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自信がないから、自分を信じてる
あなたは本当にネガティブだと褒められた。
褒められた。
私の原動力は「悲観」だ。
できない、むり、つらい、なんでわたしは、わたしなんて。
こんな言葉たちがいつも私を高く遠いところに連れて行ってくれた。
悲観の原体験は不明。
真ん中っこで親の関心を引けなかったことかもしれないし、親に比べられることが比較的多かったからかもしれない。
1番有力な説は、自分が自分と他人を比べ始めてしまったこと。
中学生の頃、自分を大嫌いになった。
大好きな友達が転校。
女子が女子っぽくなり男子が男子っぽくなる。
小学生では見えなかったヒエラルキーが顕著に見え始める。
周りの変化に心も外見もついて行けなくて、拠り所も無くなって。
すべてを「しょうもない」と斜めに構え、でも確実に浮いてるだろう普通になれない自分がとても苦しかったのを覚えている。
教室や部活という狭い箱のなかで、ヒエラルキーの頂点に立つ女の子たちと自分を比べていた。
いまでは人間は多面的で総合でみることができるとわかっているので、たとえば自分より仕事ができる人がいて落ち込みはするが、理性が反論してくれる。
でも中学生の頃は目に見えるもの、聞こえるもの、それだけで周囲と自分を評価していた。
この生活を高校でも続けるのか?そう疑問を抱いた2年生の夏。
環境を変えたい。ヒエラルキーを感じずらく、みんなが自分のことに一生懸命で他人のことなんて気にしてなくて、でも優しい人が多い環境に行きたいと思った。
志望校に選んだのは、県でトップ3に入る超進学校。
みんな勉強や部活に熱を注いでるから人を気にかける暇はないし、頭がいいから基本人に優しい。
別に私は勉強ができたわけではない。
でもどうしても「わたしなんて」から抜け出したかった。私を好きになりたかった。
あらゆる間を惜しむ猛勉強が始まり、次第に丸をする回数が増えていき、受験直近には通知表の青い棒グラフが全部最大まで伸びて、白い紙が真っ青に染まっていた。
受かった。
死ぬほど努力したのは初めてだった。
高い目標を叶えた自分を、そんな一面も自分は持ち合わせられるんだと、少し好きになった。
高校、大学、と進むに連れ、私はどんどん新しいことに挑戦してきた。
高校の頃は友達と二人きりで初海外旅行をしてみたり、バイト禁止で誰もやってないのにバイト三昧だったり、
大学では一年の頃からインターンシップを始めて成果を出した。
初めての一人旅はフランス〜イタリア周遊で寝台列車に乗ったし、その後も何回も海外一人旅をした。
卒論は誰よりも頑張った自負があって学部の最優秀賞をもらった。
「自分はできない」「私は何も持ってない」そんな気持ちが常に根底にある。
でも、一個ずつ高い目標をクリアしていくたびに、自分のことを好きになれた。
社会人になってからも変わらなかった。
悲観的で問題がぽんぽん浮かんできて毎日吐きそうになる。
でも私の理想は高くて遠いところにあるから、問題を一つずつ解決して、理想に近づいて、自分を好きになる。
ずっとそうやって頑張りつづけてきたんだと思う。
自分を好きで居続けるには、この繰り返しが必要。
理想を叶え続けないといけない。キモチでどうこうできやしないので、理想を叶えたという事実を積み上げていくしかない。
自信がないから、頑張って事実を積み上げて、自分を少しずつ好きになる。
そんな自分と生きてきたから、やる時はやる、できるまで諦めず理想を叶えてくれるんだろうと私は知っている。
だから、私は私を信じている。
今回のスペインワーホリもなんとかなるだろうと思えているのも、これが背景にある。
✈︎✈︎✈︎
それでも土台が崩れそうになった時の魔法の言葉。
私が信じている人は、私のことを信じてくれている。
その人を信じて、私を信じてみるか。
ゲシュタルト。
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