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誕生日目前

2月19日は私の誕生日だ。
両親からは大雪の日だったと聞いているが真実は定かではない。雪が降った日に産まれた子供は、寒さに強いという噂話があるけれど、信じていない。そうとはなかなか思えない。私はいつまで経っても寒さに弱い。
今日もあたたか〜い飲み物を片手に昼食をした。本当はつめた〜い飲み物で乾きを癒そうとしていたのだけれど、上手くいかなかった。飲みたいものが見当たらなかった。
だから、今、私はぽかぽかしている。当たり前だけど。

生まれて二十と数年が経過してしまっている恐怖を味わいながら生きている。
子供の頃に考えた理想の人生からは大きく外れてしまった生活を送っている。

理想になれるよう頑張りすぎたのかもしれない。その結果、キャリアバリバリ人間からは遠くなってしまったし、健康からも程遠くなったし、恋人もいない。
いや、恋人はさして必要に思っていないのだけれど、周りが心配するからそろそろ必要だ。人間は三十路に近づいていくにつれ、どんどん他人のことを気にする性格になるんだと思う。四十、五十と重ねてさらに興味が湧いてくる。よく言われるのは「恋人はいないの?」だから、多分恋に飢えている。「結婚っていう大恋愛をしているじゃないか」と言ったら、「もう冷め切っているの」と言われそうで怖い。
自分の至らない点はもちろん克服したいけれど、なんというか、そこまで頑張って欲しい名声もないので、現状維持が目下目標だ。ゆったりと頑張る。辛い努力はしない。それが最も大切だ。身体を軽んずべからず。

誕生日目前になんて暗い話をしているんだ、と思われるかもしれないがこれはいつものことで、くら〜いことばかり考えている。
この前もなんとなく被害者意識が稼働して、ずっと自分はあの時搾取されていたのかも、という強迫観念に襲われて大変な気持ちになった。どうしようもない恐怖がへばりつく感覚はいつだって気持ちが悪い。
まあ、そういう杞憂は寝れば治るのだけれど、治らなかった日はどうしようもない。薬を飲んで寝よう。そう思うわけである。

誕生日を迎えたら何かが変わる、というのは夢物語だと思う。
二十と数年に、+1がされるだけだ。だから、何も変わらない。自分を変貌させているのは、ただその二十と数年の重みだけで、中身はいつだって止まった時間を謳歌している。
私も誰も、子供のままだ。私はそう思いながら、今年はどんなスイーツを食べようか悩むわけである。うーん、やっぱりマカロンかな。マカロン可愛いし。

誕生日を迎えたから、何かが変わるわけではない。
変わるのはこれからで、今じゃない。遠い自分が変化していることを願いながら、そっと微睡むだけの日々であれ。

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