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僕たちは陽氷を染める ー とある男子高生の6月の話 ー #5

第5話 【6月5日】

「あ、千家(せんげ)くんだ」
「?」

 ガチャン、と停めておいた自転車を動かしていると、背後から名前を呼ばれた気がして振り向く。

「……?」

 そこに居たのは、少し驚いた顔をしている俺の隣の席の羽白(はじろ)さんで、「呼んだ?」と首を傾げながら声をかける。

「あ、ううん。あの……」
「?」

 首をふるふると軽く横に振りながら答える羽白さんが少しだけ困ったような表情を浮かべる。

「呼んだ……というか……」
「?」
「つい、千家くんを見つけたから、名前、呟いちゃった、というか……」
「…ああ、なるほど」

 その無意識は俺もたまにやる、と頷けば、羽白さんが「ごめんね」と小さく謝る。

「別に謝ることでもないし」
「そっか」
「うん」

 そう返した俺に、羽白さんはふふ、と小さく笑う。

「そういえば、千家くん、今日はお店番お休みなんでしょう?」
「あー、うん。今日は休んでいいらしい」

 昨日の夜、照屋(てるや)は、学校で伝えればいいものを、今日の俺の店番は休みだとわざわざ電話をしてきた。
 すぐに終わる電話かと思いきや、何だかんだで一時間くらい照屋と話をしていて、それでもまだ続きそうで、最終的には「もう切っていいか」と俺が切り出したくらいだ。

「照屋は……話好きだよな」
「ふふ、そうだね」

 何の脈略も無い俺の発言に、羽白さんは思い当たる節があるのか、くすくすと笑いながら頷く。

「千家くんは、なんていうか、物静かだよね」
「……そうか?」
「うん」

 カタン、と自転車を動かしながら答えた俺の横に羽白さんが並ぶ。

「途中まで、一緒に帰ってもいい?」
「俺は構わないけど……じゃあ、乗せていけば? カバン。重いだろ」
「え、いいよ、重くないし」
「俺のよりは重たいだろ。いつも教科書持って帰ってるんだし」

 ほら、と自転車の前カゴのスペースを空ければ、「じゃあ」と羽白さんが遠慮がちにカバンを乗せる。

「千家くんのお家って、駅向こうだったよね?」
「ああ」

 高校の裏門を出て、1つ目の角を右に曲がる。
 すると、秋には樹々も地面も、鮮やかな黄色で一面を埋め尽くされる銀杏並木が、今は緑色を纏い、真っ直ぐに続いている。
 途中、小さな川にかかる橋を越えて、もう少し真っ直ぐに進めば、この高校の最寄り駅で、俺は駅を越えた地域に住んでいる。

「私も、小学校の時は、そっちだったんだよ」
「へえ? あれ……でも確か、照屋たちと」
「小学校の低学年で、駅のこっち側に引っ越ししたの。だから中学は、怜那(れいな)ちゃんと照屋くんと一緒なの」
「……なるほど」

 同じ中学なのだ、と4月の自己紹介で言っていたことを思いだしたが、なるほど。引っ越しをしたのか。

「それと、私、小学校の時、千家くんと、同じクラスだったんだよ」
「……マジで?」

 羽白さんの言葉に、驚いて言葉をもらせば、ふふ、と小さく笑って彼女が頷く。

「三年生の時に引っ越しして、こっちに来たんだけど、三年生の時までずっと同じクラスで、写真も残ってるよ」
「……ごめん、俺、全然覚えてない」
「だと思った」

 くすくす、と笑う彼女に、記憶を引っ張りだそうと最大限の努力をしても、出てくる気配は一向に見えない。

「っていうか羽白さん、よく覚えてるね」

 ゆっくりと歩き出した俺の横に並んだ彼女が、うん、と楽しそうに頷く。

「初めて引っ越しした、っていうこともあったのかも知れないけど」

 そう言って、ちら、と俺を見た羽白さんがふふと笑い声を零す。

「千家くん、覚えてないかも知れないけど。図書室でね。助けてくれたんだよ」
「……助ける?」
「そう。その頃、いっつも、虐めてくる男の子が居てね。その子、図書室には来ないから、お昼休みはいつも図書室に行ってて」
「……その頃から本好きだったんだ?」
「そうだったのかも」

