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【16】負けたら坊主

1話前話
中学校の少林寺拳法部の思い出を文字にしました。
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「優勝できなかったら坊主だからな!」


 二月の県大会当日、部長に突然言われました。いつも先輩たちは心の準備をさせてくれません。合宿にゲームを持ち込んでから「お前らは覚悟が足りない!」とずっと目をつけられていました。
 少林寺拳法の大会は、一人で行う単独演武、二人で行う組演武、など種目が分かれています。また、級や段に応じて部門が分けられています。採点は、複数の審査員が技術度や表現度を評価する方法です。
 中学三年生の先輩は、年末に黒帯になったので有段者の部で出場します。茶帯の僕たちは先輩と競わずに済みますが、他校の出場者に勝たなければなりません。
 僕とまっつんは組演武で、チュピくんは単独演武で、それぞれ優勝できなければ坊主になるのです。

「なん・・・だと・・・」


 これに一番ショックを受けたのが、まっつんでした。最近、床屋から美容院へ変えてヘアワックスをつけ始めていました。今の髪型はクラスの女子から褒められたらしく、特にお気に入りでした。
 坊主にしたら毛先で遊ぶことはできません。このプレッシャーがまっつんを狂わせるのでした。


「出場者が俺しかいない・・・」


 会場に着くと、まずは大会のパンフレットに目を通します。なんと、チュピくんの出場する単独演武の部は出場者が彼だけでした。つまり、出場するだけで優勝となり、坊主の回避が確定しました。今回は組演武の出場者が多いことで奇跡が起こりました。
 本人は「俺は血沸き肉躍る闘いがしたかった・・・」と残念そうでした。ちなみに、ゴールデンルーキーの金田は一年生にして有段者の部に出場します。


「こんなに出場者がいて、優勝なんてできねぇよ!」


 まっつんはライバルの多さから、早くも諦めモードに入っていました。僕たちの出場する部門は三十組以上エントリーがあったからです。優勝するためには、まず予選で演武を披露して上位十組に入らないといけません。昨年は予選敗退だったので、優勝のハードルを高く感じました。
 チュピくんは、そんなまっつんを鼓舞するように声をかけています。


「お前は出るだけで優勝だからいいよな!」


 まっつんが珍しくチュピくんに噛みつきました。励ましの声かけが、まっつんの気に障ったのでしょうか。「絶対に坊主になりたくない!」という強い気持ちが、ひしひしと伝わります。


「闘う前から諦めんのかよ!」


 それを受けて、チュピくんも強い言葉を返しました。青春ドラマのように、二人とも熱くなっていきます。まるで昔からの仇敵ででもあるかのように、たがいに詰め寄りました。
 僕はビビってしまい、何もできずに事のなりゆきを見守ることしか出来ませんでした。


「俺は諦めの早い男なんだよ!」


 まっつんはスラムダンクの三井寿をカッコ悪くしたようなセリフを大声をあげて言いました。まっつんは興奮しており、明らかに普段の彼とは様子が違いました。


「でりゃああああああああッッ!!!!」


 言い争いの末、まっつんが叫びながらチュピくんを全力で蹴りました。蹴りは股間を正確にとらえて、無防備な彼の急所を打ち抜きました。少林寺拳法では『金的蹴り(きんてきげり)』と呼ばれる禁断の技です。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!」


 チュピくんは痛みで悶絶します。声にならない消え入るような声でした。僕も見ているだけで苦しくなりました。練習中に当たったことがありますが、しばらく激痛で動けませんでした。
 武道や格闘技の世界では安全のために急所を守る防具をつけるのが基本です。防具をつけていないチュピくんの聖域は、まっつんの蹴りに容赦なく侵略されました。
 これは、いくらなんでもやり過ぎていました。

ファールカップ


「次は単独演武の部を開始いたします」


 無情にも、チュピくんのダメージ回復を待つことなく、出番になっていまいました。苦しそうな表情で、審査員の待つ舞台へ向かいます。涙目になっていました。僕が知る限り、これが唯一の泣き顔です。
 それでも、しっかりと整列して演武の開始を待っています。彼の演武の成り行きを、かたずをのんで見守ります。

「あいつ・・・様子がおかしくねぇか?」


 演武が始まると、いつもより内股で股間を庇うように構えています。彼の魅力は長身を活かした大きく迫力のある演武です。しかし、金的蹴りのダメージで動きが縮こまっています。普段厳しい先輩たちが心配しながら見守るほどでした。さらに、気合いがいつもより小さく、甲高い声になっています。まるでオカマのようでした。
 僕は、そんなチュピくんがおかしくて、不謹慎ですが、思わず「フフッ」と噴き出してしまいました。本当に、本当に、不謹慎だと思いますが、笑いを堪えられませんでした。 
 みんなの注目が集まる中、チュピくんは強靭な精神力で痛みに耐え、最後まで演武をやり切りました。参加者が一人なので、これで彼の優勝は確定しました。


「…次は僕たちの番だね」



 チュピくんの単独演武の後は、僕たちの部門でした。予選は問題なく勝ち抜き、本選七番目で出番を待っていました。前の組が終われば、いよいよ僕たちの出番です。
 待機中のまっつんを見ると、目が座っています。今まで見たことのないような表情でした。


「武田拳士!松井拳士」!



