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【短編小説】深夜ラジオ

 ずっと夜が続けばいいのに。
 私はベッドの上に体を横たえて、ぼんやりとそんなことを考えていた。
 視界の端には網戸越しの夜空。雲の切れ間から星と月が見える。
 網戸の向こうからは、何千何万匹いるのだろうというほどの大音量でカエルがゲコゲコと合唱してる音が、うっすらと聞こえる。
 大音量なのに“うっすらと”というのは、私が今イヤホンをつけており外界の音がある程度遮断されているためだ。
 イヤホンのコードは携帯ラジオと繋がっている。

 私は真夜中が好きだ。
 皆が寝静まり、昼間の喧騒が嘘だと思えるほど世の中は静まり返る。この世界には自分一人しかいないのではないかと思えるほど。
 たくさんの人の中にいるのは嫌いだ。一人ぼっちで過ごす方がよっぽどいい。
 そんなささやかな願いが少しだけ叶うから、私は真夜中が好きだ。

 私はラジオが好きだ。
 一人ぼっちの方がいいという希望がある一方で、心のどこかには誰かと繋がり孤独を癒したいという希望も僅かにある。そんな矛盾した希望をちょうどよくブレンドして叶えてくれるのがラジオだから。
 とりわけ深夜ラジオは最高だ。
 地方のアナウンサーにしろよく知らないミュージシャンにしろ売れっ子お笑い芸人にしろ、喋っている人の声だけが直接耳元で聞こえるのは特別な心地良さがある。
 テレビのバラエティ番組にも面白いものはあるが、いくら面白くても何か自分とは別の世界の出来事のように感じられる。いっぽう深夜ラジオのバラエティ番組はパーソナリティと自分だけの秘密の空間のような空気が流れている。
 そんなゆるい繋がりを提供してくれる深夜ラジオが、私は好きだ。
 だから私はずっと真夜中が続いてずっと深夜ラジオを聞いていられたらいいのにと願った。

 ゲコゲコゲコゲコ。
 網戸の向こうでは相変わらずカエルが騒がしい。
 のそりと体を起こし、網戸の向こうの様子を伺ってみた。
 窓から見えるのは一面の田んぼと、その中にポツポツと浮かぶ家だけ。灯りがついている家はあまり見られない。
 雲の隙間から顔を覗かせる月の明かりを受けて、田んぼの水面がゆらゆらと光っている。
 網戸から風が舞い込んできた。湿気を含んだむわっとした不快な空気。
 私は再び体を横にして、ずれたタオルケットを元に戻した。

 時刻は午前一時五十六分。
 イヤホンからは、平日に帯で放送されている長寿深夜ラジオバラエティ番組の音が聞こえている。
 火曜日の今日は、最近メジャーデビューしたばかりの女性歌手がパーソナリティを担当する日だ。
 彼女の楽曲は特に若い女性に大人気らしい。
 女子高生の私も御多分に洩れず彼女のファンだ。存在を知ったのはこのラジオがきっかけだったが、最近はCDを買って熱心に聴き込んでいる。
 楽曲から感じる儚さとは裏腹に、ラジオのトークはいたって軽快だ。これが彼女の素顔なのだろうか。
 テレビで見ただけでは分からない本人の内面や素に近づける感じがする、こういうところもラジオの魅力だと思う。

 午前一時に始まった番組はフリートークや新しいアルバムの楽曲紹介、CMやフィラーなどを経て、もう放送時間の半分を消化してしまった。午前二時を知らせる時報が鳴る。
 特に番組テーマなどに沿わず自由に寄せられたリスナーからの葉書、ファックス、メール、いわゆる“ふつおた”を紹介する時間になった。
『東京都、ラジオネーム左利きのミミズクさんのメールです』
 パーソナリティがメールを読み上げる。
『こんばんは。私は十四歳の中学生です。私はいま学校でいじめられています』

