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山田かまちと”さきえ”ちゃん

「なぎちゃん、山田かまちって知ってる?」

中学2年のクラス替えで一緒になった
さきえちゃんという女の子が私に聞いた。

「えっ?知らない」

「なぎちゃん、BOØWYとか氷室さんが好きでしょ?
氷室さんの中学校の同級生で、絵がとっても上手い子だったんだって。
だから、きっとこの子の絵も好きになるんじゃないかなって思ったの。
でも、17歳で死んじゃって
その子の絵が群馬県の高崎市の山田かまち美術館に展示されているの」

そう言って、私に新聞の切り抜きを渡した。

山田というどこにでもある苗字と
『かまち』という珍しい名前の組み合わせ。
17歳で将来を嘱望されながら夭折した。
興味を掻き立てられるのにそう時間はかからなかった。

切り抜きに詩集「悩みはイバラのようにふりそそぐ」
が販売されていると書かれていた。

「これ、貰っていいの?本屋さんで探してみるね。ありがとう」

さきえちゃんは、どういたしまして
と澄ましたような表情をしてニコッと笑った。

さきえちゃんは学年一のヤンキーだ。
確か、5歳と2歳年上のお姉さんがいて
ふたりともみんな名前を聞いただけで震えあがるほどのヤンキーだった。

いじめられっ子で目立たない私が
ヤンキーのさきえちゃんと友だちになるなんて
人生どうなるか分からない。

本屋さんにその詩集は置いていなくて注文をした。

一週間後のこと。
15歳の時に描いたという『プリーズ・ミスター・ポストマン』が
表紙の詩集をドキドキしながら開いた。
絵のディティールは曖昧だけどカラフルな色彩がパッと目を引いた。

小学3年生で描いたという52枚の動物の水彩画には圧倒された。
今にも動き出しそうな動物が活き活きと描かれている。

中学生や高校生になるとクラスにひとりくらいは
デッサンや彫刻や上手い美術的センスの優れた人はいた。
美大に進学したいという人の中には更に描ける人もいた。

かまちの絵はこの筆のタッチがとか、発想したイメージがとか
正直、絵の技術的なことは分からない。

かまちの絵や詩は、誰かに見せようと書いたのもではなくて
自分が描きたくて書きたくて仕方なくてかいたもの。
その気持ちが作品からあふれ出ていて私の心を揺さ振った。

かまちが非凡だったのか、平凡だったのかは正直分からない。
後に遺った者がまつりあげ造り出した偶像かもしれない。

二科展に入賞したとか
はっきりとした功績も何も残していない
無名の少年を人は天才と呼ぶのだろう。

その天才少年に自分の10代の頃を重ね合わせる。
下手したらそれを中二病だと言われてしまうのかもしれない。

かまちの絵に感動した担任の先生はその感動を踊りで表現したという。
そんな感情豊かな大人がいた高崎市は10代の子どもたちが
自分の思いを自由に表現することが守られていたのだろう。

そう言えば私も中高生の頃A4サイズのノートに
誰かに見られたら舌を噛み千切って死んでしまいたくなるほど
恥ずかしい内容の文章というかポエムみたいなものを夜な夜な書いていた。

あのノート・・・
捨てるのには忍びなく
かと言って一人暮らしの部屋に持ち込む程でもなく
段ボールに入れてガムテープでしっかり封をして
蔵に放り込んだのを覚えている。
今となってはしっかり箱ごと処分されているのを心から願う。。。

さきえちゃん、どうしているかな?
中学2年の夏休みを過ぎ辺りから学校に来なくなった。
それからすぐお母さんが亡くなったと知った。
彼氏の家で同棲しているらしい、、とか噂は聞いたけれど
今みたいにLINEや電話で連絡が取れるわけでもない。

卒業式の一週間前。
突然、何事もなかったように学校に来た!

さきえちゃんに夏休みに行った「山田かまち美術館」のお土産の
『プリーズ・ミスター・ポストマン』のポストカードを渡すと
「ここに行ったの?ありがとう」と言って受け取ってくれた。
それが、さきえちゃんとの最後のやり取り。

私は地元の高校へ進学、さきえちゃんは彼氏と結婚して
遠く離れた土地へ引っ越してしまったから。。。

あれから30年。
中学の卒業アルバムを引っ張り出して来て
住所録の住所にポストカードを送ってみようと、そう、思った。



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