「東京タワー」①
「私ね、悲しいことがあったら東京タワーを見に行くことにしてるんだ」
2002年11月。
のちに僕の人生初の彼女になってくれた女性の言った、忘れられない一言だ。
あれから18年の時が経って、僕は今でも東京タワーを見るたびにあの子のことを思い出してしまう。
僕とその女性、キョウコさんとの出会いは、期間限定のイベントアルバイトがきっかけだった。
休憩中に喫煙所でタバコをふかしながら趣味の映画の話をするうちに、僕らは少しずつ仲良くなった。
当時の僕は21歳にして女の子とロクに手を繋いだこともない文化系サブカルボンクラ野郎だったけれど、キョウコさんは僕以上に映画にも音楽にも詳しく、お酒も強く、タバコもよく吸い、そして、とてもかわいらしい女性だった。
「マスヤマくん(僕)、最近見た映画でなにがよかった?」
「えーと…あれかな。シブヤ・シネマ・ソサエティで『ゴースト・オブ・マーズ』見た。面白かった」
「あぁ、ジョン・カーペンター!よかったよね、あれ。超B級で」
ジョン・カーペンター監督といえば、『ハロウィン』や『遊星からの物体X』なとで知られるB級映画の鬼才だ。濃い映画ファン以外にはまず通じる名前ではないだけに、女の子とそんな話をできたことがとてもうれしかった。
「へぇー、マスヤマくんカーペンターとか見るんだ。こういう話できる人なかなかいなかったから、うれしいなぁ」
まさに僕が内心思っていたことと同じことを言って、キョウコさんは笑った。彼女は笑うと目が線のように細くなる。小柄で、いつも髪をてっぺんでお団子にしていたので、ムーミンに出てくるミイのようだなと思った。
「私さ、『ゴースト・オブ・マーズ』のポスター友達にもらって持ってるんだけど、よかったらあげようか」
「え、いいの」
「うん。私の部屋はもう貼るスペースないから。じゃあ、今度持ってくるね」
キョウコさんはそう言うと灰皿でタバコの火を消して、立ち上がった。
「じゃ、先に戻るね」
「うん。ありがとう」
「また映画の話しようね」
「うん。おつかれさま」
去りゆくキョウコさんの小さな背中を見送りながら、僕は大好きな小説の一場面を思い出していた。
ミュージシャンで作家の大槻ケンヂによる自伝的小説『グミ・チョコレート・パイン』だ。
主人公の賢三は、映画オタクのモテない高校生。彼はクラスのマドンナ的存在の美少女・美甘子と名画座で偶然出会い、距離を縮めてゆくことになる。
その時ふたりが仲良くなるきっかけとなる映画監督の名前が……誰あろう、ジョン・カーペンターだったのだ。
「カーペンター……好き?」
僕の人生に、グミ・チョコレート・パインが起きつつある……!
心がざわざわした。
僕らが働いていたイベントは約10日間。
最終日の仕事を終えたところで打ち上げパーティーが催され、僕らと同じようなイベントバイトの若者たちが数十人、立食でめいめいお酒片手に盛り上がっていた。
残務処理でひと足遅れて会場にやってきた僕は、なにをさておいてもキョウコさんの姿を探していた。
喫煙所でよく話はしていたものの、連絡先の交換はしていなかったので今日を逃すともう、会えなくなってしまうかもしれない。
人が多くてなかなか見つけられず焦っていた僕の背中を、チョンチョンとつつく人がいた。
「マスヤマくん」
……振り向くと、手に紙袋を持ったキョウコさんがそこにいた。
これまではどちらかというと実務的な動きやすい服装だったけれど、最終日だからかお化粧も少し華やかな雰囲気で、赤いスカートがとてもよく似合っているなと感じた。
「はい。ポスター」
「え?…あ、『ゴースト・オブ・マーズ』の!ありがとう!」
「大事にしてね」
「もちろん!」
ポスターを受け取ると、遅ればせながら僕らはビールで乾杯した。
「ね、今度なにか映画見に行こうよ」
「え、お、あ、そうですね、行きましょう!(緊張のあまり敬語)」
キョウコさん側からお誘いを受けて大いにきょどってしまったけれど、僕らはその流れで連絡先を交換することができた。
そのあとは人波に呑まれてしまい、僕らはほとんど会話をかわすことはなかった。
イベントバイトが終わり、僕はまた大学生活と映画館バイトにあけくれる毎日に戻った。
合間にちょくちょく自分のガラケーを見ては、自分からキョウコさんに連絡すべきかどうしたものか、と悩んでいた。いかんせん中高男子校・バリバリの童貞だったので、本当にどうしたらよいかわからなかったのだ。
だが数日後、僕が昼休みにバイトの後輩Nくんとラーメン屋で醤油ラーメンをすすっている時に、ついにその瞬間は訪れた。
……キョウコさんからメールだ。
『マスヤマくん久しぶり!今日なにしてるの?』
僕は、目の前にいるNくんの視線を気にしつつも、即座に返信をした。
『夕方までバイトだけど、その後はなにも予定入ってないよ!』(聞かれてないけど)
『そうなんだー。ヒマなら遊んでよー!』
え。
あら。
これは。
どうしよう。
すっかり箸が止まってしまった僕は、少し考えたのちに
『いいよ!遊ぼうー!映画でも見に行く?』
と返した。
すると、キョウコさんから返ってきた返事は、ちょっと意外なものだった。
『もしマスヤマくんがよかったらさ、東京タワーに行かない?』
……東京タワー?
ガラケーを見て固まっている僕を見て、目の前のNくんがニヤニヤ笑っていた。
続く
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