過激になることができない過激派として

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ジャズ、過ぎ去るべきもの

フリージャズの為に こんなもの読んでもらう必要はないし、私のいる前でこの文章や、あるいはプレイリストや取り上げられている音楽たちについて追求されても別に納得の行く話をできるわけではないから、この投稿は書き手である私の存在とは切り離されたものであると思ってほしい。が、かねがねいつかは言語化せねばと思っていた主題について今回駄文を綴らせていただこうとおもう。 ジャズとは元来、自由の音楽ではあった。一方でジャズは絶え間ない理論の、つまり法の発展の歴史を孕んでいる。彼らは西洋音楽

    • 呼吸と腐敗

      • 「美味しくない」という価値を反対項に想定しない形でなされる「美味しい」と語るパロールの可能性

        「おふくろのあじ」を前にして、現代という時代で何かを紡ぐ為に (!)加筆修正されたテーマ: 「美味しい」ということの暴力  家族との食事の場で「冷凍食品を美味しい」と言う子供に父が諭す。 「これは手抜きだよ。れいとうって言うんだ。」 この言説が暗黙に含んでいる法は、「手抜きの料理を美味しいと言ってはいけない。お母さんが手間をかけて作った料理をこそ美味しいと言うべきだ。」ということであろう。  ここで母親の「おふくろのあじ」に対する「美味しい。」と言う言葉は、「美味しく

        • 受験生よ、自信満々に合格法を語る大学生を信用するな!(おれのことも)

           無責任なこと言うと、大学生という立ち場にある人間が、高校生や受験生に対して「大学の合格法」みたいなのを伝授するのにはあまり乗れない。だから高校卒業の時の合格者体験談でも、「風呂場でニーチェ読んでた」しか言わなかった。 そんなものは大学に「合格した人」のためのものでしかない。でも「合格した人」がいるなら「不合格だった人」も必ず存在する。その人が努力不足だった、とその人を、あるいはその人が自分自身を責めることは、合理的世界を信じて生きていくならば慰めになるだろう。だけど、実際

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        • 「美味しくない」という価値を反対項に想定しない形でなされる「美味しい」と語るパロールの可能性

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          コロナ禍にみる自己保存と排除の構造分析

          やや過激ですが、もやもやしていた昨今のコロナ禍に対する感情というか考えていることを吐露します。あくまで、個人の意見ですし、走り書きで書いているので一部間違いなく極論もありますし、論証の乏しいものもございます。そして、以下で糾弾する心理の多くを僕は実際に僕自身の中にも認めています。それを自覚しつつ、「肉を斬らせて骨を断つ」つもりで書いています。  基本的に僕は人間の「合理的側面」をそこまで信頼していない。そして、例えば「いかに生きるか」や「何を善と見做すべきか」といった倫理の

          コロナ禍にみる自己保存と排除の構造分析

          サーデグ・ヘダーヤト『藁屋の人形』の神経症

           サーデグ・ヘダーヤトは、1903年にイランの首都テヘランで生を受け、以来ベルギーやヨーロッパへ遊学し、短編集を中心に作家として名を馳せていくが、1951年、パリに滞在中に練炭自殺によって自ら命を絶った。彼の作品は、イランの伝承や民話からはっきりとした影響を受けつつも、そうした物語の中の「不条理さ」、日常的な違和感ーある時不意に現実がこれまでと同じようではない風に表出し、しかしそれが何によるものなのかわからないというイリュージョナルな体験-が主題化され、その作品の一部はシュル

          サーデグ・ヘダーヤト『藁屋の人形』の神経症

          【小説】メモと音楽と追憶と<5>番外編

          僕からエリカへの届くことのない手紙

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          【小説】メモと音楽と追憶と<5>番外編