 ドキッとした。
 目を閉じてぼーっとしながらラジオに耳を傾けていたが、一瞬にして目が冴えた。心臓の鼓動が早くなっているような気がした。パーソナリティが続ける。
『最初は周りの人に無視されるくらいのことだったんですが、最近は上履きを隠されたり、体操服がゴミ箱に捨てられたりしています。多分クラス全員が共謀しているんだと思います。誰が言い出したことなのか分からないし、私には何か原因を作ったような覚えもありません。毎日、学校に行くのが辛いです』
 これは私が送ったメールだろうか。そんなわけないことは自分自身が一番よく分かっているのに、それでもそんな風に錯覚してしまうほど私と似た境遇だ。違うのは住んでいる場所と、私の方が三歳ほど歳上ということくらいか。少し呼吸が荒くなったのが自分でも分かった。

 私は夜が好きだし、深夜ラジオが好きだし、ずっと真夜中が続けばいいのにと思っていた。
 昼なんか来なければ誰とも関わらずに済むし、ずっとラジオを聞いていられるし、学校でひどいことをされないから。

 私は昼の明るい世界が大嫌いだ。

 パーソナリティがメールの紹介を終えて、ゆっくり喋り出した。普段のにこやかで明るくあっけらかんとしたトークの時とは違う、儚い楽曲を歌う時のようなしっとりした口調で、静かに語った。
『えー、左利きのミミズクさん、勇気を出してメールをくれてありがとう。つらいんだね、よく頑張ってるね』
『私ね。今でこそこんなふうにいろんな人に音楽を聴いてもらって、ラジオで好きな話をさせてもらって、毎日楽しく過ごしてて幸せなんだけど、実は中学生の時に左利きのミミズクさんと同じようにいじめられてたことがあったんだよね』
『本当に毎日毎日辛くて、頑張って学校に行っても教室のドアを開けられなくて一日中保健室で過ごしたこともあったし、学校自体に全然行けなくなった時もあったんだ』
『学校に行けない時は電車に乗ってどこか遠くの知らない駅で降りてぶらぶらしたり、色々やってみたんだけどね。その時に、あぁ私は逃げてもいいんだ、私の居場所はあの狭い学校だけじゃないんだ、って思えて』
『もしかしたら左利きのミミズクさんは今、学校に行かなきゃって思って頑張っているところかもしれない。それはもちろん立派なことだし、とても勇気があるな、強くてすごいなって私は思う。でもつらくてつらくて仕方なくなった時は、逃げてもいいんだよって。逃げることは必ずしも悪いことじゃないよってことを、頭の片隅でいいから置いといて、必要な時に思い出してほしいなって思うんだよ』
『学校から逃げてる時に出会った人や風景が私に与えてくれたいい影響っていっぱいあって。それが今の音楽活動にも繋がってるなって思うことがあるの。だから、学校から飛び出しちゃうのもイイかもよって、私は思う』

 時に少しの沈黙を挟みつつ、言葉を大切に選びつつ、静かに、でも力強く語り続けた。
 イヤホンから聞こえてくるその言葉ひとつひとつが私の胸にも刺さり、目から涙が溢れた。
 目尻から零れた涙は重力に引かれてツウと顔をつたって、私のイヤホンをわずかに濡らした。
『最初にこのメールを目にした時に、作家さんに番組内で紹介していいか相談したんだけど、その時作家さんはしんみりしちゃうけど大丈夫かって心配してくれてね。私のこの番組の雰囲気にしんみりムードって似合わないかなって少しだけ思ったけど。でもとても大事なこだと思ったし、私だから何か伝えられることがあるんじゃないかと感じて、どうしても話しておきたかったの』
 そう喋った後、パーソナリティは『いま苦しんでる人に勇気を与えられたらという思いで作った曲を流します、聞いてください』と言い、楽曲紹介をした。メジャーデビューアルバムの中で私が一番好きな曲が流れ始めた。