 男子特有の好きな子はいじめたくなる、に該当していたのだろう、と考えつつも、逃げ込む場所が図書室、というあたりに、なんとなく羽白さんらしい。
 そう考えた俺とは別に、羽白さんは、くすくす、と楽しそうに少し目を細めて笑う。

「それでね。その時は何故か、その子もお昼休みに図書室に来ててね。市の図書館と違って小学校の図書室だから、すぐに見つかっちゃうでしょう?」
「まぁ、確かに」

 たしか、自分の通っていた小学校の図書室はさほど大きなものではなく、一つの教室の壁一面に本を並べていた、ような気がする。
 部屋にあったのは、低学年の子たちが座る小さな椅子と、図書室の入り口に机があって、そこで貸し出しの手続きをしていた気がする。

「そうしたら、図書室の中で、その子、急にからかってきて。絵本なんて借りてるー! って。三年生になっても絵本読むなんて恥ずかしいんだぁ、って騒ぎ出して」
「……ああ……、居るよな、そういう奴」

 クラスに一人は必ず居るよな、そういう奴、と思いながら答えれば「千家くんとも同じクラスだったけどね」と羽白さんが笑う。

「え、誰」
「小島くん。えっと……確か、B組だったと思うけど」
「あの小島?」
「そう。その小島くん」

 同学年で小島という名字の男子は一人しかおらず、そいつもまた、同じ高校に進学していて、小島はB組、俺たちはD組だった。
 あの小島がねぇ、と謎の感慨深さに浸っていれば、「その時にね」と羽白さんが、俺を見て、笑う。

「静かにしろよ、って。誰がどんな本読んでも別にいいだろ、って。言葉は少し違うかもしれないけど、千家くんが、私の前に立って、そう言ってくれたんだよ」
「……俺?」
「うん、オレです」

 羽白さんの話を聞いても、全然、記憶が戻ってこない。
 自分を指差しながら問いかけても、しっかりと彼女が頷くあたり、本当に俺なのかもしれない。
 だが。

「マジで覚えてない」
「写真を見たら、思い出すかもしれないね?」
「あー、そうかも。卒業アルバムどこやったっけなぁ」
「私、載ってるかなぁ?卒業アルバム」
「どうだろ」

 んー、と首を傾げる俺に、羽白さんもまた、んー、と言いながら首を傾げる。

「あ、そうだ!良いこと思いついた!」
「ん?」

 ポン、と手を軽く叩いて羽白さんが立ち止まる。
 気がつけば、もう橋の手前で、今、俺たちが立っている橋を通り過ぎれば、自転車なら3分もしないうちに駅につく。

「明日、午前中に、みんなでお店番するでしょう?」
「照屋はそう言ってたな」
「皆で、卒業アルバム見るのはどうかな」
「……え」

 何やら、眩しいくらいに、にこにこと笑う羽白さんの笑顔に、イヤ、と言う気になれなかった俺は、「……探してみる」とどうにかこうにか言葉を返し、その言葉を聞いた羽白さんは、「うんっ」とものすごく楽しそうに頷く。
 まぁ、羽白さんが楽しそうだから、いいか、と考えたりしたものの、自分らしくない、と小さく息をはく。
 そして、そのまま二人で小さな川にかかる橋を越えてすぐに、羽白さんが大通りから見えるマンションが自分の家だから、とそこで別れる。
 マンションへと入っていった彼女の背を見送った俺は、どうしたものか、と眉を潜めながら、ほんの少し重たくなったように感じる自転車のペダルを漕ぎ出し、家路に着いたのだった。


【6月5日 終】

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