見出し画像

「伊都国」地形 … 役割

本文は、「永瀬淳幸」著「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形」読み、によります。本文中の マ行音・ン音 の音形に使われた ,区切り内、 を ・容積内、 と変更してあります。

「伊都国(イツコク)」地形… 「博多湾、唐津湾」の中間となった「糸島(糸島半島)」を国内にして「糸島市」面を国内にする。

「狗邪韓国渡来人国(奴国、伊都国、末盧国、斯馬国、烏奴国、躬臣国)

「伊都国」…「音形」地形読み
〇「邪馬壱国」倭王国内になる、「倭国」内となった「博多湾、唐津湾」中間内になる「糸島、糸島市」を国内に交わる。

〇玄海灘面の「博多湾、唐津湾」面に交わり「奴国、伊都国、末盧国」が集まった、「奴国、伊都国、末盧国」内の「中間国」内を交わる。

「伊都国」… 役割
〇「倭国」を征服した「邪馬壱国」倭王国(徐福、狗邪韓国王)が身につけた倭王権を「徐福が卑弥呼に」、「狗邪韓国王が斯馬国・伊万里湾地区王」に集めた(委譲した)、
「卑弥呼、斯馬国・伊万里湾地区王(爾支、泄謨觚、柄渠觚を組織した)」が「伊都国の糸島」内に交わる(駐屯して邪馬壱国倭王権を執行しました)。

形式的には上記の様になっていますが、「魏志倭人伝」に
「卑弥呼」の“ 宮室、楼観の城柵は厳く設け、常に人有りて、兵を持ち守衛す。”とあります。

つまりは、「卑弥呼」の日常は拘束状態で「末盧国」に監視され宮室に閉じこもっているということです。

ネットや雑誌では、「卑弥呼」の神秘性が強調され話題にされますが、「卑弥呼」の「邪馬壱国」は、「徐福」船団の「倭国」内移住で始まり「邪馬壱国」と「卑弥呼」が 滅亡した西暦248年の400年以上続きました。

何人の「卑弥呼」がいたか分かりません。その間の総ての「卑弥呼」が鬼道を操れたとは思えません。

筑紫平野の「邪馬壱国」が「狗奴国」体制に占領され、「伊都国の糸島」内で「邪馬壱国」倭王権を振るう「卑弥呼、斯馬国・伊万里湾地区王」体制は、「卑弥呼」名で中国「魏」王朝に援助を求める遣いを出しました。

「魏」王朝からは「倭国」内状況を調べる使者が来ましたが、「伊都国の糸島」内に使者を止めてしまいました。
そして、「魏」の使者に(邪馬壱国倭王国の代行倭王権者である)「斯馬国・伊万里湾地区王」が「倭国」内状況を説明した際に、その場に「倭女王・卑弥呼」がいません。

その言い訳が、「倭女王・卑弥呼」が「孤独で鬼道を操る神秘的」な女王であると説明した気がします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?