『よーしじゃあこの後はいつものネタコーナーやっちゃうよー。今週もほんと酷い下ネタばっかり届いてるからね。いい加減にしなよあんた達』
 曲終わりにそう話すパーソナリティの声はいつもどおりの明るいものに戻っており、ブース内の放送作家がアハハハと笑う声が聞こえたところでジングルが流れて番組はCMに移った。
 気がつけば私は充電中のガラケーを枕元に引き寄せて、夢中で番組宛のメールを書いていた。
 私も同じような境遇で悩んでいることの告白とか、左利きのミミズクさんを励ます言葉とか、パーソナリティに対する感謝とか、そういったことを無我夢中で打ち込んだ気がする。
 一人だけど独りじゃない。目に見えない不確かなラジオの電波だけを頼りに、私達は確かに繋がっている。その日その夜、私はそう思えた。そんな気持ちも全てメールに乗せる。
 送ったからといって何がどうなるというのか、そんなことは考えもしなかった。ただ今は湧き出てくるこの想いをとにかく届けたかった。それしか考えていなかった。
 メールを書きながら、目から次々に溢れ出したいくつもの涙がぽろぽろと落ちて、シーツに小さな染みを作った。
 外で相変わらず鳴いているカエルのゲコゲコという大きな音と、私がガラケーで文字を打ち込むコチコチという小さな音だけが、イヤホン越しにかすかに聞こえた。

 結局そのメールが番組内で紹介されることはなかった。
 でも、この気持ちはきっと届いたはずだ。なんだかそう思えた。

 あれから十五年経った。
 高校卒業後、私は田舎を飛び出して半ば逃げるようにして東京に来た。
 あのパーソナリティが言ったとおり、逃げることは必ずしも悪いことではないらしい。
 私は東京に来てから心を許せる友人ができたし、日々の生活に希望を持つことができるようになった。もう昼が大嫌いではなくなった。
 だが相変わらず、真夜中は真夜中で大好きなままだ。
 私があの夜聞いていたラジオ番組は、今でも続いている。
 他の曜日のパーソナリティは何人も交代したが、火曜日だけは今に至るまでずっと同じあの女性歌手が担当している。
 楽曲とギャップを感じる軽妙なトーク力に裏付けされた番組そのものの面白さに加えて、定期的に開催されるお悩み相談コーナーが根強い人気を誇っているのだ。
 お悩み相談コーナーというのは、あの夜の“ふつおた”に対し全国のリスナーから大きな反響があったことを受けて正式にコーナー化されたものだ。
 “全国のリスナー”の中のうちの一人が自分だと思うと、少し誇らしいような、何やら少しこそばゆいような不思議な気分だ。
 当時はメジャーデビューしたての彼女も、今では日本中誰もが歌声を知っているほどの人気ぶりだ。
 歌手としても深夜ラジオパーソナリティとしても、ベテランと言っていいだろう。

 世界はあの頃と比べるとかなり様変わりした。
 スマホが普及しネット環境が充実し、私たちはいつでも手軽に誰とでも繋がれる世の中を生きている。
 だが、いくら世の中が便利になり多種多様な娯楽が生まれようが、アナログなラジオが果たす役割は変わらず重要だし、決してなくなることはないと信じている。
 ゆるく、しかししっかりと繋がれるラジオだからできることがある。救える人がいる。救いを待っている人がいる。あの日の私がそうだったように。

 火曜日、某放送局のスタジオ。
 ガラスの向こうのラジオブース内には、今やすっかりベテランとなったあの女性歌手の姿。
 その手元には台本や葉書、メールなどの紙が何枚も用意されている。
 時刻は午前一時になろうかというところ。
 ガラスのこちら側の私の左手にはミキサー、右手にはADが椅子に座っている。
 私は手を上げ、マイクを通じガラスの向こうのブース内に告げた。
「まもなく本番入ります。五秒前、四、三、二、─────」
 指を折りカウントダウン。パーソナリティにキューを振る。
 時報の音と共に、目に見えない電波に乗せて、今日もこのスタジオは世界とゆるく繋がり始めた。

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