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日常が一変した

なんどかnoteを更新していたが、いつも殴り書きで
自分の考えを整理するためが一番の理由だったと思う。

今回、色々整理がついて先に進めそうになってきたので
自分用の備忘録として書こうと思った。

親の事で死にたくなるような毎日だった2023年に入ってから今まで。

自分の母親は元々脳の病気で2回の手術をしている。
2回目の手術のあとは、顔面麻痺が残っている。
片耳も聞こえない。

それでも本人は意欲的に働いたり、日常生活を送っていた。

しかし、昨年の秋ごろから嘔吐と歩行困難が続くようになった。
数ヶ月入院していたが、悪化する一方だ。

今は色々な影響のため、入院中は面会が出来ない。

今月頭に退院した時に、あまりの母の変貌に驚いた。

まず自力で全く歩けなくなっていた。
そして意識もはっきりしていない。
更に排せつでの失敗がほぼ毎日だ。

このような状況で「良くなったので」と退院させた
あの病院と医師の事は一生忘れないだろう。

もともとの主治医に診てもらえるように打診したが、予約取れる日がまだまだ先。
急遽他の先生でもいいから診てほしいと懇願し、診てもらうも、状況を話しても主治医の先生に診てもらって判断を仰いでくださいね~とのことだった。
結局かなり遠い場所にある病院へ、母を担いで行っただけになった。

その日のうちに病院のソーシャルワーカーにも相談したが、
10日以上経過した今も連絡もなく、催促の電話をしても折り返しもない。

きっと大きな病院だから対応も大変なんだろう。
しかし、その日から一切連絡つかないのはいかがなものか。

それでも毎日、仕事をしながら頼れる人もいない中
母の在宅介護をすることになった現実。
受け入れるまでに時間がかかった。
いまだに受け入れられているかというとどうなんだろう。
もうわからない。

正直、母の下の世話もやり方もわからない。
まずどう立たせたらいいのかもわからない。
食事はどうしたらいいのか、怖くてお風呂に入れてあげることも出来ない。

なんの説明もなく放りだされた母。

彼女とどう向き合っていいのかもわからなかった。
自力で動くことも出来ない母の面倒を見続けるほど
私も裕福なわけでも、時間が有り余っているわけでもない。

しかも残念なことは続く。

結局「良くなったので」という理由で退院させられている母には
病名もついていない。
まして65歳以下だ。

となると、受けられる支援もない。

昨年から様々な支援を受けられないか、各種窓口に問い合わせをするも
出来ることが無いと断られる毎日。

自分の時間もそうだし、精神もゴリゴリに削られていくのが
よくわかった。
何故なら【死】ばかり考えるようになったからだ。

ある程度自分の親の事を看るのは子供の義務だと。

しかし、私は自分が死ぬことで現実から逃げようとしていた。
他に逃げ道がないからだ。

何度も何度もそういった精神状態の人が相談する窓口にも連絡をしてみたが
結局何の解決にもならずに、虚しい気持ちと、日常生活を【普通に】送れない事への焦燥感が増える一方だった。

そんな中で母にも当たるようになってしまった。

会話がまともにできない、排せつも出来ない
私に攻撃的な態度と発言をする母と
どう向き合ったらいいかわからない。

普通の一般的な稼ぎの私が、母の負債も丸ごと抱え
母宛ての督促も全て私が受けなければならない現実、
この先どう生きていったらいいか、見失うには簡単だった。

しにたいと相談しても、何も解決しないのに
それでも誰かに話を聞いてもらいたくて相談する。
そして結局余計に落ち込む、そんな毎日だった。

こんな事大好きな友人にも話したくなかった。
きっと私なりの無駄なプライドの高さだったんだと思う。

それでも私の異変に気付いた友人が、どんどん扉を開けるようになった。

もともと人に頼み事をする、悩みを赤裸々に話すのが苦手な私の
性格をわかったうえだろう。
そして友人のみならず、周りの大人たちが知恵を絞ってくれることになった。

もっと最初からこうしてればとは思うが
自分の家の事は、自分でなんとかしないといけない
そうしか考えられない状態だった。

それでも少しずつ周りに自分の状況を話せるようになったことで
介護職をしている友人の助けだったり、友人からいろんな知恵や
食べ物などを頂いたりして、どうにか現状を整理する時間を
作れるようになった。

そして、結局最終的には何度も断られていた行政に
再度支援を申し込むことになった。

それが数日前、はれて申請することが出来て
担当のケースワーカーさんもつくことになった。

4か月以上経過してようやく、密接に頼れる人が出来たのだ。

母の代わりに全て状況を説明し、支援を請うことも
もう何とも思わなくなった。
自分が自分らしく生きるため、
そして母がこれからもどうにか生きていくための道づくり
それに必死だった。

今までの人生、本当に小さいころからずっと親に振り回され続けた人生だったなと、改めて思う。

この記述の中に父が一切出てこない事も、その一つだ。

今回母の件があり、様々な生きていくために今後必要なものが
いかに頼りないものかもいいだけ身に染みた。

まだ今日で全てを手放せることではないけれど、
母の事全てが落ち着いたら
まずは母の負債を返していく事を仕方ないとして
自分ひとりどうにか出来るくらいの貯金をしなければと再認識した。

親なのに、お母さん可哀想、子供なんだから
幸せな家庭環境に育った人は、軽率に言う。
そして必ず付く枕詞は「私は何もできないけれど」

だったら黙っててくれ。

親だから、母親が可哀想だから、子供なんだから
【死】を選ぶことが正しいのか?
今後の自分の人生を長い目で見ることが悪なのか?

私はそうは思わない。

そして、私の周りにいて、今サポートもしてくれる人は
誰一人として私の事を
「薄情、親不孝、我慢しろ」
なんて言わない。
過去の色々も知っているから余計。

「もうこれ以上自己犠牲を頑張らなくていい」
そう言ってくれる友人を持てて私は幸せだったと思う。

だから今まだ苦しい状況ではあるが
私は私としてこれからも生きていかないといけない。

人に迷惑をかけ続けて生きていくしかないというように
ならないように、もっともっと考えないといけない。

ひとまずは、第一段階・第二段階と進めている今。
自分を一回褒めた。

そして、母の事が落ち着いた先にある
自分一人での生活を計画的に進めようと思う。

最後に在宅介護は知識も頼れる人もない状況で
一人で責任感だけでは、決してできない。
【共倒れ】にしかならない。

きれいごとは言ってられない。

私はそう思う。

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