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リッケン620頂戴

<<『精一杯の嘘』第三話-手をずっとこうしていたいの->>より

夜ご飯を食べに入ったお店は
古民家を改装したジャパニーズモダンスタイルの居酒屋という感じ。
暖簾を潜ると「いらっしゃいませ」と
大学生のアルバイトらしい男性の店員さんに
カウンターの向かいの3つ並んだテーブル席の真ん中を案内された。
彼は私に奥のソファー席を譲ってくれた。

店内にお客さんは私たちの他に3組いた。
入ってすぐの4人掛けのテーブル席には
女子会をしている30代くらいの女性が4人と
右隣には4.5歳くらいの男の子と
お父さん左隣には友だち同士らしい男性客が二人。

カウンターの中にいる店員さんも
まわりのお客さんも誰も彼が◆◆◆◆だと気付いていない。

テーブルにつくと、彼はアルコールのメニューを広げて
「どれにする?」と聞いてから
「そうそう、これこれ」とメニューの赤天という文字を指差した。
初めて見るメニュー、どういう料理だろう。
「決まった?」と聞く彼に、うんと返事をする。

彼はさっきの男性の店員さんを呼んで
ビールと牛すじ煮込みと赤天とマルゲリータのピザを注文した。

「しずくさんは?何飲む?」

「私もビールがいい、ビールください」

そう、店員さんに伝えた。

すぐに、プラスチックのカップに入ったビールが2つ運ばれて来た。
彼はそれを見て、笑いを堪え切れずにいる。

「えっ?どうしたの?何がおかしいの?」

「だって、プラスチックだよ、屋台じゃないんだから」

お店なのにプラスチックのカップで
ビールが出て来たことが可笑しくて仕方ないらしい。
確かに、そう言われればそうかもしれない。
「ほら、コロナとか色々あるし、使い捨てがいいのかも」

店員さんの目が気になり、フォローのつもりで言った。
彼はもう一度、店員さんを呼び尋ねた。

「ロースステーキ丼のご飯はいらないので、ステーキだけもらえますか?」

「少々お時間いただけますか?」

店員さんは少し戸惑いながら、奥の厨房に入り何かを話している。
そして、戻ってきた店員さんは申し訳なさそうに答えた。

「申し訳ございません、ちょっと出来ないですね」

「判りました、ありがとうございます」

彼は不満げな様子で店員さんにお礼を言った。

「何で融通効かないのかな?色々と面白いね」

彼は「おかしいよね」と小さな声で同意を求めた。
そうだよね、とは言わずに、ふふっと笑って誤魔化した。

頼んだ料理がテーブルに運ばれて来た。
彼はピザを切り分けながら言った。

「これは本当のモッツァレラチーズじゃないね
モッツァレラチーズって水牛のでしょ?これは牛乳で作ったのだ」

彼はピザを一切れ摘まんで食べて「やっぱり」

赤天とは、魚のすり身をフライにしたものだった。
何もつけないでそのまま食べてみると、ピリッと辛かった。
赤い色は赤とうがらしの色のようだ。

「これ、好き」
「そう?良かった」

彼は私が2切れ目に手を伸ばすのを見てにこりと笑った。

彼と向かい合って笑っているこの状況が、まだ不思議な感覚。

あまりの緊張から4時前に起きてしまった。
寝不足のはずなのに、新幹線の中で一睡も出来なかった。
そのせいなのか、頭がぼうっとするし足もフラフラする。

ずっと憧れていた彼が目の前にいて
その彼が私をお姫様のように大切に扱ってくれる。
不思議な世界。
でも、その世界は現実。
まだ、信じられない。

頼んだビールを半分も飲めていないのに
彼はもうすでに3杯目のビールに口を付けている。

彼は高校を卒業して専門学校へ行って、
仕事を始めたばかりの頃の話やこれまでの経歴を簡単に私に話してくれた。

「専門学校卒業してから、いろんなことやったよ
これ聞いたことない?~やさしくされると切なくなる~」

どこかで聞いたことのある歌のフレーズを口ずさんだが
タイトルが思い出せない。
そして彼の過去を全く知らないことに改めて気付く。

彼の仕事の話も聞きたいけれど、どうしても知りたいことがあった。

「〇〇さんと私は歳も2つしか離れてないし
同じくらいの時期に関東圏内にいたのに
どこをどうしたら、私は〇〇さんに出会うことができていたの?」

テーブルに両手を付いて、前のめりになって聞いた。

「面白いこと聞くね、たぶん出来なかったと思うよ」

彼は笑いながらさらりと答えた。
そうなんだ。

19万を持って御茶ノ水でリッケン620を買っても
銀座で警官ごっこをしていても
後楽園で税理士になっていても
池袋で終電を逃しても
あの彼女のように、彼に出会えなかったということ。

「たぶん出来なかったと思うよ」という返事が
そもそも、生きている世界が違うのだからと
一瞬で心のシャッターをガラガラと降ろしたように聞こえた。
それ以上は何も聞けなくて
彼から視線をビールが入ったプラスチックのカップに移した。
すっかり泡が消えて、温くなったビールに口を付けた。

彼はテーブルに肘をついて両手を顎のところで組みながら
私ではないどこかを見つめて呟いた。

「こんなことなら、ちゃんと親に事情を話して
家でおもてなししたかったでも、セックスは出来ないけどね」

言い終わると、私を見てニコッと笑った。
そんなこと、よく言うよ。
私のことは外でひとりポツンと待たせて
親には会わせられない人間扱いだったのに。
よく言うよ、って。

「食べないとお腹空くよ」

ビールも半分しか飲めていない、ピザも口にしていない
赤天を二切れを口にしただけの私に
「食べないとお腹空くよ、もっと食べて」
とご飯をすすめるけれど、食べられる訳ないよ。
「少し酔っちゃった」とあまり飲んでいないビールのせいにして
彼から視線を逸らしてぽつんと呟いた。

「もうちょっと早く出会いたかった。」


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