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彼らに生きる目的はあるのか。

夜寝る前、我ら夫婦は少し会話をします。

本当にどうでもいいことだったり、仏教の話だったり、生き方の話だったりと内容はまちまちです。

その中でたまにあるのが、サムネのような現実ではありえなさそうなシチェーションになった時にどうするか?です。

今回はまるで映画バイオハザード のように街中がゾンビで溢れかえったら、どのようにして生き抜くか。を考えてみました。

ダンナっちくん「まず俺はバイクで逃げるね」

私「えっ!私は!?」

ダンナっちくん「頑張れ。」

私「えーーーー!」

ダンナっちくん「後ろに乗るなら、襲ってくるゾンビに対抗できる武器持って。俺運転だから」

私「武器かぁ。うち武器になるものってある?長い棒とかもないし」

ダンナっちくん「それは琉樹が振り回せないでしょ」

私「そっか。え〜包丁とか?」

ダンナっちくん「接近戦しか使えないからダメじゃない?」


まず、自宅に武器となるものを置いておく必要がありそうです。

もしくは私が戦えるくらい筋力をつけるか。。。


私「篭城作戦は?このマンションオートロックだしここ8階だし。アイツら階段とか苦手そう」

ダンナっちくん「玄関開けなきゃ大丈夫かもだけど、隣がやられたらアウトかな」

私「あ〜ベランダの非常戸破って来るかなぁ」

ダンナっちくん「ライフライン、特に水はしばらくは大丈夫そうだから、食糧問題なければ最初は篭城作戦はいいと思う」

私「だね。そこで様子見ながらほとぼりが覚めるとか隣まで危うくなったりしたら脱出かな。どこいく?避難所になってそうなのは学校、病院、市役所。。。」

ダンナっちくん「どこもすでにゾンビで溢れてそう」

私「確かに!笑 そういうゲームって大体そんなところが舞台だしね」

ダンナっちくん「まずは食料も生活品もある大型スーパーを目指します」

私「意義なし」

ダンナっちくん「そこで立てこもりできる小部屋かなんか見つけられたらいいけど」

私「裏側に従業員用のお部屋とかあると思う」

ダンナっちくん「他の避難者とかいるかもだから、変な争いにならないといいね」

私「団体になればなるほど諍いは増えていくから、食糧とかたくさんとるんじゃなくて、生き延びられる程度の必要な分だけの食料を確保できたら別行動とかのがもしかしたら楽かもね」

ふとここで思います。


何でこんなくだらないことを真剣に考えてるん?


と。

いや、話題ふったの私だけど。

脱出の際に武器になるもの用意しておこうとか、非常用の道具をちゃんと常備しておかなきゃとか考えてAmazon見てるけどさ。笑


でも仮にそういう世界になったとして。

そんで私たちが自衛できずにゾンビ化してしまった場合、

私たちは何のために生きてるんだろう?

ん?ゾンビだから死んでるのか?

living deadだから「生きながら死んでいる」状態?

おそらく欲も睡眠欲もなく、

食欲はありそうだから、その欲求のみで活動しているのだろうか。

でも食欲=生きること。

ゾンビ、いや、living deadは「死んでいながらも生きたい」欲求に駆られているのでしょうか。

やはり人間は生に執着するものなんでしょうね。


お釈迦様も人生における苦を「生・老・病・死」と示しました。

人は思い通りの環境で生まれてくることはできず、生に執着しても死は必ず誰にも訪れます。

若さに執着し、病を避けるために生活を整えたいけどできない。

逆を言えばそれが人間なんだと思います。

こう言った誰もが持っている苦しみから脱却することが解脱。

輪廻という思想がある古代インドの宗教でいう理想の境地なのだそうです。


私は別に死にたいとは思っていませんが、いずれ死が訪れることは確実で。

おそらく死際には後悔することも多々あるでしょう。

けれどその後悔ができるだけ少なくなるように今を生きようと思います。


メメント・モリ。




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