 名前が呼ばれ、審査員が見守る中、演武が始まります。前の組は、その日の最高得点を出していました。僕は緊張で自然と肩に力が入ります。
 しかし、その日のまっつんは一味違いました。一切動じることなく、演武の突きや蹴りが練習よりも正確です。なによりも、気合いの迫力が違います。
 まっつんが頼もしく見え、演武を失敗する気がしません。


「俺、ゾーン入ったかも!!武田の突きが止まってみえたよ!!」



 まっつんは、演武を終えると息を弾ませながら言いました。坊主が嫌すぎた彼は、追い込まれた末に、完全に覚醒していました。
 結果は、前の組の点数を超えて現状一位です。点数が発表されたときに会場が湧きました。残りの組に抜かれなければ優勝できるのです。
 僕たちはドキドキしながら、残りの演武を凝視します。



「惜しかったな!坊主だ!」


 覚醒したまっつんの健闘も及ばず、僕たちは二位で終わりました。大健闘と言えるのですが、坊主が決定したので、まっつんは浮かない顔です。
 先輩から五厘刈りという、バリカンで一番短い長さにするように言われました。さらに、チュピくんも巻き添えで坊主が決まりました。練習の成果が本番で全く出せていないという理由でした。
 彼が凄いのは、一切言い訳も不満も口にしなかったことです。チュピくんが道連れになったことで、まっつんは嬉しそうでした。金的蹴りのお詫びとして、帰りにドデカミンを奢って何度も謝罪の言葉をのべていました。
 ちなみに、金田は一年生にして有段者の部で三位になっていました。快挙ですが、「先輩は優勝しているのに、自分はまだまだです!」とチュピくんを尊敬の眼差しで見ていました。


「坊主もファッションの一つだろ!」


 帰り道で落ち込んでいるまっつんへ、チュピくんが元気づけるように言いました。チュピくんは、優勝の賞状を制服のポケットへ雑に入れて歩いています。
 僕は、人生初の坊主にこれからなるということになんともいえない気持ちでした。ただ、まっつんと一緒に二位になれて賞状をもらえたことは、すごく嬉しかったです。


「オシャレ坊主って考え方もあるか!」



 まっつんは、チュピくんのファッションという言葉に何かひらめいたようでした。そういうと、予約なしで入れるという美容院へ向かいました。僕とチュピくんは、それぞれ近所の千円カットで坊主にすることにしました。


「五厘刈りにしてください」


 千円カットでバリカンを当てられると、髪の束が床に落ちます。どんどん床に溜まっていく自分の髪の毛の量に驚きました。バリカンが止まると、頭が涼しくてスースーしました。鏡に映った自分は、見たことのないシルエットをしています。


「櫛のプレゼントです!」


 会計の際に元気な店員さんから櫛(ヘアブラシ)をもらいました。僕は「とかす髪がないのですが…」と心の中でつっこみました。知り合いに会ったら恥ずかしいので、店を出ると人目を気にしながら足早に帰りました。
 帰宅すると両親は、息子の変わり果てた姿に驚いていました。夜にお風呂へ入ると、頭を洗うのが簡単で、坊主にはメリットもありました。


「おっ!頭丸めてきたな!」


 大会翌日の朝練に行くと、さっそく先輩にイジられます。チュピくんとまっつんも見事に髪がなくなっていました。いつも一緒にいる二人がまるで別人のようです。お互いに顔を見合わせて笑い合いました。
 まっつんは「美容院で四千円かけて、バリカンを使わずにハサミで坊主にしてもらった!」と自慢げに話していました。正直、僕には彼の頭を見てもバリカンとの違いがわかりませんでした。よく見ると、頭頂部が少し長くて、ソフトモヒカンのように見えなくもないかも知れません。


「よし!長さチェックするぞ!」


 部長はそういうと三人を並べました。そして、一人ずつ順番に頭を触っていきます。髪を指で掴めるかチェックしています。僕とチュピくんは、掴むことのできない短さでした。


「アウト!掴めるから刈るわ!」


 まっつんは頭頂部の髪が長かったので、部長に掴まれてしまいました。長さチェックと聞いた時から嫌な予感はしていました。すぐに部長に跪かされ、僕たちの目の前でバリカンを当てられます。
 オシャレ坊主を自慢していた時の明るかった顔は、みるみる絶望で暗くなっていきます。その時の悲しそうな表情は忘れられません。僕は、そんなまっつんがおかしくて、不謹慎ですが、思わず「フフッ」と噴き出してしまいました。本当に、本当に、不謹慎だと思いますが、笑いを堪えられませんでした。
 こうして、彼のオシャレ坊主の夢は潰えたのです。


「お前ら悪いことしたの?」



 急に坊主になったので、同級生からよく聞かれました。始めのうちは坊主を面白がられましたが、人は慣れるもので、一週間も経つとそれほどイジられなくなりました。


「坊主可愛いじゃん」


 チュピくんは、女子の先輩からちやほやされていて、まっつんが羨ましがっていました。彼は顔は整っているので、ボサボサな髪型よりも坊主の方が清潔感があって似合っていました。
 一方の金田は、尊敬するチュピくんを真似して、自慢のサラサラヘアーを自ら刈って坊主になりました。
 こうして、僕のあだ名は『クリリン』になったのでした。

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