見出し画像

唐突に病み、唐突に生き返る

時期に病むと思っていたらあっという間にその日は来た。
慢性的な頭痛に倦怠感。過眠。やってきたなあと思う。自分がいかに健康でないかを思い出すフェーズを経て、またこれと向き合わなくてはいけないのか、という絶望感とも戦うことになる。
気分循環症とか言って、最近は循環もしていなかったくせに。

思えばこの一ヶ月間ずっとハイだった。
嬉しいことが単純に続いていて、アドレナリンはドバドバ。幸せの絶好調。これが半年続くこと間違いなし。私が欲しいものは大抵手に入ったし、お願いはほとんど受け入れられた。仕事の業績もそこそこ良くて、何も言う事なしの生活が続いている状態だった。
まあ、そんな上手いことがどんどん努力なしに続くわけもなく、それがパタっとあることによって終わってしまったので(正しくは幸福感に自分が目覚めて、これは異常だと気づいた瞬間に)、そのまま目覚めて苦労しているわけだ。
でもまあ、自分の環境が優れ続けていることや、私が今までやってきたことの成果だったり、自分の持っている人望だってわかったのだからいいことなのではないか? とは思いはする。けれどこれは言い訳なのだ。自分、もうちょっと幸せがよかったっす! と言いたいだけのこと。私はもうちょっと幸福感に浸って、全能感だったり、さまざまな感情を得てみたかったり、いや、体験だってそう。まだ感じられることがあったのに! と自分の感受性にもイラついてみる。ほとんど意味はない。

兆候はあった。休みの日に十二時間は寝てしまうのだ。過眠だ。目覚まし時計をつけているはずなのに、くたーっとしながら起き上がりもせずに止めて、また眠る。これを繰り返している。用事がないと起きれない。だから無理やり予定を組み込む。そうすると無理が起きる。これの繰り返し。
こうして文章を書くことだってなかなか難しいことだった。脳みその詰まっている感覚といえばいいだろうか。もう本当にぎゅうぎゅう詰めで、どうしようもなかったので、文章として吐き出すのも難しかった。どれから吐き出せばいいのかわからない感じだ。順番がつけられないから一生難しい顔をして付き合っていく。
そのせいで今日は仕事を休んでいる。自分で無理とわかっただけいいかもしれない。くたくたの顔を同僚やクライアントに見られないだけマシなのではないか?
 そう思うことにしておく。
とにかく、今日は休んだ。それができただけで、じゅうぶん。

こんなにくたくただと書いておきながら、ちゃっかり旅行の予定や原稿の予定を詰めている。
リラクゼーション、ゆっくりするとはなんだったのか。新しいものを見て、感動することの過程を苦労と思っていないだけいいのかもしれない。私はそういった体験がコトが好きであるし、そういったものに触れ続けて癒しを得るのかもしれない。
じゃあ原稿はなんなんだい、という話なのだけれど、頭の中をスッキリとさせるための行動に過ぎないのだと思う。頭の中がうるさい。思いついたアイデアや日々のこういった散文で埋め尽くされている。それが気持ち悪かったり、楽しかったりするのだけれど、発散するためには書くしかない。書いて、生産的な終わりを迎えるために原稿と名付けて発行する。なるほど、結構理にかなってるんじゃないか?
そういった自分ルールもとい、自己流の言い訳をして、今日は終わり。

よろしければサポートお願いします! サポートは紅茶・活動のために使われます。