります。

このAusleseと格付けられたブドウ果汁を使って造ったワインは確かに高格付けになりますが、この果汁を使うとアルコール度数を11%程度に抑えた、軽やかなスタイルの辛口ワインは造ることが出来ません。果汁に含まれる糖分の量が多すぎるために、辛口ワインを造ろうとするとアルコール度数を上げざるを得ないためです。

本当に美味しく、軽やかに楽しめるスタイルの辛口を造ろうと思ったら、格付けを上げるわけにはいきません。無理に格付けをあげると高アルコール度数の、造りたいと思ったスタイルからは逸脱した、造り手にとっては低品質のワインになってしまいます。
Ausleseで軽やかな辛口は造れないのです。


すべてはこれと同じです。

土地の個性を表現したワインを造りたいと思えば例えばAOPの基準に沿ったワインを造ればいいですし、土地の個性にブドウの個性がマスクされない、ブドウ品種をより中心においたワインを造りたいと思ったら逆にAOPの基準ではなく、地区名や地域名、もしくは地理的表示のないワインとしての基準にあわせたワインを造ればいいのです。

格の間に上下に並べられた優劣を見出すのではなく、スタイルの一つとして横並びの関係性を置き、ワインのスタイルに合わせて適材適所に使っていけばいいだけのことです。


飲む側にしても、仕事に疲れて食欲もないような時には高格付けで主張のはっきりした強いワインよりも地理的表示などなくても軽やかで肩ひじ張って構えて飲む必要のない気楽なワインの方が美味しく感じられる瞬間があるはずです。この瞬間、格付けの間に品質の差はありません。


造りたいワインがある時、そのワインに合ったブドウの条件というものもあわせて存在します。そしてそのブドウに求められる条件が必ずしもワイン法に定められた高格付けの条件に合わない場合もまた多いのです。電気製品の上位互換のように高格付けの条件に適合したものであればどのようなスタイルのワインにでも汎用的に使える、というわけではないことはすでに書いたとおりです。

確かに格付けというものはワイン選びの時の選択肢の一つにはなりますし、ある意味においては公的に保証されたものであることはその通りです。
しかしその保証の内容は「品質」ではない、ということもぜひ知っておいて下さい。低格付けだから、格付けがないから、そのワインが美味しいワインではない、と早合点してしまうことはあまりにもったいないことです。


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