見出し画像

みんなそうやってスイッチを入れる

息切れするほど叫んで、ようやく目が覚めてきた。
活性化する感覚を知っているか?
それは突然やって来て、ふとした時に自分を興奮させる麻薬のようなものだ。なんだろう。本当に不思議で、何が着火剤になるかはわからない。私の場合はそれが声を出すことだったので、いまようやく、目が覚めた。
起き上がってから4時間が経過している。やっと活動をしようという気になれた。
活動をだるだるとしたくなくて、3日が経過するとは思っていなかったので、長い休息期間だったように思うしかない。

大好きな音楽を聴いても発散されない日はあるし、同じように声を出しても晴れない日はある。
何もかもがどうしようもない日はある、と最近思うことができて、ほんの少しの成長を感じている。ああ、調子が悪いんだから調子が悪いでいいんだな、と思うことができるようになった。
それでも分別として社会性を保たなくてはいけなくて、直近外出の用事をすっぽかしてしまったことについては、申し訳なさが勝つ。自分の体たらくに涙が出る。出るというか、泣きたい気持ちになって、泣いても仕方がないな、と思ってこの文章を書いている。体裁を保ちたいだけだ。自分がこんなにも反省しているんですよ、という体裁を。
本当は仕方がないじゃん! 具合が悪いんだから! と言い訳をしている自分がいるわけである。
すごく傲慢だけれど、まあ事実なので……という言い訳をしておく。
そういう自分とは決別をしたい。

社交的な部分が終わっている。何か約束を取り付けても前日になるとかったるくなってしまうし、ずっと楽しみでいられるほどの気力が最近なくて、早く終わってくれなど思ってしまう。
ただこれにもスイッチがある。スイッチさえ入ってしまえばそのやるせない感覚は消えて、もう本当に楽しみになって、心の底から楽しめるコンテンツに早変わりする。その絶妙な切り替わりについては、私も予測がつかないので面倒極まりない。
なんというか、気分屋だ。こんなのに振り回される身になってみると、想像をしてみると、ああなんだか嫌な人間だぞ、と気づくわけだ。
早くこんな自分とは決別をしたい。

これを書いている間にもやらなくてはいけないことが山のようにできている。
明日は早起きをして外出をしなければならないし、先送りにしていた同人誌関係の連絡を3本送らなくてはいけない。概要だとか、発注だとか、もうそれは仕事じゃん、と言われたことを思い出しながら必死である。
仕事、しかしお金にならないことをして何が楽しいのかと思われるだろう。いや、これが楽しいのだ。何故か。
元々金にならないことが好きなのかもしれない。いやお金になったら嬉しいだろ、と思うのだけれど結局はボランティアというか、自分の脳内物質がいかに分泌されるかを優先しているだけのような気がしてきた。
自分が楽しいと思えることをしていきたい。
そのためにも基盤が必要だし、そのために私は様々なことをやっていかなくてはいけないと思う。
決別したい自分との共存だとか。どうやったら社交的になれるかだとか。

楽しい人生について考えている。
自分における楽しい人生はだいたいわかってきたけれども、それを遂行するためにどんなものが必要なのかがわかっていない。
ただ、一番に思いつくことが健康なので、そういうことなのだろうな、と思う。
何度もこのnoteにも書いた通り、私は健康に執着をしている。その執着をほどいてあげることが一番最初にやるべきことなのではないのだろうか。
健康じゃなくてもいいんだよ、ほどほどにね、と言ってあげられるようになりたい。
思った以上に大丈夫と言ってあげたい。
まだ言えないから、もどかしいんだろ、と思う。

ところで健康、健康と言いながら現在進行形で息切れを起こしている。
騒ぎ過ぎた。楽しかった。後悔はしていない。
そういう人生がいいよね。

よろしければサポートお願いします! サポートは紅茶・活動のために使われます。