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宇宙人でいい

Amazonプライムで映画を観ながらこの文章を書いている。
今月の診断書代が三万円を超えそうになっている。
今後のことも考え、障害年金をもらう準備だったり、ハローワークに関する申告書だったり、あと普通の診断書もある。
馬鹿みたいに書類がいる。
公的な文書の力を思い知る。

ハローワークで色々と申告をしたらイレギュラーと認定されたので書類が必要になった。
これを提出すると結構な違いがあるらしく驚いている。自分からそれを狙って話をしていたわけではないので、棚からぼたもち、と思った。障害手帳を持っていてよかった、だなんて思った。診断書を書いてもらった分だけ必ず取り戻したい。いやもう診断書以上のものを受け取っている気がするけれども。
福祉を受けるべきだと友人に諭されたことがある。「あなたは福祉を受けるる権利がある」とはっきりと友人は言い「それだけの予算が割かれている」と続けた。
予算というのは国家予算のことで、私という面倒な人間を支えるための予算がすでに用意されている。私にはそれを受け取る権利がある、と友人は言いたかったのだろう。その予算を消費しない限り、不要と思われる可能性がある。どんどん使うべきだ、と友人は言う。
そうか、私はそういう場所に登壇したのだなあ、と遠くの人を見るように感じた。自分が受け取るべきものを受け取らずにいたのか、と思った。受け取らなかったわけではなくて、受け取る勇気がなかっただけだ。その権利がないことを祈っていた。

私が健康に執着しているのだと、文章で見抜いた人間がいる。
そりゃそうだ。健康でいることの素晴らしさは不健康な人間にしかわからない。不健康な人間は健康でいた頃を羨む。その逆はない。不健康はずっと不健康を呪うし、健康な人はずっとそのまま生きていく。
こんなこと知らない方がいい。不健康ゆえに知ったこともあるけれど、その真実に
辿り着くことは無い方がいい。
美しかったものが汚れていく感覚を知っているだろうか。
信じられたものがどんどん手放しに消えていく感覚も。
そんなこと知らない方がいい。だから健康に執着をしている。一番執着している。健康のふりをしている。
権利はあるだけあれば、行使した方がいい。
私はようやく自分の不健康を認めただけ。

認めたとて状況は変わらない。
みてくれは健康そうだよ、何も変わらないよ、そんな風に見えないよと言われることの恐怖がやってくる。そうなんだ、私は普通なんだ! 健康だ! と振る舞っているうちに希死念慮がやってきてどん底に落とされる。結局私は何も変わっていない。健康なんかじゃない。
診断書をもらいながら、その内容を読んでそんなことないよ、と笑いたかった。実際は笑える要素なんてどこにもなくて、ひたすら現実が広がっているだけだ。そりゃ公的な文書の効き目があるようにスパイスはかけられているだろうけれど、医学を学んだスペシャリストたちにはそのように見えてしまっている。健康のスペシャリストたちには。
他人から思われる健康を纏って生きている。多分黒い色をしているドレスみたいなものだ。だから白い部分が目立ちやすい。
私のことを健康だと話した全員が悪いわけではない。私のことを不健康にしたのは私のせいだし、私が健康だと思われる程度に努力をしているのも私だ。努力が実っていいじゃないか。
一生健康でいたい。
多分それは叶わない。

ひどい嫉妬をしていて、それは私がちょっとした孤独を得ているからなのだけれど、その嫉妬している幸福を手に入れるだけの手間を考えて、嫌になっている。
今じゅうぶんなのにどうしてもっと幸福を欲しがるのだろう。ああでも、羨ましい。一人じゃないこと、肯定されること、愛されること、話せること。無いわけではないが、あるだけ困らないものたちだった。
嫉妬と同じ種類の栄養を得る必要はない。他人と同じ人生を歩む必要はない。言い聞かせるしかない。遠い惑星に住んでいる宇宙人みたいな、そういうものだと思うしかない。
ひどい嫉妬をしている。対抗手段がないからそうだね、と笑うしかない。

不健康な人間にしかわからない真理があるとして、それが万人に通じる機会はない。
遠い惑星の話。不健康な人間しかいない世界の話。
そんなものはないから、一生をかけて健康に執着をしている。
公的な文書に諦観を覚えながら、呪い続けているだけ。

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