見出し画像

四六時中、文字だけがいい

頭の中がうるさい。この感覚をどうにかして共有したい。
考えていることが多いのではなくて、雑多に言葉が浮かんでいると言った方が正しい。さまざまなシーンだとか、言葉の意味だとか、いいなと思った物だとか。それらを表現するための言葉を探したり、一文を思いついたり、そういったものでうるさくなる。
哲学的な話ではないのがミソだ。私は哲学者じゃない。哲学を語るための知識もそこそこにしかない。あるのは適当なことを(こういうnoteのことを)書けるだけの力を持っているだけという話。

頭の中の巡りをきちんと書くのにタイピングが間に合う人間でよかったと思う。
幼少の頃の遊び道具がPCの、しかもWordだったのが幸運だったと思う。それまではずっと原稿用紙を買ってもらい、ひたすら小説を書いていたのだけれど、PCの登場によって舞台はデジタルに移行をした。
前にも書いた気がするけれど、PCで書くことにより自分の汚い文字ではない整然としたフォントに変換され、それが横書きであれ印刷されるのは感動をした。
自己流のタイピングにはなるけれどある程度の速度で打てるようになったのはいいことだと思う。仕事で重宝するし、MMOでは脳直で文字を打てるし、レスポンスが早い。
そもそもタイピングというものが嫌いなわけではないし。タイピングって面白くないか? まだまだ改善の余地があるのだとタイピングサイトが教えてくれる。
多分向上心というか、どんどんやっていけるなあという気持ちがあるから、楽しいのだと思う。天井がうっすらと見えるぐらいがちょうどいい。

1週間に文章を、文字数換算で15000字ほど書くことが今週の目標だ。
今週は休みが多い。ちょっとした理由からなのだけれど、休みのうちにやっておきたいハローワークへの通所が叶えられる……か!? という曖昧なレベルになっていることだけが悲しい。
まあそれはさておき、文章はおかしな話どこでも書けるのだからやれるでしょう、と思っている。スマートフォンのメモ帳アプリ、iPadの持ち運び、文章を書くためのネタだし。おかしな話生活の全ては文章もといネタ帳なわけで、事欠かないと思っている。
自分の切り貼りでしか文章が書けない。
なら自分が面白くあれと思う。
私の最推しが言っていたように自分を諦めたら世界を諦めるのと同じなのだ。自分の拡張を終えたら、世界もそこで終わってしまう。小さな世界で生きるよりも、ずっと拡張し続けた方が楽しい。
作品に触れたり旅行に行きたいというのはそういう理由だったりする。最推しに出会ってもう17年が経過するのに、やっと気付かされた。

何かを感受し続けて生きているのだから、もっと執筆に時間を割きたい。
最近うまい方法を思いついたので、それも含めて何か活動をしていきたいな、と思った。とは言えそれはMMOをしながらなのだが。時に映像作品を観ながらなのだが。
四六時中書けるなら書いていたい。行き詰まらぬ世界が欲しい。
そのためにも世界の拡張が必要なのだろうな。苦手なものに出会わない程度に様々なことを知っていきたい。楽しくありたい。
とりあえず聖地巡礼として茨城に行きたい。

よろしければサポートお願いします! サポートは紅茶・活動のために使われます。